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妖しの彼女  作者: 鎖
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横断歩道の幽霊(4)


霊体はそれぞれ個として存在する。決して他と交わる事のない魂だ。しかし例外もある。それは喰われたときだ。



あやしの かのじょ



「近づかないで」


東雲先輩が鋭く言い放つ。その醜い幽霊はそれに気圧されるように動きを止める。東雲先輩の何者も寄せ付けないという凛とした意志がそこにある。以前、綾篠さんも携帯電話越しにマダラオオヒメを仕留めた事もある。彼女達の言葉には何かしらの力があるのか。それとも僕に分からない工夫があるのか。結局、僕は何も分からないまま醜い悪霊と対峙したまま動く事ができずにいた。


「浅木君。良い事を思い付いたの」

「なんですか?」

「こいつは殺します」


僕達はまた例の横断歩道に戻って来た。先ほど東雲先輩がスケジュール帳で作った結界は、紙が真っ黒になっていて破られたように思える。今のところ幽霊の気配も感じない。あまり機敏ではないようだ。


「こいつの結界は非常に強力。こんな強固で広いものは私も初めて体験する」


でもね。と東雲先輩がニヤリと微笑んだ。


「一ヶ所だけ元の世界に通じる場所があるの」


そう言って東雲先輩が指を指す。それこそ、横断歩道そのものだ。信号が赤のまま動く事のないこの横断歩道こそが、時の止まった結界と、元の世界を繋ぐ通路らしい。


「あんな風になっても、まだ渡りたいのね」


その記憶のまま。と、東雲先輩が目を細める。やがて幽霊が道路をゆっくりと歩きながら姿を現した。もちろん車なんて一台も通ってはいない。何もない、誰もいない無人の道路をひたすら真っ直ぐ僕らの方へ進む。数mまで近づいた時、東雲先輩が信号の押しボタンにペンで何かを書き込んだ。そしてニヤリと笑うと、その押しボタンを押す。


ザワッ。と急に雑音がうるさく耳に張り付く。


結界を破ったのだ。僕の目に往来する人々とまぶしい日射しが映る。高速で駆け抜けていく車の群れに、その幽霊は取り残された。もちろん跳ねられるという事はない。まるで針の穴に糸を通すようにすり抜けていく。その幽霊は少し小さく震えてから、嗚咽のような声を洩らした。そしてそれは徐々に大きくなり、やがて絶叫に変わった。


「あああああああああああ!!」


車に引かれたわけじゃない。わけじゃないが、次々に体の一部が弾け飛んでいく。僕は幽霊について詳しくない。それでも感じるこの叫びは恐怖だ。幽霊はこの状況に怯えているんだ。


「死んでも尚、引かれ続けなさい。あはは」


東雲先輩が勝ち誇ったように笑う。このままこの幽霊は消滅していくのだろうか? 無数の腕や足が破裂していく光景に僕は身動き一つできずにいた。その時、破裂していく腕の一部が真っ直ぐ僕に向かって飛んで来た。


「浅木君! それに触らないで!」


東雲先輩が叫んだ。が、もう遅い。それは凄まじいスピードで避ける暇なんてなかった。その腕はやけに長く飛んで来るというより伸びてくるように見えた。そしてそれが僕に突き刺さろうとした瞬間、突然の衝撃と共に派手に転倒した。後頭部に鈍い痛みが走る。



「危ないところだったわね」



綾篠さんの声が聞こえた。ざわざわと辺りの人のざわめきが耳に入る。気付けば、綾篠さんが僕に馬乗りになって1cmくらいの距離まで顔を近づけて、僕を覗き込んでいた。この状況を理解するのに時間がかかった。何でここに綾篠さんがいるのか? 僕は助かったのか?


「クソ女(東雲先輩)と一緒に何やっているのかしら?」


・・・助からないらしい。


「言いたい事と聞きたい事はたくさんあるけれど、まずは邪魔者を排除するところから始めましょう。浅木君は心の準備だけしておくのね」


綾篠さんがニコリと微笑む。そしてゆっくり僕から体を離すと横断歩道に向かって歩き出した。いまだ車道に残された幽霊は体を揺らしながら叫ぶ。近づく綾篠さんに動じる事もなく東雲先輩が髪を掻き上げて、香水のようなものを綾篠さんに差し出す。


「綾篠さん。使っていいわよ」

「・・・そんなものいらない」


綾篠さんが少し間をおいてから、静かに息を吐くと信号の押しボタンを押す。


「・・・こんな強引な事をしても除霊はできない。ただ小さく拡散していくだけ。呪いが広がるだけ、そんな事あなたも分かってるでしょう。この子は信号を渡りたいだけ。どうしてそれが分からないの?」


パッと信号が青に変る。


「ただ、小さな子が横断歩道を渡るには青信号だけじゃ渡れない」


停まっている車を縫うように幽霊に近づいていく。


綾篠さんが無数に生えた腕の肉塊にゆっくり手を伸ばす。

そうだ。この子が信号を渡るには青信号が必要だった。


そして、もう一つ。必要なものがある。





優しい母の手。


吸い込んだ命を吐き出すように無数の腕や足が剥がれ落ち、そこには綾篠さんと手を握った小さな男の子が立っていた。それは不思議な光景だった。ぽろぽろと男の子が涙を零した。


「お母さん・・・怒ってない?」


綾篠さんは優しく頷いて、その手を引いて横断歩道を渡る。

それを渡りきった時にはその子の姿はなく、綾篠さん一人が横断歩道の向こう側にいた。


「お兄ちゃん、おねぇちゃん。ありがとう」


と、眩しい日差しに聞こえた気がした。







綾篠さんがゆっくり振り返る。


「それで、覚悟はできたかしら?」


と、眩しい日差しに聞こえた気がした。



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