007
少し前。
詳しく言うと、五月八日。
その時七節は、この世界に居てはならない存在と出会ってしまった。
吸血鬼。名は、伯爵。
黒衣に身を包んだ紳士だったそうだ。
この世にはもういないと思っていた。ヴァンパイアは、滅び去った種族だと思っていた。
しかし、いた。自分と同じ、ヴァンパイアが。
自分は、孤独ではなかった。
気持ちは、満たされた。
だがそこに、心の隙というものができてしまう。今まで固く閉ざしていた心は、あまりにも脆くなっていた。
伯爵は、七節に近づいた。ある野望を抱いて。
そして彼女は、心を許してしまった。
伯爵という男を、受け入れてしまったのだ。親近感とは、そこまで人の心を緩くすることができ、信頼させることができる。
人間を、容易く騙すことができる。
そして五月九日、あの広場での出来事。
伯爵がヴァンパイアのために提案したのは、全人類奴隷化計画というものだった。
全ての人類を奴隷にし、餌とする計画。
冷酷なヴァンパイアの伯爵だったからこそ、考えついた作戦。
それを聞いた七節は、そこで気づいた。
自分はこの男に騙されていた。巧く手駒にされそうになっていた。
他人を信じたせいで、また他人を信じることができなくなってしまった。
悔しくもない、怒りも込み上げてこない。
ただただ……寂しかったらしい。
「あの時は人間不信になってたわ。もう二度と、他人を信じたりしないって心に決めたもの」
「…………」
国立病院の一室。
そこでは、七節の声だけが響いていた。
「今までだって一人で生きてこれたのだから、これからだって人に頼らなくても生きていけると思ったの。孤独を選ぶのはわたしの自由だし、誰にも迷惑なんてかけないもの。正直言わせてもらうと、田中君が出てきた時、腹が立ったわ。舌打ちはしなかったものの、踏み潰したいくらいにね」
「それ酷くなってないか?」
「レベルとしては一〇ある内の〇.五ね」
「最高レベルはどうなってるんだ!……いたた」
ツッコミが傷に響く。
シャーレに貫かれた俺の体は、重症だったそうだ。
数分病院に運ばれるのが遅れていたら、死んでいた。それくらいに。
今は集中治療室から抜けて、普通の病室にいるが、絶対安静。立つことさえも、許されない。
胸のあたりは包帯で包まれ、ミイラにされたような気分さえ覚えてしまう。あまり気持ちの良いものではない。
「そろそろ田中君もツッコミ卒業ね。寿退社よ」
「俺はまだそんな歳じゃない」
「ツッコミに迫力がないわ」
「身体の傷のせいだ!イタタッ!」
これ以上、体を苛めてまでツッコむのはよそう。体がもたない。
「でも田中君、わたしはあなたにお礼を言うわ」
「なんだよいきなり……」
「助けてくれてありがとう」
七節にしては素直なお礼だった。
ボケてもなく、ツンツンでもない、素直な言葉。
「あれは良いブザービートだったわ」
「……お前、それが言いたかっただけだろ」
「そうよ」
訂正。礼儀なんてものは無かった。
七節迷花というやつは、礼儀を惜しんでも、自分のウケを狙うことを優先にするらしい。ある意味根性が据わっていて、ある意味芸人魂のあるやつだ。
「ところで田中君、一つお願いしてもいいかしら?」
「何だよ急に……」
「わたしと友達になってほしいの」
「何だよ急に!」
「いや違うわ……お友達になってよね。いや、ブラザーになろうぜベイベーかしら?」
「もう原形が見当たらないところまでいった!」
傷に響くけど、これくらい耐えられる。
七節は今、それ以上に大切なことを、俺に 言おうとしているのだから。
心の傷から解放されるための、第一歩。
「とにかく田中君、わたしと友達になりなさい」
「結局そこに治まるのか」
「嫌なの?」
「別に」
「じゃあ今後はわたしと田中君はお友達よ。メルアド寄越しなさい」
「早速かよ!」
でも、まあ、結局のところはだ。
七節迷花は、満面の笑みで笑っていた。