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妖しの彼女  作者: 鎖
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ミコ



僕のミコ(飼い雌猫)が死んだ。

享年15歳の大往生だった。いつも気付いた時にはミコは僕の布団の中にいた。僕が布団に入って温まった頃に潜り込んでくる、そんな猫だった。そしてそのまま布団の中で冷たくなっていた。

僕は人生で一番悲しかった。一番寂しかった。一番辛かった。

家族を失う経験はこれが初めてだった。

僕は高校生にもなって大声で泣いて、泣いて、泣いて、泣いた。

母さんはミコを、ミコだったものを保健所で処理しようと言ったけれど、僕はミコを最後まで世話しようと決めて庭に埋めた。それが僕にできる最後の仕事だと思ったからだ。


その晩の事だった。

僕はベランダから聞こえる猫の鳴き声に目を覚ますと、もぞもぞと僕のベットの中で何かが動く気配を感じた。僕は夢うつつの頭でぼんやりと、ああ。またミコか。なんて考えていたが、やがてハッと意識が覚醒した。

(ミコなわけがない――これは、幽霊!?)

勢いよく体を起こすと思い切り布団をめくった。そして僕の目に飛び込んできたのは信じられない光景だった。


女の子!?


8歳くらいだろうか? 小学校低学年くらいの女の子が僕のベットの上にいた。

しかも全裸で。更に全裸で。事もあろうか全裸で!!

その女の子が僕を見上げて言う。


「寒いんだけど……お兄ちゃん……」


  ――・――


僕は心から今日が日曜日で学校が休みだった事に感謝していた。

置き時計の針は10時を指しているけれど、相変わらず女の子は僕の部屋のベットの上で寝ていた。この女の子が着ているTシャツは僕の物だからサイズは合わないけれど、仕方ないと思っている。僕は椅子に座って女の子を眺めながら考える。

僕の事を『お兄ちゃん』と呼んだけれど、もちろん僕には妹などいないし寝ている所を見ると幽霊にも思えない。当たり前だけれど、全裸でベットに潜り込んでくるような小学生の知り合いなど僕にはいない。では、この子はだれなのだろう?

窓から差す日が、その寝顔を照らし女の子は眩しそうに呻いた。僕は椅子から立ち上がるとブラインドを降ろす。そして振り返るとその女の子は起きていて、ベットの上でちょこんと座っていた。


「おはよ、お兄ちゃん」

「お、おはよう……」


聞きたい事はある。

しかしそれが多すぎて、何から聞けばいいのか分からない。

「とりあえず名前言ってもらえるかな?」

「浅木!」

「それは僕の名前だ。君の名前を教えてくれよ」

「浅木ミコ!」

「だからそれは――」


……あさぎ、ミコ。

浅木みこ? あさぎみこ、アサギみこ、浅木ミコ!?


どうして死んだ僕の飼い猫の名前を知っている!? というか名乗っている!?

栗色の髪の毛は確かにミコに似ているけれど、もちろん僕の知っているミコはこんな姿はしていない。ましてや15歳で亡くなったので、こんな小さな女の子であるわけもない。何が何だかさっぱりな僕を女の子は上目遣いで覗く。

「お兄ちゃん、お腹空いたんだけど……」


今日は日曜日だけれど両親は出勤している。仕事というのは曜日なんて関係ないらしい。そのおかげで僕は誰にも見られる事なく女の子にパスタを作ってあげられたのだけれど、どうもこの女の子がミコだという事に納得できない。いくら僕が霊を信じる人間でも今まで見てきたそれとは全く別物だからだ。

「……美味しいか?」

「うん! あんな安物の缶詰より全然美味しいよ!」


……僕は納得した。この子はミコだ。


「それで? 何でそんな格好してるんだ?」

「多分、それはお兄ちゃんがミコに対して持ってるイメージがそのまま映ってるんだと思うよ? ミコを妹のように思ってたのかな?」

「な、なるほど……そう言われてみればそうかもしれない」

「けれど、お兄ちゃん? 妹=幼女ってのはいかがなものかと思うよ?」

「ぼ、僕はそんなつもりはないよ。きっとその体型は猫のイメージだよ」

「ミコは小さくて可愛い……?」

そう言ってニヤリと微笑んだ。


  ――・――


どうしてミコが人間の姿になったのかは、本人にも分からないらしい。ベットの中で寝ていたのに気が付いたら庭で寝ていて、寒かったのでまた僕のベットに戻って来ただけなのだとか。そんな説明では解決する方法も何も分からないけれど、かといって……。

チラリと横目で居間のソファーに座る僕の膝に乗る幼い女の子を見る。

ミコを綾篠さんに相談するのも何だか怖い気がする。『ついには幼女にまで手を出したのね』なんて言われそうで嫌だ。けれどこのままにしておいても両親が帰ってきた時のいい訳なんて思いつかないし、どうにかする必要はある。

「な、なぁミコ。人間の体って不便じゃないか? その……猫に戻りたいというか、元に戻りたいというか成仏したくないか?」

「そんな事ないよ」

「……」

自覚がない。というのは本当に恐ろしい事だと思う。


どうやら間違いなく僕の膝の上で丸くなっている幼女は、僕の妹で飼い猫でそして幽霊らしい。ミコが幽霊になってしまったと考えると胸が痛いけれど、悪い霊には見えないのがせめてもの救いだと思っている。


ピンポ――ン。

突然のインタ――ホンにミコがパチリと目を開けた。その視線は宙の一点を見つめて動かない。そして宙を見つめたまま口を開く。

「お兄ちゃん、ミコが出るから座ってて」

「は? お前何を言って……」


――!


それは耳だ。いつの間にかミコの頭に猫の耳が生えていて、それがピンと伸びている。よく見ると耳だけじゃなく尻尾も生えていて、2本の尻尾がゆらゆらと左右に振れている。ミコはふらりと立ち上がると玄関の方へてくてくと歩いて行った。

「お、おい! ミコ!?」

僕の声を無視して居間のドアを閉めた。僕は慌てて居間の窓から玄関を覗いた。あんな格好を普通の人に見られたら大変だ。郵便等ならまだしも知り合いや親戚なら僕の評判は終わりを向かえてしまう。けれど玄関先に立っていたのは、郵便や知り合い等ではなかった。

赤い女だ。赤い女というのは抽象的な表現かもしれないけれど、それしか言い様がない。髪から顔まで真赤なのだ。着ている物は着物だけれど、それも赤い。こんな日曜日の昼間にこんな酔狂な事をする人なんているわけがない。幽霊、だ。それも見るからに危険な感じがする。

「――ミコ!」

僕は急いで玄関の方へ向かった。例え幽霊だろうと家族が二度も失うのは嫌だと思った。居間から廊下に出ると、ミコは開け放たれた玄関のドアの前でぽつんと立ち尽くしていた。さっき見た赤い女はどこにもいない。2本の尻尾がミコの後姿を隠すように揺れる。ミコが赤い女を消したのだろうか? 


(僕を守ってくれた……のか?)


  ――・――


僕のベットの上で尻尾を揺らすミコ。


「ところでお兄ちゃんは彼女がいるの?」

「あ、ああ……いるよ」

「ちょっと前までは童貞だったのに、大人になったね」

「いや、それはまだ現在進行形です……」

「じゃあまだこれのお世話になってるんだ」

「やめっ!」

僕はミコの手から秘蔵の本を奪い取った。そんな姿でこんな物を持っている画は色々な意味で危ない! 猫とはいえ幽霊とはいえ教育に悪い。僕の教育に、悪い……。綾篠さんという強大な彼女を持ちながら変な方向に目覚めては命がないのだ。

「なぁ、ミコ。何でそんな身体になったのか本当に分からないのか?」

「分からないよ。お兄ちゃんはミコがいると迷惑なの?」

「そんな事ないよ」

そう。迷惑なんかじゃない。けれどミコの扱いに困るのは事実だ。隠しててもいずれ両親には見つかるだろう。かと言って説明したところで僕が犯罪者になるだけだ。一体どうしたものかと僕はため息をついた。

「大丈夫だよ、ミコはお兄ちゃんにしか見せないから」

僕にしか、見せない。その言い方だと、普通であれば誰にも見えないのだけれどあえて僕だけには姿を見せている。という風に聞こえる。チラリと鏡を見るとミコの姿は映っていない。きっとミコの言っている事な事実なのだろうと思った。

『大丈夫だよ』とミコは言ったけれど、果たしてそういう問題なのだろうか? 幽霊になってしまったミコは他人に見えないから、問題ない。そういう風に受け止めてしまっていいのだろうか? ちゃんと綾篠さんに相談して解決するべきじゃないだろうか? けれど1度は死んでしまった家族が戻ってきた時、それをもう1度殺す事なんて僕にはできない。見た目だけとはいえ人の形をしているのなら、それは尚更だった。


「きっとミコはね……」


真直ぐ僕を見つめる。


「お兄ちゃんが心配だから戻って来たんだよ」

「幽霊の事……?」

「ううん」

ミコはおもむろにベットの中に腕を入れた。腕を入れた。という表現が正しいか分からないけれど、まるで水面に腕を通す様にベットの中に腕がすり抜けていく。そしてゆっくりそれを引き抜いた。


なんて事だ! 引き抜いたミコの手には小型カメラが握られている!


もちろん心当たりはあるけれど、これは幽霊より怖いよ綾篠さん。ミコがカメラを引き抜いたと同時に机の上に置いてあった携帯電話が鳴った。画面を見ると案の定、綾篠さんからの着信だ。

「模様替えでもしてるのかしら、浅木君?」

なんてふてぶてしい彼女なんだ。

「いや、そんな事はしていないよ」

「あら……女の子の気配がするわね。今どこにいるの?」

な、なんだこの鋭さは!?

「い、今は部屋にいるけれど僕1人だよ?」

「そう。では確認しに行くから10分待っていてね……首を洗って」

そう言って電話が切れた。どうやら10分後に僕の家に来るみたいな事を言っていたけれど、普通に考えれば綾篠さんの家から僕の家まで10分で来れるわけがない。が、綾篠さんが言うのだ。10分と言いながら5分で来る事だって考えられる……。


けれど慌てる事はないぞ僕!

鏡に映らないミコだ。きっとカメラにも映ってはいない。

ミコは僕以外には見えないのだ。


  ――・――


「ついには幼女にまで手を出したのね」


……見えちゃってましたか。

「ずっと昔から飼ってたんだよ」

「こんな可愛い幼女を『飼う』だなんて……本物じゃない」

「言葉のあやをとるな! 人間じゃない事くらい分かってるだろ?」

ふぅん。と呟いて綾篠さんは僕の後ろに隠れるミコをまじまじと眺める。が、やがて2本に分かれた尻尾の根元を掴むと自分の目の前にミコをぶら下げた。


「……除霊してあげる」

「おぃぃぃぃぃ!」


あんまりだ! なんというか色々切ない話のくだりを端折っている気がする。もちろん彼女はミコであってミコではない。綾篠さんを否定するわけではないけれど、情緒のなさは衝撃的すぎる。

「お、お兄ちゃん……」

半泣きのミコが僕に助けを求める視線を向ける。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」

「何かしら? 浅木君にとり憑く霊を排除してあげようと言ってるのよ? 涙ながらに感謝の言葉を述べてもいいのよ? というか述べなさい」

「分かってる! そんな事は分かっているけれど僕にも感情ってもんがあるだろう!?」

「……うるさいわね」


ずい。と顔を寄せる綾篠さんの目が据わっている。

「こんな可愛い子が浅木君の家に住みついてるだなんて、この私が許すはずないでしょう? ましてや同じベットで一緒に寝るなんて有り得ない。そこは私だけの場所なの」

「ぼ、僕の場所であって欲しいんだけど……」


「……羨ましいの? お姉ちゃん?」

ぶら下がったミコの猫耳がピクリと動いた。

「仕方ないよ。ミコとお兄ちゃんはずっと一緒だったんだもん」

「……何が言いたいのかしら?」

「ミコはお兄ちゃんの家族で、飼い猫だったけれど……これからは彼女にもなれるんだよ?」

ミコはそう言うと綾篠さんの手をすり抜けベットの上に伏せる。まるで獲物を狙う猫のように身をかがめて猫耳をピンと伸ばし瞳をギラギラと青白く光らせる。息を荒げ短く肩で呼吸していて、まるで猫そのものだ。そんなミコに綾篠さんは全く動じず、ベットの上の彼女を睨みつける。

「残念だけれど、浅木君は幼女には興味ないの。浅木君が好きなのはコレ――」

そう言って僕の秘蔵の本を手に取る。

「あなたの小さい身体ではこんなの耐えられないでしょう?」

「お兄ちゃんは小さい身体にそういうのを強要するのが好きなんだよ? 知らなかったでしょ?」

何だかよく分からないけれど大変な事になって来たのは分かる。僕の性癖が変な方向へ向かっているのだ。

「あなたがどんな格好しようと浅木君はもう私の物、先約済みなのよ」

「それを言ったらミコは15年前から一緒にいるんだもん、先売済みだよ」

ミコの言葉に綾篠さんから黒いオーラが放たれる。これが噂の覇気というやつなのか、と思った。ミコも霊力なのか妖力なのかよく分からないけれど身体からほとばしる何かを放っている。竜虎相搏つ、という言葉があるけれど今の現状はまさにそれだ。もちろん竜や虎なんてそんな可愛い二人ではないのだけれど……。


「本当にバカ猫なのね、飼い主の顔が見てみたいわ……」

それは僕だ。

ゆらりと身体を揺らし綾篠さんがミコに近づく。降ろされた前髪で表情は見えないけれど、きっと恐ろしい顔をしているのだろう。ミコはそんな綾篠さんに威嚇するような鳴き声を上げるけれど決して綾篠さんは止まらなかった。

「さぁ、お墓に帰りなさい。浅木君は私の物なのだから」

「うぅ……お兄ちゃん」

僕をチラリと見る。


(そっか……勝てないんだ)


幽霊になったミコがここまで綾篠さんに敵対心を剥き出しにしながらも戦えないのは、きっとミコは分かっているんだ。綾篠さんが自分より遥かに強い力を持っている事を。


助けなきゃいけない。と思った。

幽霊を? とも思った。

ミコはミコでもこれは幽霊だった。

けれど幽霊は幽霊でもミコなんだ。とも思った。


「ちょ、ちょっと待って!」

僕はとっさに2人の間に割って入る。

「ミコはただの飼い猫で綾篠さんがどうこうする必要なんてないよ!」

「どいて浅木君、このバカ猫は除霊しないと気が済まないわ」

ダメだ。綾篠さんは全然話を聞いてくれる状態じゃなかった。僕の制止を振り切り黒いオーラを放ちながらミコに手を伸ばす。何とか……止めないと……!


「――す、好きだから! 綾篠さんの事、大好きだから! ミコなんて放っておいて大丈夫だよ!」

僕の言葉に一瞬ピクリと止まった綾篠さんだったけれど、そのままミコの方へ手を伸ばした。


が、その手はミコの横を通り抜けベットの上のシーツを掴み、そのままベットの上に倒れも込むとシーツを股に挟みながらもじもじと悶え出した。

「そんな……だ、大好きだなんて……に、妊娠しちゃう……」

何か言ってるけれど気にしないでおこう。



  ――・――



綾篠さんは何かに満足したかのように帰って行った。嵐のような彼女だとつくづく思う。夜になって両親は帰って来たけれど、やはりミコの事は見えていないようでその事には何も触れてこなかった。僕は相変わらずベットの上でシーツを被っている彼女を眺めている。

「いつになったらミコは成仏できるんだ?」

「ミコがおにいちゃんに満足したらかな」

「どうすればいいんだ?」

「何なに? 満足させてくれるの?」

ミコがそう言ってシーツを取ると幼い身体が……。

「だから僕は幼女に興味はない……!」


「これから持てばいいよ」


ミコは微笑む。





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