004
結局のところ、七節はデスコーラを飲んだ後、新しいコップに入ったコーラ(デスコーラではなく普通のコーラ)を三杯程飲んで、口直しをしていた。
よほど不味かったに違いない。表情には出さないものの、雰囲気で大体分かる。
「よくやってのけたな、あんな事。芸人じゃあるまいし」
俺は、目の前にあるサイダーを一口、飲む。
「わたしは芸人ではないわ。大物芸能人よ」
「大御所だった!」
毒舌大物芸能人。
毒舌にも、年季が入る。
「あ、あの、七節先輩……ちょっといいですか?」
遠山は、後ろめたそうにしながら、それでも、何かを七節に伝えようとしている。
遠山にとって、七節は憧れの先輩。
自分の中の、大スター。
緊張するのも、無理はない。
「何かしら?」
七節は、遠山の方へ振り向きもせず、紙コップに入ったコーラを啜る。
興味が無いだけなのか、はたまた、遠山を警戒しているのか。
顔色は、全く変わらない。
「え、えっとですね……なんというか」
「…………」
「き、今日は良い天気ですねー」
「そうね」
「あ、えっと、さっきのコーラ……デスコーラですっけ?どうでしたか?」
「不味かったわ」
「そ、そうですか!やっぱりそうですよねーあははは……」
「…………」
凄く、気まずい会話。
何と言うか、聞いてるこっちまでもどかしくなってしまう。
「あ、あの!」
「何かしら?」
遠山は、それでもめげない。
諦めるという選択肢は、存在しない。
「わ、わたしとその……バ、バスケットボールで勝負して貰えないでしょうか!?」
直球勝負。後腐れなど、無い。
「……そうね」
七節は椅子から立ち上がり、俺の方に手を差し伸べてくる。
疑問を問いかける前に、その答えは返ってきた。
「田中君、こんな事をお願いするのも癪だけど、あなたのスクーターを貸してくれないかしら?バスケットシューズとジャージを取りに帰らないといけなくなったわ」
何故、七節は俺がここへスクーターに乗って来た事を、知っているのだろうか。
俺は七節より先にここに来ていた。そして、その時にはもう、俺はスクーターを駐輪場に止めていた。
……、まあ気になるところだが、それは後々尋ねるとして、今は後輩の夢を叶えてあげる事を優先しよう。
破天荒な奴だ。何時気が変わるか、分からない。
「癪ってのは、余計だ」
俺は、ポケットの中からスクーターの鍵を取り出し、七節に手渡す。
「駐輪場に置いてあるから、間違えるなよ」
「何を言ってるの田中君。わたしは物を見ただけで、その価値まで分かってしまうほど、目利きは鋭いのよ」
「鑑定士かよ!」
「ちなみに田中君の価値は……」
「…………」
七節は、俺のスクーターの鍵を握った手で、俺を指差す。
「プライスレス」
「上手い事言ってんじゃねえよ!」
心の底から、ツッコんでしまった。
本当に、頭の回転の速い奴だ。最高のボケを、最高のタイミングでかましてくる。
ある意味、噛ませ犬。
こうして、ボケるだけボケて、七節は教室を出て行った。
ここから七節の家までは、結構距離がある、らしい。本人がそう言うのだから、きっとそうなのだろう。
「はあ……」
いつの間にか、遠山は床の上にへたれこんでしまっていた。
どうやら、かなり緊張していたようだ。
バスケットボールの試合でも、ここまで緊張した遠山は見た事が無い。
それだけ、遠山は七節に憧れているという事だ。
「お疲れさん」
俺は立ち上がり、遠山に手を差し伸べる。
「あ、田中先輩。ありがとうございます」
遠山は、俺の手を掴んで、立ち上がる。
しかし、立ち上がった後の遠山の足は、安定感というものが全く無く、今にも崩れてしまいそうだったので、七節の座っていた椅子に座らせる事にした。
「いくらなんでも、緊張し過ぎだろ。お前らしくないぞ」
「田中先輩、わたしの中でバスケットボールのスターと言えば、ジョージ・マイカン、ビル・ラッセル、マイケル・ジョーダン、七節先輩なんですよ!」
「凄いメンツに並んだな!」
何と言うか、本当に凄いメンツ揃いだ。
いかにも、恐れ多くもって感じだ。
「でも、わたしはどうしても、一つだけ納得のいかない事があるんです」
「ふうん、言ってみろよ」
「何故、田中先輩が七節先輩と仲が良いのかが全く分かりません!」
「ああ……」
やっぱり、そうなってくるのか。
今まで、誰一人として親しい相手のいなかった、孤独を貫き通してきた、七節。
そんな彼女の唯一の友人が、俺。
自分でいうのもなんだが、接点が全くと言っていいほどに見つからない。
天才と凡人。
あまりにも、違いすぎた。
「何と言うかさ、まあ……なんとなくだよ」
「全く説明になってないんですけど!」
「いや、その……」
今日は、やけに強気で俺に食いかかってくる遠山。
飼い犬に手を噛まれる。
いや、違うか。
「とにかくだな!そうだ!とにかくなんとなくなんだよ!!」
目には目を。
歯には歯を。
強気には、強気を。
「そうですか。では、質問を変えましょう」
冷静に返された。
空振り三振。
「七節先輩との初めの会話を教えてください」
「えっとな……あれ?それって七節と仲良くなったキッカケに繋がらないか?」
「ばれちゃいましたか?」
「ばればれだ!」
遠回しの、核心を突いた質問。
遠山曰く、情報屋の常套手段、らしい。そんな事を、以前、聞いた事がある。
嘘はけっして吐かない。
しかし、真実で騙す事は出来るらしい。
嘘と偽りは違う。
つまり、そういう事。
「でも、今ので分かりましたよ田中先輩。つまり、キッカケはあるけれど、それは公言出来ないような事、或いは秘密という事ですね。まあ、これだけ分かれば大収穫です」
「…………」
裏の裏を搔くとよく言うが、この場合は真実の核を掻かれたと言った方が良いだろうか。
末恐ろしい後輩を持ってしまったと、自分の運の無さを呪うしかない。
まあ、今のは冗談だけど。
「そうだ、遠山。俺からも一つ質問してみていいか?」
「何でしょうか?」
「遠山は何故、七節に憧れたんだ?」
「ああ……そうですね」
遠山は、目線を明後日の方向に逸らし、腕を組む。
名探偵ならぬ、名情報屋のお手並み拝見とさせてもらおうか。
「まあ」
目には目を。
歯には歯を。
「なんとなくですよ」
なんとなくには、なんとなくを。