5:バックアタック・エンカウント
SIDE IN~寝ていた維新幸樹~
からんからん。
床に固い物がバウンドした音で目が覚める。
部屋の窓から入る月の薄暗い光。朝まではまだ時間があることは一目瞭然だった。
巡回の兵士が得物でも落としたのだろうか。
気にするほどでもないか、まだ朝までは時間がある。
回らない頭で安易なことを考え、寝る寸前の幸福感を抱きながら目をつむっていると、今度は部屋の中から物音がして飛び起きる。
ベットの上で警戒スイッチON。
暗闇に目を凝らしても何も見えないけれど、たしかに閉めて寝たはずのドアがわずかにあいていることに気がついた。
なんだ?
ドアに近づいて、外にでて確かめてみるべきだと、そのノブをまわそうとした時だった。
わずかに、ノブの金属が光を反射した。
「うぉっ!?」
とっさにバックステップをとって、その光源へと体当たりを敢行する。
視覚していない何かにぶつかった気持ち悪さと、左の肩口に下ろされた長柄がめり込む感触と、目の前に見えた不気味に光る斧の刃の恐怖感に、頭の中が真っ白になる。
瞬間だったとはいえ、元に戻った時にはすでにおそく、そのまま無様に受け身も取れずに何かの上に倒れこんでしまった。
生温かい。かいだことのない臭い。直接伝わる鼓動に、身体が強張る。
頭のすぐ上では荒い獣のような呼吸が聞こえてきて、反射的に飛びのいた。
そのさいに、肩が痛みを訴えた。
真っ白になって忘れていたことが思い出される。
闇に光る長柄の斧。
ハルバートとでも呼ぶべき、得物だった。
冷や汗がとまらない。
部屋の中にいただろうコレに気付かなかった。
ドアノブに映った姿に気づかなかったら、確実に死んでいた。
不意打ちでいきなり死にかけるなんて、ありえない。
昨日生きるって皆の前で言ったばっかりだ。
しかも、結構格好つけてたんだけどな。
猛烈に頭の中では考えがめぐっているけれど、どうにも上手くない。
余計な事ばかり考えて、焦る心が落ち着かない。
状況が、わからない。
なんなんだろう、あの生き物は。
起き上がるとその体躯は熊のようであった。
2mをゆうに超える身長に、獣じみたがっしりとした肉付きの身体。
宵闇の中で光る眼は猫を思わせるが、あれはきっと、ライオンのそれだろう。
二本足でしっかりと立つその姿に、じり、と後ろに後退した。
一回りも二回りもでかい生き物がしゃんと立つ姿は威圧感が増す。
そして、ハルバートを持つその姿はいささかシュールであった。
お前・・・。
絶対に素手の方が強いタイプだろう・・・!
「似合ってないよ、そのハルバート」
―――――魔王。
思い出される与太話のような、この異世界での普通の話。
言葉が分かるはずもないだろうけれど、軽口を叩かずには、いられなかった。
手が、震える。
どうする。考えろ。精一杯頭を使え。
寝込みを襲うとかどんだけ知性ありあまってるんだよ。
どうやってここまで来たんだ。
こんな図体して隠密向きなのか、こいつは。
こんなのがいっぱいいるとは考えたくもないが、居るとしたら最悪だ。
他の部屋でも作戦が同時進行しているとしたら、確実にもうミッションコンプリートされてる。
効果的すぎる。
なにも力が発揮できない今なら、簡単すぎる任務だ。
なんで居場所がこんなに正確にばれた。
筒抜けじゃないか情報が。
隣国に筒抜けなくらいだから、おかしくはないか。
丁寧に巻き込まれた俺たちにまで刺客を送って来やがって。
そこが境界線か?
知りえた情報と知りえなかった情報があるのか。
それとも、容赦がないだけなのか。
低い底冷えのするような音。魔物が唸っている。
驚いて様子見でもしていたのだろうそれは、動きがないことに焦れたか、自ら動き出す。
振りかぶられたハルバートにタイミングを合わせる。
それほど俊敏な速さを持ちえていない動きは十分にかいくぐれるものだった。
かいくぐれば、長柄には不利な間合いのはず。
いける!
器用に握るその手を見て、呼吸を合わせて前にでる。
にやり、という擬音すら聞こえた気がした。
え・・・?
不意だった。
いや、おいおいおい・・・・・・・!
お前のそれはトレードマークじゃねーのかよ!
ブラフかよ!
それは、手を放し、装備をはずして自慢の爪を振りおろして来やがった!
自分の動きが遅いのを分かっていて、中にかいくぐってくるのを誘いやがったのか。
素手のほうが強いというのは見当違いではなかった。
飛んで火に居る夏の虫ってことかよ。
それにしても魔物ってこんなに賢しいのか。
「ぐっ!」
速度はそれほど変わらない筈だ。
けれど、それはまるで落ちてくる鉄球がごとく。
面積はハルバートの比ではない。
広いのだ。
そして、今はもうその中心まで歩を進めてしまっていた。
必死の一撃。
やばい、頭が真っ白になった!
「うぉぁぁぁおぁぁぁ?!」
それはもう、回避というよりも考え付かなかった結果だった。
ハグをした。
思い切り、魔物の顔面めがけて突撃ハグをした。
「うぉぁぉぉぉぉっぁぁあぁ?!」
絶賛混乱中です。
お腹がむずむずするし、なんか唸ってるし、どうすればいいんだ?!
がしゃん、とハルバートが地面に落ちた音がして、我にかえる。
とっさに離し、地面に一度しゃがみこんでから思い切りバックステップする。
その場から間合いを取ってすぐさまハルバートを拾う。
間一髪のタイミングだった。
視界を奪われたそれの腕が、既に俺の背中をとらえようとしていたところだった。
飛ぶ一瞬前に頭の上の方からちょっとした打撲音が聞こえてきたのは、殴っちゃったんだろうな。
それはもう、自分に活を入れるみたいに。
そこで、一際大きく獣は啼いた。
ご立腹のようだ。
理性も何も飛んでしまっているように見えるほど、青筋がたっている。
ハルバートをそれっぽく構えてみるけれど、どれだけ意味をもつのかわからなかった。
一見してこのハルバートの刃はあまり通りそうにない。
股間をちらりと見るけれど、彼女はどうやら乙女らしい。
あまりに雄々しいのでその線は考えていなかったな。
とりあえず、目でも狙ってみるか。
ハルバートを顔に向けた、瞬間のことだった。
魔物が激しい咆哮をあげたのは。
「うぉぉぁ!」
あ。
驚いて、反射的にハルバートで突きを放つ。
気付いた時にはもうすでに止められない。
放った時点で、終わってしまっていたのだから。
止められるはずがないのだ。
結局。
終局。
あっけなく、戦闘は終わってしまった。
結果はどうなったかって?
僕が語っているんだから言わずと知れているだろう。
ハルバートの柄を思い切り押して、魔物がずどん、と重々しい音とともに仰向けに倒れた。
起き上がる様子はなくても、しばらくその場から動くことができなかった。
これで起き上がってきたらホラーすぎる。
口から脳天まで、ハルバートが突き抜けているその姿で。
生きていられる生物など、いないだろう。
「終わった・・・?」
へたり、と尻もちをつく。
本当に咄嗟の出来事だった。
あまりの迫力に、気押されての行動だった。
それが、功を奏した。
顔に向けていたハルバートを、思い切り口の中に押し込んでやったのである。
結構大きかったんだけど、魔物の口を裂いて、脳天までぶち抜いた。
激しい衝撃のおかげで、左肩が余計に痛み、右手にも痛みがはしっている。
しばらく使い物にはならないかもしれない。
けれど、これだけで済んだのは、よかったのかもしれない。
一番最初にもろに肩に落とされた割には、それほど酷くもなさそうだ。
そこで、ようやく思い至る。
まずい。
非常にまずい。
背筋が冷えていくのがわかる。
僕のところだけに来たとは思えない。
巻き込まれただけの勇者ではないのだから。
皆のところに行ってみないと・・・?
「くっ・・・あ・・・」
足に力が入らなかった。
見事に腰が抜けている。
た、立てない。
両手が痛くて手をつくこともできない。
あれ、本格的に、動けない?!
焦るな。
今焦っちゃだめだ。
ぎぃぃぃぃ。
「ん・・・?」
ドアが開く音が聞こえた。
「おい、何か物音がしたけれど、一体・・・?」
満足に後ろを振り返ることもできないけれど、明人さんだとわかる。
ひとまず明人さんは大丈夫なようだ。
足音がひとつだけではない。
直もいるのか?
「明人さん、とりあえず助けて・・・」
「・・・・・なんなんだ、これ・・・・・」
直が息をのんでいるのがわかる。
当たり前だ。
喋る余裕があるだけましな反応かもしれない。
「明人さん、直、他の皆のところに行かないと」
「あ、あぁ・・・」
明人さんが自失していたところに声をかけられて、思い出したかのように近寄ってくる。
直はまだ魔物に釘づけになっていた。
明人さんが隣にしゃがみこんで怪我の容態を見ているのだけれど、外傷らしい外傷はほとんどないために気付いてくれない。
「腰が抜けて、両腕が使えません」
つまり行動不能です、と付け足して困ったように苦笑して明人さんをみつめる。
「それだけで済んでいることに驚きだ」
「まったくだ」
直が持ち直してこちらにきていた。
直のことばに同意してから、明人さんは少しだけ考え込んでいた。
どうするのかを、かんがえているのだろうか。
にやりと、笑った気がした。
あまり、良い予感はしなかった。
あえて言うなら、何かいたずらをされそうな、そんな感じ。
次の瞬間である。
「うぉ、ちょ、ちょっと、これは!」
腕に負担がかからない抱きかかえ方。
両手はお腹の上で交差して置きなおされ。
膝下に手を入れて、背中にも手をまわし、抱きかかえる方法。
いわゆる。
「ファンタジーな世界なら機会があるかとおもっていたんだがな。二日目。それも、初めてが男だとは、思いもしなかったな」
「人生においてこのような状況になる自分の運命が恨めしい」
御姫様抱っこだった。
まごうことなき御姫様抱っこだった。
なんだこれ。
もう一度。
なんだこれ。
「全国の御姫様がうらやむシチュエーションに文句たれんなよ」
「全国の王子様が憐れむシチュエーションだよ、これは」
直は、固く笑った。表情がすぐれないのがわかる。
あんなものをみたあとで、素直に笑えないのは、僕も同じだった。
「さあ、急ぐぞ」
こうして僕は、御城をお姫様のように、運ばれて行くのだった。
SIDE OUT