まだらなお姫様(3)
男性の脳は合理的に物事を考える。実に堅実だ。歳をとればとるほどに自分の身の丈を理解していく。しかし時に愚かだ。それは女性が絡むと合理的判断も理性をも崩壊する。それはこの男も同じだった。そんなわけで綾篠は今、浅木の部屋にいる。
(良いですか?御主人、決して怯んではいけません。断固たる決意を以てすれば相手にも伝わるはずです!躊躇する事なく、ボタンに手をかけて下さい)
私は気付かれないように掌から様子を窺う。
「浅木君。話って何かしら」
「ご、ごめん」
(何を謝ってるのか!緊張が早過ぎる!)
想像以上の体たらくに今後が心配になるけど、ここは浅木の男気にかけるしかない。
「何に謝ってるのか知りたいわ」
「いや、忙しいところを部屋に呼んでさ」
「私は浅木君に時間を裂くことを勿体無いと感じた事は、この16年間一度たりともないわ」
「僕に会う前も計算に入ってるよ!?」
「そんな事より、今から女の子を押し倒そうとする童貞の様な顔をしているけれど大丈夫?」
(怖ぇぇぇよ!エスパーか!?)
「だだだ大丈夫!!問題ない!」
(ダメだ!この童貞、動揺し過ぎでしょ!)
綾篠は、そう。と小さく呟いて制服のネクタイに指をかけた。
「大丈夫。というなら任せてもいいのね?」
......急転直下!
まさか、童貞の大丈夫という言葉を真逆というか、世界最強にポジティブに捉えた。しかし、これはもう本人のお墨付きと言ってもいい。女性側からこの言葉を頂いた時点で勝ちは決まった。ここでまで来て腐ることはない、浅木に行くところまで行ってもらうだけである。
「ま、任せる?何を?」
(くそ童貞がっっ!)
ダメだ。恋愛経験値が皆無のこの男には、綾篠が出した低いハードルさえも飛べない。というか理解してない。これじゃどんなメンタルが強い女でも空気読めと叫びだすでしょう。私は項垂れた。けれど耳に入って来た綾篠の言葉は意外なものだった。
「浅木君、私は貴方が望むならばいつでもこの身を捧げても構わないの」
(キタコレ、浅木。確変でしょ!)
私は小さくガッツポーズを取る。
「そしたら浅木君は私の一部になれるの」
(何それこわい)
「何度生まれ変わっても、必ず貴方を見つけ出し、何度も何度も私の一部になってもらうわ。あらあら、そんな顔しないで安心して浅木君。ソロモンの小さな鍵なんて使わなくても大丈夫だから。これは魔術よりも錬金に近い方法として知られているわ。さぁ、浅木君。勇気を出して私を好きなようにしなさい。さぁ早く。早く。早く。早く」
「や、やめておこうか! 僕等にはまだ早いよね!」
綾篠は小さく舌打ちをしてベットに倒れた。
「焦りすぎて失敗したわね」
「それ男のセリフじゃない!?」
-・-
作戦は失敗に終わった。当然、あの後は何をする事もなく日常会話でその日を終えた。綾篠という女。どうやら私の予想をはるか斜め上をいく思考回路を持っているらしい。これでは予測は困難だし、前例や女性の定説に合わせて進める事はおよそ不可能だった。ともすればターゲットを綾篠から外し、他の女に移す必要がある。相手は井上香織。この役に彼女ほどうってつけの人間はいない。彼女自身、浅木に想いを寄せている事は明白だからだ。
「御主人、涙を拭いてください」
「・・・ありがとう」
「いっそ、別の女に乗り換えたらどうでしょう?」
「そんな事無理だし、したくもない」
ここまでの変人(綾篠)を相手に彼氏続投するなんて、浅木の頭も大概だと思うけれど今はそれを修正している場合じゃない。しかし浅木は頑なに綾篠以外と付き合う事は拒否する。説得には長い時間がかかりそうだし、そもそも時間をかければ説得できるかも分からない。こうなれば手段は一つしかない。そう。実力行使による既成事実の作成。裏工作。恋のキューピット。興信所。つまり何かしらのきっかけを作りその気にさせるという、古くから使われる一手だ。
深夜、浅木は枕元に携帯を置いて眠る。なぜなら携帯の目覚まし機能で毎朝起きているからだ。私は浅木の右手から離れる事ができないし、1cm以上体を離す事もできない。右手がその携帯の近くにある状態で浅木が眠るチャンスを私は待ち、その日は来た。
携帯の画面をつける。ラインを起動する。友達の少ない浅木だ、すぐに井上香織の連絡先を発見した。これに情緒ある文面を送るのだが、これがちょっと難しい。『綾篠と付き合っているけれど、本当は君が好きだ』などと送ったら、最低男。と評され逆に浅木の株が下がりかねない。
(うーん・・・困ったよね)
こうなれば、綾篠と付き合っている事実を井上香織がどのように考えているのか知る必要があるし、井上香織自身がどんな人間なのかを細かく知る必要がある。そう考えれば単純作業では到底終わらない。何日もかけて調査を繰り返し、井上香織と浅木を操作する必要があった。1cmの私には無理がある。
(えーい。ままよ・・・きっかけがあればいいはず)
『明日の放課後、二人で会えないかな?』
送信。とりあえずはこれでいい。何て返信が来ようとも、それに返信せずこれだけを伝える。とりあえず井上香織の意識を浅木に向けてから始めよう。ややしばらくしてから携帯がポンと鳴った。
『何かあった? とりあえず分かったよ』
井上香織からラインが飛んできた。
よしよし。これで二人が急接近するきっかけは作った。後は上手く事が運ぶように口出ししながら成り行きを見守ればいい。少し時間はかかりそうだけれど、こうして何度も二人の時間を作るようにしていけば後は時間の問題だよね。そんな私の思案を遮るかのように携帯がポンと鳴り、画面が光る。
『分かりました。待ってるわ浅木君』