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妖しの彼女  作者: 鎖
2/28

綾篠七海

僕の名前は浅木幸太。

先月までは何の特徴も無い中学生だったけれど、今月から何の特徴もない高校生になった。新しい環境に期待に胸を膨らませて臨んだ高校生活だったけれど、クラスに上手く馴染めず始業式から一ヶ月経った今でも友達の1人も作れず悶々としていた。何かしら部活に入れば少しは変るのだろうと思っていくつもの部活を体験入部してみたが、どれもピンと来ないでいるのは僕のやる気の問題かもしれない。


(ずいぶん遅くなっちゃったな……)


体験入部のせいで帰りが遅くなってしまった僕は、暗い夜道を1人で歩いていた。街灯が点々と続いているけれどそれでも暗い夜道は怖い。犯罪的な意味もあるけれど霊的な恐怖を思ってしまう。高校生にもなって夜道が怖いだなんて少し恥かしいけれど、誰だって暗い場所は怖いものだと思う。

特に……背後とか。

なんてバカな事をと自分で嘲笑しながらチラリと後ろを見てしまうのは人間の性だ。


何か、いる。電柱の影に何かいる。

ぞくりと背筋に悪寒が走った。


「うわぁぁぁ!」


僕は駆け出した。ハッキリ見えたわけじゃないけれど僕は見た。間違いなくそれはいた。女性だったように見えたそれは、僕の方を見ていた。僕の方を見て、ニヤリと笑ったんだ。

慌てて家に帰った僕は風呂も入らずカーテンを閉め切った部屋のベットの上で震えた。クローゼット、タンス、机の引き出し、ありとあらゆる場所が怖かった。またあれが出てくるような気がしたんだ。


そして震えたまま朝を迎えた。朝になると不思議なもので昨晩の事は見間違いだったのかなと恐怖も薄れて、普通に学校へ向かった。昨日寝てないせいで頭がぼーっとするけれど、入学早々授業中に寝るわけにもいかず頑張って授業を受けた。けれど昼休みには力尽き、他の人が弁当を食べる中、僕は机の上で寝てしまった。


  ―-―


電柱の影からゆっくりそれが出てくる。

顔は白くなっていて見えない。

僕は恐怖に震えて動けない。

やがてゆっくり僕に近づいて口を開く――。



「……浅木君?」


誰かの声に目が覚めた。

「綾篠さん!?」

ハッとして身体を起こしたが教室には綾篠さん以外誰もいなかった。

「まるで幽霊でも見たような顔しないで欲しいわ」

「えと、ご、ごめん」

「次は体育なのだけれど、浅木君は体育館に行かなくていいのかしら?」

そう言って長い黒髪を揺らす彼女は綾篠七海さんといって同じクラスなのだが、彼女の事はよくわからない。この会話が僕と彼女の初めての会話なのだ。

「綾篠さんは?」

「私は運動が苦手なの……自習。という事にしてるわ」

はらりとノートを開く。

「早く着替えて体育館に行った方がいいんじゃない?」

「そ、そうだけど……」

女子がいる前で着替えなんてできないんだけれど……。

「私の事は気にしないでいいわ」

無理なんですけど!

「それなら、好きしたら?」

僕を横目に微笑む。

ぐぬぬ……恥かしいが別に全裸になるわけではない。トランクスくらい見られたから何だというのだ! 僕は覚悟を決めると彼女の前でズボンを脱ぎジャージに着替えた。そして着替え終わり教室を出ようとした時、綾篠さんがノートに奔らせていたペンを止め僕を見た。


「もし、つかれたら私に言って頂戴」

「……疲れたら?」


  ――・――


その日の帰り道だった。

放課後する事のない僕は眠い事もあり、いつもより早い電車に乗って帰った。昨日あんな事があったけれど、まだ日があるし大丈夫だろうといつもの帰り道を通った。けれど駅から家に向かう曲がり角を曲がった時それはいた。


白い服を着た若い女性。一瞬で人間でない事が分かった。透けているとか足がないとかそういう事じゃない。それは生々しい程にはっきりとした姿だった。姿だったけれど目が無かった。目が無い。という表現はちょっと違うかもしれない、正確には白目の部分がなかったんだ。まるで油性ペンで黒く塗りつぶしたように真黒な瞳で僕を見つめている。


(これ……やばい……)


そう思う間もなく幽霊は僕に顔を近づける。

「見つけた。私の愛しい人」

そう言って、ふっと消えた。まるで悪い夢を見ているようだった。そこから家に帰るまで足は地面についてる気がしなかったし、食べた夕食も味なんてしなかった。


やがてベットに入り横になるとそれはまた姿を現した。僕のベットの横にいるとかではなくいつの間にかベットの中にいて、真黒な瞳で僕の横で寝ているのだ。そして妖しく微笑み僕に言うんだ。

「離さない。私の愛しい人」

僕は恐怖に叫び目を覚ます。そして夢だったのかと眠りにつくとまた同じ夢を見て起きてしまう。それを何度か繰り返すうちに朝になったけれど、その頃には僕は憔悴しきっていた。ふらつく足取りで学校へ行ったけれど先生の話など全く耳に入らなかった。


「つかれているようだけど、大丈夫?」

綾篠さんだった。僕は顔を隠すように机に伏した。きっと酷い顔してるんだ。

「だ、大丈夫! 僕に構わないで……」

幽霊なんて言っても誰も信じてくれない。と思った。

「そう。それならいいけれど最後にもう一回だけ聞くわ」

そう言って伏した僕の耳にそっと呟く。


「憑かれているようだけど、大丈夫?」


  ――・――


校舎の屋上に上がれるなんて知らなかった。

小高い丘に建てられた校舎の屋上から下を見下ろすとこの街全部が一望できる。田舎でお世辞にも綺麗だとは言えないけれど、ここにいると街全部を手に入れた気分になって優越感が沸いて来る。


フェンスを背に綾篠さんが目を細めて僕を見つめる。

「……浮遊霊に目を付けられたわけね」

「浮幽霊?」

「自分が死んだことを受け入れられなかったり、自分が死んだことを理解できなかったりして現世を彷徨ってしまう霊の事よ。経緯は様々だけれど、今回の場合、事故などの突発的なものではなく恨みや憎しみの悪感情が災いして、自分の死を受け入れることが出来ていないのかもしれないわね」

つまりあの女の幽霊は誰かに抱いた恨みを迷惑な事に僕にぶつけているという事に他ならない。

「そんな理不尽な……」

「霊に正当性を求めてどうするの?」

確かに言われて見ればそうだけれど、この怒りをどこにぶつければいいんだ僕は? しかし今は僕の怒りのやり場を探している場合でもない。よく分からないけれど綾篠さんは霊に詳しいらしい。

ならば――。

「もちろん、助けてあげるわ」

「あ、ありがとうごいます! 本当に助かるよ!」

「1つだけ条件があるのだけれど……」

人差し指をピンと立てる。

何を条件に出させれても、今の僕はそれを飲む以外の選択肢はない。


やがて立てた人差し指を僕に向けた。


「私の彼氏になりなさい」


……。


「か、彼氏って?」

「知らないの? 恋人の事よ。もしくは愛人」

「それは知ってるけれど後者だと君にも僕にも問題がないか!?」

ぐっと僕に顔を近づける。

「なるの? ならないの?」

僕は当然返事に困る。なにせ綾篠さんとは会ったばかりなのだ。

「聞き方が悪いかしら? あなたは幽霊から助かりたいの? 助かりたくないの?」

もっと聞き方が悪くなったような気がするけれど、その質問は2択と見せかけた1択だ。


「……お願いします」


  ――・――


僕達は幽霊と最初に出逢った電柱の所へ来た。


「浅木君、私は幽霊と最初に逢った場所へ案内して欲しい。と言ったのよ?」

「え? だからここに連れて来たんだけど……」

ここじゃない。と言ってフラリと歩道を歩いて行くので、慌てて僕はその後をついて行った。やがて例の曲がり角で足を止めると小さく呟いた。

「人の物を盗ろうとするからこうなるんでしょ……」

「どういう事?」

「恨みは恨みでも、逆恨みらしいわね。たぶん不倫した男の妻にでも殺されたんでしょ」

そう言って、またてくてくと歩き始める。

「今度はどこへ行くんだ?」

「浅木君の家――」


というわけで僕の家にいる。

いつの間にか、時計の針は19時を指し日は落ちてしまっていて、カーテンを締め切った部屋は真暗だった。それでも綾篠さんは電気を付けようとせず暗い部屋の四方におもむろに塩を盛り始め、机の上に小さなお香を立てた。

「これで霊が入って来れないようにするのか?」

「いいえ。出て行けないようにするの」

「え……それって……」


もう部屋の中にいるって事ですか!?


慌てて辺りを見回す僕に綾篠さんは近づき、微笑みながら僕の制服のボタンに手を伸ばす。

「ちょ、ちょっと……!?」

「いいから……脱いで……」


良くない!


僕達は数時間前に付き合ったばかりだというのにそうなるのか!?

高校生ってそういうものなのか!?

男女が付き合うってそういう事じゃないだろ!? 

いや、そういう事なのかもしれないが、少なくとも今このタイミングではないはずだ!


「早く……」


綾篠さんの柔らかい指が僕の制服の第2ボタンを外した。



  ――・――



「離さない……私の……愛しい人……」

やがて闇の中から現れた女性の霊が僕のベットへ潜り込む。

「私を愛して……愛しい人……」


「申し訳ないのだけれど、私にそっちの気はないの」


僕の制服に身を包んだ綾篠さんがベットから飛び出して、机の上に用意していたお香にライターで火をつけると、鞄の中からペットボトルを取り出し部屋中にその中身を撒いた。ベットの上にいた女の幽霊は顔を歪ませ窓の方へ向かったが外へ逃れる事はできず、やがてその場に倒れ込みもがき始めた。

僕は隠れていたクローゼットから出てその幽霊を見下ろす。

「お願い……許して……」

僕を見上げて呟く。

幽霊とはいえ苦痛に顔を歪ませて苦しそうにしている女性は見るに耐えないものがあった。

「な、なぁ綾篠さん。その……殺す事はないんじゃないかな?」

僕の言葉に女の幽霊は笑顔になっていった。



が、綾篠さんはその笑顔に容赦なくペットボトルの中身をドボドボとかけた。

「ぶほぉ!?」

短い悲鳴を残し、その幽霊はあっけなく消えた。

そして跡形もなくなったその場所に悦に浸った笑みを浮かべ呟く。

「人の物を盗ろうとするからこうなるんでしょ」

「そこまでするのか!?」

「そこまでするわ。だって……」

僕を見つめにこりと微笑む。


「あなたの彼女だから」



  ――・――


その日から女の幽霊は出なくなった。

おそらく綾篠さんの一撃で葬り去られたのだと思う。過ぎ去ってしまえば、それらはまるで夢だったかのように思えた。

「はい。あ――ん」

「……」

夢じゃなかった。

「死ぬか、口を開けるか。好きな方を選びなさい」

それは2択と見せかけた1択だよ。綾篠さん。

「今日から一緒に下校しましょう。もう体験入部もないんでしょ?」

「ああ……ない……けど……」

「じゃ問題ないわね」


綾篠さんは可愛く微笑む。


  ――・――


そうして僕と綾篠七海は付き合い始めたのだが……。

僕は綾篠七海の彼氏だが綾篠七海は僕の彼女ではない。つまりどういう事かと言うと僕は綾篠さんを彼女と認めていないのだ。なぜなら彼女は幽霊に憑かれた僕の弱みに付け込み交際を強要した悪魔のような女だからだ。更に言えば性格に問題がある。人は見かけによらないというけれど、彼女の場合悪い意味でその通りだと思う。

確かに彼女は綺麗だ。長い黒髪も、スカートの下から伸びた細い足も、その……胸も。誰もが羨むと思う。それに僕の16年間の人生で初めての彼女なので、手放すのは正直惜しい気持ちもある。しかしそれらを払拭してしまうくらいに中身に難があったのだ。


「浅木君、一緒にお弁当食べましょう」

「浅木君、一緒に帰りましょう」

「浅木君、10数えるうちに愛してると100回唱えなさい」

「浅木君、他の子を見たら殺すわよ」

「浅木君、どうやら死にたいらしいけれど、もっといい事思いついたの」

「浅木君、手錠を外して欲しければ……分かるわよね?」

「浅木君、女に恥をかかせるなんて男らしくないわね」


うむ……思い出すだけで恐ろしい。


と、いう事で僕はいま人生最大の作戦を企てている。内容は『別れ話』だ。世間の男女はこの別れと言う物に親権を賭けたり、慰謝料を賭けて戦うらしいのだが僕の場合賭ける物は命だ。これは聖戦なのだ。


僕は黒板に書かれた文字をノートに写す彼女を見ながら考える。どうやってこの綺麗な悪魔から上手に逃れるかが問題なのだけれど、恋愛経験の少ない僕にとってその問題は難問だった。僕が持つ手法として『僕と綾篠さんは合わないから、別れて下さい』と切り出すか、『他に好きな人が……』と無難な理由をこじつけて打ち明けるしかない。

1つ目を選んだ場合、おそらく『合わないなら合わせなさい』とあっけなく返されるだろう。2つ目を選んだ場合、無難な理由にされた子の命が危ない。と、いうか無い。どちらにしろ了承は得られないけれど、反論に無視を決め込んで強行突破しようものなら僕が危ない。



……牙城だ。

鉄壁どころじゃない。オリハルコンでつくられた城壁だ。

恋愛経験値の少ない僕では魔王の牙城は攻略できないのか……。


彼女をチラリと見る。

(!)

ノートに書いていたのは黒板の文字ではなく僕の名前だった。恐怖にあわあわする僕に気付き、にこりと優しく微笑むとノートをパタンと閉じた。そこにNO3と書いてあったのは気のせいだと思いたい。



昼休み。僕の机で無表情に弁当を食べる綾篠さんを見つめる。

そもそも童貞である僕の恋愛技量で、上手く別れるなんて事できるとは思えない。多かれ少なかれ血を見るのは火を見るより明らかであるならば、それは僕の血だけで十分だ。


ゴクリ……。

僕は息を呑む。


「あ、綾篠さん――」

「別れ話を切り出そうとする童貞のような顔をしてるけれど、何か言いたい事があるのかしら?」

「いやぁ、その卵焼き美味しそうだなぁ!」

お前は超能力者か!

「食べたいのなら、そう言えばいいのに。はい、あ――ん」

「あ、あ――ん」


ぽろり。

その卵焼きを落とす。というか箸ごと落とした。


「あら。ついうっかり卵焼きを落としてしまったわ」

「違う。わざとだ」

「拾うから動かないでね」

拾うって……卵焼きは椅子に座る僕のふとももの上にある。ふともも、と表現したけれどそれはむしろ股間に近い。それに綾瀬さんの手が伸びてくる。

「うふふ……ひ、拾う……からぁ……動かない、で……ね?」

はぁはぁと息を荒げながら手を伸ばす。


「ちょ! ちょっと待って……!」


一刻も早く彼女をどうにかしないと、どうにかなるのはきっと僕だ。


  ――・――


そんな感じで切り出すチャンスを逃しながら放課後になってしまった。僕は綾篠さんと一緒に帰り道を歩いてるわけなのだけれど、この調子だとずっと言えそうにない。このままではいけないと駅が見えてきた頃に僕は思い切って口を開けた。

「あのっ、綾篠さん! 僕達本当に付き合ってるのかな!?」

すごい遠回しな伝え方だったけれど、それが僕の精一杯だった。

「……それは今の関係では満足できない。という事でいいのかしら?」


伝わらなかった。というよりも、変な伝わり方をしたらしい。

「いや、僕は決して高校生の清い男女交際に不満があるわじゃないよ!?」

「それでは浅木君は高校生の清い肉体関係に不満があるというわけね」

「それも違う! 望みはあるけれど不満はない!」

どうやら綾篠さんに遠距離攻撃は無意味らしい。それどころか話の流れが彼女にとって都合の良い方へ進んで行ってる様な気さえする。むしろ行ってる。

「何か私に不満があるなら遠慮なく言って頂戴。浅木君のためなら、最大限の努力はするつもりよ」

「え……と……」

何かそういう言い方はずるいな。そう言われると言葉が見つからないや。

「私が授業中に下着を付けてるのが不満だと言うのなら、明日からは付けないで行くわ」

「僕は下着をつけてる女性を不満に思った事はないよ。勝手に僕を重度の変態にしないでくれ」

「それ以外に浅木君が不満を感じる理由が見つからないけれど?」

「僕って何者!?」

「私の彼氏でしょう」


……。


駅が近づくとふと気付く。

線路に人が立っているのだ。空は晴れていて雨など降っていないのだけれど、レインコートを着た人が立っている。男か女かは遠目では判断できないけれど身長から察するにきっと男だと思った。


電車が近づく音が聞こえてきたが、男はそれでも線路に立っていてこのままだと間違いなく轢かれてしまうが、逃げる気配も見せなかった。彼を見つめたまま動けずにいる僕の耳に、小さく電車の到着を告げるアナウンスが聞こえた。


次の瞬間、目の前を電車が通過して男はバラバラになって吹き飛んだ。

「う! あっ! あ、あぁ!」

僕は目の前の光景に顔を手で覆って叫んだ。


……。


「どうしたの太陽拳でも食らったの?」

綾篠さんのとぼけた声にゆっくりと覆った手を除くと、きょとんとした顔で僕を覗き込む綾篠さんがそこにいたけれど、バラバラになった男はどこにもいなかった。僕は息を呑んだ。

消えた――。人、じゃない。

また僕は幽霊を見てしまったのだろうか? 何だか目眩がする。


「あ、綾篠さん。今の見た……?」

「今の……というのは電車の風で煽られて露出してしまった私のスカートの中身の事かしら?」

「僕は手で顔を覆って見なくていいものを見て、見たいものを見逃してしまったと言うのか!?」

「おかげで危うく突き指してしまうところだったわ」

「僕の目に何をしようとした!?」

「照れを隠そうと思ったのだけれど?」

「つ、次からは違う場所でお願いします」


  ――・――


そんな事もあり、僕の作戦は思うように進まなかった。

しかし何故だろう。高校に入ってから僕の身の回りには変な現象が起こっている。どうしてこんな事になったしまったのか分からないし、誰にも相談できないところが辛いところだ。

僕は鞄から宿題を取り出して机の上に広げた。そしてペンを取り出そうと引き出しを開けたところで凍りついてしまった。


腕。黄色いレインコートの腕部を巻いた腕。


何でこんな物が僕の部屋の引き出しに入っているのか疑問だけれど、そういう問題ではない事は分かっている。僕はその黄色い腕を掴むと窓を開け思い切り外へ放り投げた。そして窓を閉めるとベットの中に飛び込んで震えた。そして朝が来ると、誰よりも早く学校へ向かう電車に乗って、誰よりも早く教室へ向かい彼女の登校を待った。


やがて彼女は教室のドアを開けた。

「お、おはよう。綾篠さん――」

「おはようポチ。御主人様の登校を待つなんて偉いわね」

「お前の彼氏はポチなのか!?」

「ポチでもあり、彼氏でもある……」

「ややこしい言い回しするな。それにそれじゃやっぱり僕はポチじゃないか」

「それで? 何か話があるのかしら?」


……。


「それは……厄介な物を連れてきちゃったわね」

「そんなにまずいのか?」

「右腕、左腕、右足、左足、そして頭。という順番で出てくるのだけれど、最後の頭を見たら死ぬと言われているわ。でも、処理法としては簡単……」

綾篠さんが教室をぐるりと見渡す。

「浅木君、嫌いな人。いる?」

「え、そりゃいないわけじゃないけど……」

「では、その人に名前を呼びながら直接肌に触れればいいわ」

「それで治るのか?」

「それで移るわ」


  ――・――


僕は先日、湯船に足をかけて風呂に入っていたら左足が2本ある事に気付いた。

どうやらもうタイムリミットらしいけれど、他の誰かを犠牲にしてというのはなかなか難しかった。何度も挑戦したけれど、曲がりなりにも僕の行為が人を殺してしまうのだ。簡単にできるわけがない。

「今日も無理だった……」

僕は呟いて帰り道を歩く。

「早くしないと死ぬわよ?」

そうは言っても、この処理法の難しいところは『名前を呼びながら』という所にある。つまり知り合いにしか効果がないわけで、誰か1人知り合いを殺せ。と言われても選び難い。本当に選び難い。名前を呼び肌に触れる瞬間、そいつのこれからの人生とか家族とか考えてしまうと涙と吐き気が込み上げてきて行為に至れない。僕は人殺しにはなれないらしい。


やがて電車が来た。それに乗り込むのは僕ではなく綾篠さんだ。開いた電車のドアに向かって歩くが、その途中、白線の所で手に持っていた鞄を落とした。けれど彼女はそのまま電車に乗る。僕は慌ててその鞄を拾い彼女の方へ差し出す。

「あ、綾篠さん――」

振り返った彼女はその鞄の方へ手を伸ばすと、鞄ではなく僕の制服の袖を掴み引っ張った。

「好きよ。浅木幸太君」


唇が、重なった。


そして鞄を取ると、僕の胸を押して身体を離した。それと同時にドアが閉まり電車は走り出した。



部屋に戻った僕は頭がぼんやりしていて、幽霊の事や綾瀬さんの事は僕の小さな脳では収まり切らないのだと思った。そう。幽霊の事や、綾瀬……さんの……事……。


柔らかかった。

僕はそれを確かめるように指先でなぞる。僕のファーストキス。そして一つ一つのシーンを目を瞑って思い出す。電車に向かう彼女、鞄を拾う僕、引き寄せる彼女、そして僕の事を好きと言ってくれた……。



それは予想だけれど、おそらく綾篠さんのした事はただのキスじゃない。

(移してしまった――!?)

奪い取られたと言ってもいい。綾瀬さんが僕の名前を読んでキスした事で僕に憑いた幽霊を移してしまったのかもしれない。『移す』という行為ではなく『移される』という事が本当にできるかなんて知らないけれど、僕の考えはおそらく正しい。正しいと思った。彼女は変人で変態でヤンデレで要領を得ないけれど、僕を誰より何より大事に思っている事を……僕は知ってるからだ。

僕は鞄をベットの上に放り投げて家を飛び出した。


  ――・――


「七海なら2階にいますけど……」

七海の母親に促され僕は階段を登った。2階に部屋は3つ、くるりとそれを見渡して『立ち入り禁止』というプレートが貼られたドアの前に立って呟く。

「ここだ……」

僕がドアを開けるとベットの上に腰かけた綾篠さんがいた。

「浅木君は漢字が読めないのかしら?」

「……読めるよ」

「では立ち入り禁止という日本語が分からないのね」

「……分かってる」

「じゃ、何しに来たの?」

僕はベットに座る彼女にゆっくり近づく。

「何でそんな事したんだ? その幽霊って綾篠さんでも払えないんだろ? だから別の対処法を僕に教えたんだろう? 何でそこまでするんだよ!?」

「だって、あなたの彼女だから」


綾篠さんの言葉と同時に部屋の電気が消えた。誰もスイッチには触っていない。タイムリミットなのだ。

ベットに座る綾篠さんの後ろにすっと顔が浮かんでくる。黄色いレインコートのフードを被り、目を閉じ、口も閉じて、まるで眠っているかのようにも見えた。

(どうすればいい!? 僕はどうしたらいい!?)


……彼氏、として。


「あやしのっななみっ!!」


間に合うか!? 僕は彼女の名前を叫びながら手を伸ばし彼女の手の甲に触れた。その瞬間、綾瀬さんの後ろにぼんやり浮かんでいた顔が綾篠さんの横を通り抜けて、僕の方に向かってきた。それは僕の目の前まで来ると顔を震わせパッと目を見開いた。真赤な目が僕を見据え、閉じられた口元の端がゆっくり引かれて歪んだ笑顔を作る。僕は死ぬんだ。と思った。それくらいそれは恐ろしい顔だった。


突然、ベットに座っていた綾瀬さんが立ち上がり、ベットの横に立てかけてあった姿見鏡を床に思い切り叩きつけると、部屋中に鏡の破片が散らばった。すると幽霊の見開かれた目がぐっと細まり姿を消した。

あっという間の出来事で僕には何が何だか分からないけれど、部屋についた電気を見れば助かったのは分かる。

鏡の破片だらけの部屋に僕と綾篠さんは立ち尽くしていた。

「どうしてこんな危ない事するの?」

その質問には心から正直に答えようと思う。

「彼氏だから」


  ――・――


僕と綾篠七海は付き合っている。

容姿端麗で成績優秀な僕の自慢の彼女だ。


「浅木君、卵焼き、食べたくない?」

「――いや遠慮します。」


ただちょっと変ってる。



幽霊は本当にいるのか?

答えは分からない。悪魔の証明はできないからね。人の感情のエネルギーって凄くてさ。ただそれが作用するのは人の内側であって、それを物質として外に出す事はできない。それを外に向けるのが丑の刻参りみたいな術だったなら、霊的な力ってのはあるのかもしれない。バカだな。そんなものねぇよ。って思うよね。僕もそう思う。ただ形は違えど日本だけじゃなくて世界中でそういうスピリチュアル的なものはある。霊なんていないのなら、何千年も前から、そして今も人の潜在意識の中には霊的なものに向かう遺伝子が組み込まれてるわけだ。それって逆にゾッとするくらいのオカルトだと僕は思う。

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