007
「やはり来ましたね」
「それは俺の台詞だ。ここは俺の家だ」
田中家リビング。
そこには、今や当然となってしまったかのように、ナナミの姿があった。
ナナミの姿は、あったのだが。
「そういえば、純平と粋華は何処に行ったんだ?」
二人の姿が、無い。
気配も、しない。
「純平君はここに来た時からいませんでしたけど」
「…………、もしかしたら、部活かもしれないな」
純平は、バスケットボール部に所属している。しかも、レギュラーだ。
俺とは違って、それなりに運動神経もあり、それなりに活躍だってしている。
もしかしたら、まだ練習しているのかもしれないな。それくらい、勉強にも勤しんでほしいと、オカンはよく呟いているが、それはそれで、俺はアリだと思っている。
勉強だけが、全てではないからな。
まあ、それなりには出来ないといけないけど。
「粋華ちゃんなら、先程までわたしとRPGゲームをしていましたが、突然わたしをここに置いて、おつかいに行きましたよ」
「ああ……おつかいね」
頭は良いのだが、粋華はとにかく天然だ。
運動神経も鈍いし、すぐに思い出す事は出来るが、なにもかも、一旦ど忘れをしてしまう。
きっと、ナナミがいる事を忘れて、おつかいに行ってしまったのだろう。
何と言うか、不用心過ぎる。
危なっかしい。
「さて、今回のケースは特殊です。余談をしている暇はありません。早速ですが、本題に入りましょう」
言って、ナナミが手に持っていたのは、一冊の古ぼけた分厚い本だった。
遠山が持っていた本と、心なしか、似ているような気がする。
「これは、とある時空の勇者が記した冒険の日記のサンプルです。あなたは既に、この日記の原本を読んでいますね?」
「勇者の日記……ああ、確かに読んだ」
遠山が所持していた、貰い物の本(もとい、道端に捨てられていた本)。あれは、どうやら七節が言っていた通り、本当に勇者の書いた日記であるらしい。
正直、驚きだ。
「最後のページに書かれている出来事もご存知ですね?」
「ああ。確か、魔王が異なる世界に、自分の勢力を広めようとしているとかなんとかだったかな」
「そうです。そして、その異なる世界というのが、まさしくこの世界なんです」
薄々、事の流れから勘付いていたけれど、やはり、そうなるのか。
「それで、今回はどう対処すればいいんだ?」
今までは、この時空に現れた存在を消去する事によって、歪みを防いでいた。
しかし、今回の場合だと、それでは手遅れになってしまう。
魔王はこの世界を侵略しようと目論んでいる。すぐに行動を起こす事は、考えずとも、明白だ。
襲撃に次ぐ襲撃、歪みに歪む時空。
その先に待っているのは、破滅のみ。
「本来、時空調整というものは、全ての時空が安定した状態を保つために、その時空の利益と価値を無視して、全てを平等に捉えて調整を行っています。しかし、今回は特例が出されました。とりあえず、これを受け取ってください」
ナナミが手渡してきたのは、鍵のような物だった。
見た目はそれっぽいが、形が若干、歪。
「これは時空の鍵です。それを、どんな扉の鍵穴でも良いので、入れてみてください。すると、扉を開いた先が魔王のいる時空に繋がっています」
「魔王のいる時空……に繋がってる!?」
「はい。今回の仕事は、時空を『守る』のではなく、『進攻』してもらいます」
「進攻……か」
いつもとは、全てにおいて逆。
防衛戦ではなく、攻略戦。
「でも、そんな事して良いのか?その時空が歪んだりして、危ないんじゃないのか?」
「普通は御法度です。しかし、今回は先程言った通り、特例が出ているんです。勇者が亡くなってしまった以上、あの世界で魔王を倒せる人材はもういない。新しい勇者が誕生するのを待つ時間の猶予も残されていない。それなら、共倒れするより、助かる可能性が残されているこの時空を残した方が良いというのが、上の方の考えなんです」
「…………」
方法としては、何一つとして、間違ってない。
間違ってないのだが、気に食わない。
片方が助かって、片方が犠牲になる。何億人もの人々が助かる代わりに、何億人もの人々が犠牲になってしまう。
人を犠牲にして、人は救えない。
そこには、喜びや達成感は、到底無い。
偽善者と言われれば、それまでなんだけど。
「その不服そうな顔、わたしの思っていた通りです」
笑いはしなかったものの、ナナミは一度だけ首を縦に振り、キッチンの方へと向かう。
何をするつもりかと、俺が思うより先か、ナナミは剣のような物を担いで、戻って来た。
それは、よくゲームで出てくるような、西洋風の剣。
「これは、まあ見れば大体予想がつくと思いますが、ちょっと特殊な剣です。これを今回は使ってください」
ナナミは、鞘から剣を引き抜く。
銀色の鋭い刃先、黄金色に輝く柄頭、黒い柄。赤い宝玉のような物も、取り付けられている。
イメージ的には、勇者の剣。
とても神々しく、とても凛々しい。
「でも、こんな大きな剣、剣道もした事の無い俺に扱える物なのか?」
刀身は長い上に、見た目はかなり重そうなイメージ。
とても素人が扱える代物とは、思えない。
「大丈夫です。実はこれ、ある有名な剣をモチーフにして、時空省で作られた模造品なんです。ヘヴンリーソードという剣を参考にしているので、セカンドヘヴンリーとわたし達は呼んでいます。特殊加工された金属で、限界まで軽量化し、切れ味も落とす事無く、頑丈に出来ています。おそらく、多少乱暴に扱っても壊れないと思います」
ナナミは、セカンドヘヴンリーと呼ばれる剣を、俺に手渡す。
「うおっ!?」
思わず、声をあげてしまった。
軽さが尋常ではない。まるで、木の枝を握っているような、それくらいの軽さ。
おもちゃのプラスチック製の剣より、俄然として軽い。
真剣なのに、だ。
「そのセカンドヘヴンリーを使って魔王の首を打ち取ってきてください。魔王は凶悪で卑劣、何をしてくるか分かりませんが、二つの時空を守るにはこの手段しかありません。勿論、失敗は許されませんよ」
ナナミの無の表情からは、今までにない重圧を感じる。
一触即発の、危機的状態。
そんな危ない現場を、俺みたいな素人の人間に任せて良いのだろうか。そうやって、後ろめたくなる反面。
「……なかなか、面白そうな仕事じゃねえか」
多分、今俺は笑っている。
ファンタジーの世界に入り込み、魔王を倒す。ゲームの主人公にでもなったような、そんな気分だ。
千載一遇。
このチャンス、ものにするほかない。
「時空の鍵はしっかりと保管しておいてください。もし失くしたら、こちらの時空に戻れなくなってしまいます。それと、余り人目の付かない場所で使用してください。噂になってしまったら、大変なので」
「人目に付かない場所か……分かった」
思い当たる場所は、ある。
「御武運をお祈りしています」
時空の鍵をポケットに捻じ込み、セカンドヘヴンリーを背中に下げ、ナナミに見送られながら、家を出る。
まあ、家はナナミに任せて大丈夫だろう。不用心なのかもしれないけど、一応、信用出来るからな。
これでは、俺も人の事言えないような気がするけど。
「おっと、その前に……」
スクーターに乗る寸前、携帯電話を取り出し、俺はとある人物に電話を掛ける。
まあ、連絡を入れておかないと、後からどんな罵倒を受けるか分かったもんじゃないからな。
「七節、ちょっと頼みがある。面倒な事じゃない。俺の指定した場所に遠山と向かって欲しい。理由は後だ、すぐに向かってくれ。場所はだな……」
高校時代の、因縁の地。
「高校の近くにある、廃工場だ」