005
ヴァンパイアの討伐。
俺の頭にはこのワードだけが浮かんでいた。
スクーターの運転にも集中できないし、講義もまともに受けていられない。集中力なんてものは皆無となっていた。
それでも、彼女は俺に近づいてきたのだ。
人嫌いであるはずの、七節迷花が。
「この席しか空いてないんだけど、相席しても構わないかしら?」
昼食時間。外食のできる大学生にとって、学生食堂は行っても行かなくてもどちらでもいい場所であり、見渡す限り空席だらけだった。
嘘を吐くなら、もっとマシな嘘を吐けばいいものを。
「別に構わないよ」
「では座らせてもらうわ」
七節が手に持っていたのはオムライス。対する俺はチキンライスだった。
「……勝った」
「オムライスとチキンライスの差を言ってみろ!」
「卵があるのと無いとでは天地の差よ田中君。黄色の輝きがあるのがオムライス、赤色が晒されている下等なものがチキンライス。王様と農民程度の差があるわ」
「卵を剥がして革命を起こしてやる!」
「剥がすなんて、田中君あなた卑猥ね」
「どんな発想してるんだ!」
怒涛の三連続ツッコミ。
しかしコイツ、俺の名前憶えていたのか。
「秘密を知られた相手の名前くらいしっかり憶えてるわよ」
「うわっ!?俺の心の声を読み取りやがった!エスパーか!?」
「上にちゃんと文字で書かれてるじゃない」
「まさかのメタ発言!」
なんてやつだ。小説の常識というものを知らないのか。
「冗談はここまでにして。田中君、あなた昨日誰と話していたの?」
「誰って……高校の時の後輩だ。てか、何で俺が遠山と話していたことを知ってるんだよ」
「たまたま帰ろうと思ったら、たまたま遠回りしたくなっちゃって、たまたまそこで田中君を見つけて、たまたま後を蹤けていただけよ」
「途中から自白してる!」
「自白ではないわ。自供よ」
「どちらも同じだ!」
本当に、どちらも同じ意味だった。
「けれど田中君、一つ忠告しておくわ」
「今度は何だよ」
「わたしのことを知りすぎないことね。これはわたしの為じゃない。あなたの為よ」
蛇に睨まれた蛙。
七節に睨まれた俺は、指一本動かすことができない。
背筋から、強烈な寒気を感じた。
「……正直ね田中君は。でも、今はそれでいいの。そちらの方が利口なんだから」
七節はスプーンを手に取り、オムライスをすくって口に運んでいく。
その瞬間、俺の背筋からは寒気が消えた。
一体……何だったんだ今のは。
「…………!?」
その時、俺の手に、ジーンズのポケットに隠しておいた檜製の杭が当たる。
今なら確実に彼女の心臓を狙うことができる。できるはずなのに……。
手が止まってしまう。
「あら、食べないのチキンライス?代わりにわたしが食べてあげてもいいわよ」
「……クソッ!」
俺はスプーンを握りしめ、チキンライスにがっつく。
けっしてチキンライスを盗られたくなかった訳ではない。むしろ、チキンライスなんてどうでもよかった。
俺は七節の心臓に杭を打てなかった。杭を打つのが、怖かった。
その言い訳が欲しかっただけなのだ。
ヴァンパイアだって、今は人間だ。それを殺すなんて、俺にはできない。
したくもない。
俺にはこの仕事は、荷が重すぎたのだ。甘く考えすぎていたのだ。
普通なやつは、やっぱりどこまで行っても普通なままなのだ。英雄なんかには、決してなれやしない。
「田中君、キミに一つ言葉を贈ってあげるわ」
「どうせロクな言葉じゃないんだろ?」
「そうね。わたしにとっては本当にロクでもない言葉だわ。でも、あなたにはお似合いの言葉よ」
空になったオムライスの皿を手に持ち、七節は立ち上がる。
そして俺に、こう言った。
「成せば成る……よ。よく憶えておくといいわ」