15:覚めたり、寝たり
SIDE IN~煙草の中身が寂しい新沼明人~
最近お世話になっている二人部屋の窓際に椅子を置いて。
窓を開放してから、座って胸元に手を入れた。
そこに入っている煙草を取り出し、咥えて火をつける。
久しぶりに煙草の煙で満たす肺は、いつのまにか味を忘れてしまっていたのか。
結果として、むせてしまったわけで。
それでも体が求めているのだから、笑ってしまう。
「・・・・・」
視線を感じて、目を向けてみれば、冷泉が眠た気にこちらをみていた。
止めてしまえば、と言われている。
まあ、ただの被害妄想だが。
お前は、もう寝てしまえ。
そう。
もう、三日が経っていた。
それは幸樹がここに運ばれてからの時間であり。
冷泉が寝ていない時間でもあった。
自身の怪我だって、思わしくないだろうに。
こいつは幸樹の傍から離れようとしない。
いつまでも見つめていると、ふいっ、と目を逸らされてしまう。
考えていたことがわかったのだろうか、煩い、と言われた気がしたな。
分かってもらったところで、聞き入れてもらえる言葉ではないのだろうがな。
もう一度、窓の外に視線を戻して、煙草を燻らせる。
味を思い出した肺が、懐かしむようにその煙を味わっていた。
ゆっくりとはきだして、ぼんやりとする。
空を流れる雲を見つめて。
この世界でも、外の景色というものはほとんど変わらないな、と意識を滲ませていく。
俺は見たことはないが、おそらく、探せば向こうにもこんな景色はあるだろう。
だから、特別に意識するような、景色ではなかった。
月も一つ。太陽も一つ。
まあ、呼び名は違っているし、陽の登り方や、月の沈み方は違っているけれど、大した違いはなかった。
ここは、どこか別の銀河系なのだろうか。
ふと疑問に思う。
それとも、やはり別の世界というやつなのだろうか。
それにしては、いろいろと似通ったところが存在している。
全く別物ではない。
全く一緒でもない。
パラレルワールドとも違い。
やはり、異世界、という言葉が一番近い場所。
答えの出ない論議を、頭の中で展開させる。
不毛だと分かっていても、楽しいのだから、仕方がない。
暇な時にはちょうどいい。
そう結論付けていると、がたん、と物音がして。
考えるのを、止めた。
SIDE CHANGE~寝過ぎて眠気が取れない維新幸樹~
目を覚ますと、長時間眠っていた時に起こる特有の気だるさが襲ってきた。
そして、つい最近覚えたばかりの熱と痛みが襲ってくる。
今回は、上半身のほとんどにそれがある。
あの時は絶対怪我しないように誓ったはずだったのに。
あーあ、と喉が嗄れているから心の中で。
でも、後悔はしていなかった。
視線を動かすのも気だるくて、この異世界で一番見慣れている天井を見続ける。
ぼんやりとしながら、ゆっくりといろいろ思い出す。
結果から、過程を、順番に。
やはり、というか。どうにも失敗ばかりしていて、気が滅入ってくる。
死にかけたときは気にしなかったことも、生き残っている今では違っている。
あー、嫌われたかも。
僕が守ろうとした彼女の事を思う。
それは果たせなくて。
何一つ、してあげられなかった。
がたん、という音に考えを遮断されて。
それがすぐそばで、椅子が鳴ったのだとそちらに考えを巡らせた。
誰だろう。
でもまあ、いいか。
この部屋に居るのは、どうせ彼だけだし。
顔を動かすのもだるいし、勘弁してもらおう。
「目・・・覚ました・・・!」
驚いて、そちらを向いた。
冷泉・・・さん?
椅子から起き上がり、ベッドの間近まで寄ってきて、僕のすぐそばで、起きている事を確認している。
目が潤んでいる。
そして、変な声だった。
普段からは想像もできないような、涙声。
震えていた。
それも、あいまって。泣いてしまうんじゃないかと思った。
「起きたか」
足音が近寄ってきて、視界に明人さんが入る。
彼女のすぐそばで、こちらを見下ろしている。
煙草の臭いがかすかに鼻をつく。
また吸っていたのか、と苦笑い。
「せん、せんせい・・・」
「俺が呼んできてやる。傍にいてやれ」
彼女が飛び出そうとした瞬間に、彼は彼女の頭に手を置いて。
優しく笑って、医者を呼びに出ていった。
二人きりで、僕らは部屋に取り残される。
ようやく冷静になって気まずい想いがこみ上げてくる。
「 」
そんな空気に、耐えきれなくなって。
何かを喋ろうと思い口を動かしたけれど、結局は餌を求める魚みたいになってしまった。
ぱくぱくぱく。
確かに水は欲しいけれど。
そんな魚の真似をして求めるつもりは毛頭なかった。
「何?」
何だろう。
自分でもわからない。
何か、言いたかったような。
喋りたかっただけの、ような。
でも、そうだ。
「げん、き。そう、だ、ね。よかっ、た」
心残りだったことが、あった。
剣を折ったことを気にして、ひどく沈んでしまっていたから。
押しつぶされてしまいそうだったから。
殺されるようなことはないと思ったけれど、自分から死んでしまうことは、ありそうだったから。
泣きそうだけれど、思いつめた様子はない。
それが、本当によかった。
それにしても。
喋るたびに痛い。
本当に痛い。
これだけ喋れれば、もう満足だ。
というか、もう喋らない。
決めた。
今決めた。もう決めた。
そう。
痛いから、そう決めたのに。
何事も、ままならないもので。
一言でいえば。
ぐぇ。(←カエルがつぶれたような声)
だが、そこは根性でなんとか悲鳴を飲み込んだ。
彼女が、抱きついてきたのだ。
何が彼女をそうさせたのか、わからないけれど。
付き合いは短いけど、冷泉さんは滅多な事では、こんなことをする子ではない。
いや、あーん、とかしたけど。
でも。
決して、人前で泣くような、女の子じゃない。
そう、彼女は泣いていた。
それを隠すためだったのだろうか。
泣き顔を見られたくないという気持ちは、わかる。
それに一応気遣ってくれてはいるのか、掴まれているのは布団。
「よかったよぉ」
泣き声は震えて、掠れて、ほとんど聞き取れないほど小さいものだったけれど。
聞こえた。
どれほど、心配させてしまったのだろうか。
心の中に、一瞬だけ影が落ちて。
それはすぐに消えていった。
ごめんね。
ごめんね。
そして、ありがとう。
彼女は、表情にはださないけれど、本当に怪我を気遣っていたことを思い出す。
僕のも、明人さんのも。
人の痛みを知っている子だったのだ。
人の想いを受け止められる子だったのだ。
そして、それで、いっぱいになってしまうような子だったのだ。
ほとんど他人の僕にも分かるほど、強烈に。
抱きしめてあげたい気持ちになるけれど、あいにく両手が動かない。
なんとかしたい想いはあるけれど、どうにもならない。
はがゆかった。
何か言葉にするにも、もう喉は枯れていた。
さめざめと。
部屋の中に彼女の泣き声だけが響き渡った。
SIDE CHANGE~落涙れでぃ冷泉陽菜~
私のせいなのに。
こんな怪我を負ってしまったのは、私が役立たずだったからの、はずなのに。
怒られると思っていた。
暗い意識の中で、奮い立たせてくれようとしていた彼に応えらなかった。
その結果がこれだ。
怨まれても仕方がない。
なのに。
優しすぎる。
ああ。
ああ。
溢れだす涙を止めることはできなかった。
せめて、と顔を見られないように抱きついた。
見られたくない。
きっと、今私は酷い顔をしているから。
でも、耐えられない。
嬉しくて、嬉しくて、仕方がないから。
安堵とともに、決壊してしまった。
口もきいてもらえないと思ってた。
冷たくされてしまうと思ってた。
役立たずだと罵られると思ってた。
それなのに。
なんて思い違い。
暗い意識のなかで、浮かび上がらせてくれるほど、優しかったのは誰だったのか。
なんてひどい、勘違い。
投げられた石が、どんな想いで投げられていたのか。
すでに私は、知っていたのに。
そして。
あんなにも、求めていた言葉を。
諦めていた言葉を。
また言ってくれた・・・!
想いが、止まらなかった。
部屋の中に、私の嗚咽だけが静かに響いていた。
さらり。
何かが、私の髪に触れる。
驚いて、それを見て、それが包帯まみれの手だとわかった。
痛くないわけがないのに。
内臓を引き裂かれる様な痛みに近いはずなのに。
また私のために。
遠慮がちに頭をなでてくるのは、その手が包帯まみれだからか。
それとも薬品のにおいが、染みついているからだろうか。
そんなことを、気にしているくせに。
泣いてる私を、なぐさめようとして。
このままじゃ、いけない。
そう思って。
その手を取って、頬に寄せる。
気にしないで、と言いたくて。
ありがとう、って伝えたくて。
「大丈夫、ですから。もう少しだけ」
止まりそうにない涙に視界を歪ませながら、彼の顔を覗きこんだ。
朧なはずなのに。
はっきりと私には。
彼の、優しい笑顔が見えていた。
SIDE CHANGE~絶賛やせ我慢中の維新幸樹~
明人さんは医者だけではなく、皆を連れ添って帰ってきた。
そして、僕のそばで泣き疲れて寝てしまった彼女を見て、皆が優しく微笑んだ。
そして、皆が安心したようにもみえた。
小山田さんが、僕の手を握ったまま寝てしまった冷泉さんに毛布をかける。
「ようやく眠ってくれた」
それから彼女は、そう呟いた。
「?」
「陽菜ちゃん、貴方が倒れてから寝てなかったのよ。ずっと傍で看病していたの」
いまいち、ピンとこない。
そもそも、寝ていた時間がわからない。
「あれから、三日だ」
明人さんが察して答えをくれて、ようやく事態が飲み込めた。
驚いた。
寝ていた時間よりも、それほど心配させてしまっていたのかという事実に。
ようやく合点がいった。
彼女の様子に。
泥のように眠る彼女は、まるで死んでしまったかのように動かない。
「幸せそうな顔しちゃってまぁ」
小山田さんが冷泉さんの頬をぷにぷにしながら、笑う。
幸せそうな顔・・・。そう言われたら、なんとなくそう思えない事もないか。
彼女は何の反応を示さない。
思う存分遊ばれている。
起きちゃいますよ、と言おうと思ったけれど、到底起きそうにないから、別にいいか。
喉も痛いし。
肺はもっといたいし。
まあ、微笑ましいし、ね。
「元気そうだな」
直は小声だった。
彼女が寝ているから気を遣っているのだろう。
それなら、まだぷにぷにし続けている小山田さんを、そろそろ止めた方がいいと思う。
いくらなんでも、やりすぎじゃないか?
「ええかね?」
いつのまにか冷泉さんとは反対側に医者は来ていて、そっと僕の頭に手を置いた。
二回。
僕の体が波打った。
「ふむ」
前とは違い、継続した揺れはなく。すぐにおさまる。
「命に別状はなかろう。本格的な治療も、明日以降がええじゃろう。体力が戻りきっておらんからの。今日はこの薬をのんで安静にしてなさい」
医者が持参したかばんから、薬を取りだした。
それを近くに控えていた直が受け取って。
「ほらよ」
近づいてきて、背中に手をまわして抱き起してくれる。
絵にならない姿だった。
文句は言わないけど。
どうせなら小山田さんのほうがよかったなぁ。
なんて、言わないけど。
前に明人さんにもやってもらったしね。
もう慣れっこですよ。
直はもう片方の手にコップを持って、まずは口に含ませてくれる。
正直、そのまま薬を出されていたら思い切り吹いて顔にかけてやるつもりだったが、その必要はないようだ。
飲み干すとすぐに薬を差し出してきた。
粉薬だ。
苦手、なんだよなぁ。
「口あけろ」
無意識に。
つぐんでいた口をあける。
さらさらと流し込まれる薬。
・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
どれだけ僕が吐き出すのを我慢したか。
想像していただけただろうか。
水を差し出しながらもその様子を見ていた直が、悪戯に笑う。
不相応な子供っぽい顔だ。
「良薬だったみたいだな」
大当たり。
分かってるみたいじゃないか。
そう。
苦い・・・!
ピーマンと青汁を足して二で掛けたような。
そんな味だった。
うげぇ、これはひどい。
喉に近い舌に、まだ残りが滞在して、苦味が続いている。
これは効かなかったら怨んでしまうレベルだ。
もう、二度と飲みたくない。
飲み干してしばらくして、直はひとしきり笑った後に、コップに残った水を全部、回数を分けて口に運んでくれた。
「ついでだ」
その後に、飴を取り出して口元まで持ってくる。
それを受け取って、ようやく口の中が落ち着いた。
「苦いだろうと思って、わざわざかばんから取ってきたんだぜ。感謝しろよ」
それはもう、盛大に。
笑ったことと一緒に覚えておいてやる。
「それじゃあ、お大事に」
ゆっくりと、寝かされて、布団をかけなおしてから直はドアへと向かった。。
「安静にの」
「ゆっくりやすめ」
「おやすみ」
それから皆が続々と直の後に続く。最後までぷにぷにしていた小山田さんが、ふいに、にやりと笑った。
そそくさとドアの前まで移動して、一言。
「襲っちゃだめよ」
あの、僕、怪我人なんですけど。
口の中の飴を転がしながら、はぁ、と一度だけ大きく。
溜息をついた。
SIDE OUT