第98話:ニコ視点の違和感
白装束が放つ修正の波動が、広場という帳簿を白く塗り潰していく中で、ニコは必死に味方の、そして一時的に共闘の形をとっている追跡者たちの援護を続けていた。
彼女の二重の影が不安げに揺れる。ニコは、自分たちの魂が削られ、変質していく様子を、誰よりも敏感に感じ取っていた。
遠ざかる背中
ニコには見えていた。戦いの中、アルフとアズライトの存在が、物理的な距離とは無関係に、どんどん遠い場所へと流されていく感覚を。
「……アルフさん、アズライトさん!」
ニコが叫び、魔力を込めた声を飛ばす。だが、その声は二人に届いているようで、どこか虚空を滑っているように感じられた。
アルフは、確定した未来へと意識を飛ばしすぎている。彼の存在は、今のこの瞬間から剥離し、観測しにくい「結果の向こう側」へと漂流を始めている。
アズライトは、今という器を削りすぎている。自分という存在を燃料にして一撃を捻り出すたび、彼の輪郭は細くなり、この世界から抜け落ちそうなほど尖り続けている。
二人とも、加速度的にこの世界の理から遠ざかり、別の位相へと消えていこうとしている。まるで、霧の向こう側へと去っていく旅人の背中を見ているようだった。
変わらない一点
だが、その絶望的な乖離の中で、ニコはもう一つの、より深い不気味さに突き当たった。
「……マラカイト、さん?」
ニコは、アズライトの陰に隠れるように立つ少女を凝視した。
おかしい。
アルフも、シエナも。修行を終え、アズライトもこの戦いに身を投じている全員が、一刻一秒ごとにその存在の質を変容させている。世界の修正を受け、あるいは抗い、激しく摩耗し、変質している。
なのに、マラカイトだけは違った。
彼女との距離感は、この広場で対峙した最初の瞬間から、一ミリも変わっていない。
彼女は、アルフたちのように未来へ踏み出すこともなければ、アズライトのように現在を削ることもない。白装束の修正を受けてなお、彼女の呼吸、彼女の立ち姿、彼女から放たれる魔力の温度は、最初から完全に固定されていた。
近づきもしない。離れもしない。
時間の流れさえも無視して、彼女だけが「最初からそこにいたまま」の状態で静止している。
停止した存在
ニコは、自分の感覚が捉える情報に、背筋が凍るような戦慄を覚えた。
「マラカイトさんだけ、何も起きてない……。疲れてもいないし、消耗もしてない。それどころか……」
ニコの目には、マラカイトがこの激動の戦場において、唯一の「不動の標本」のように見えた。彼女だけが、最初から何も失っておらず、何も得てもいない。
アズライトを支えていると言いながら、彼女はアズライトが削り取られていく様子を、ただ同じ場所で見つめ続けている。その眼差しには、悲しみも、焦りも、あるいは喜びさえも、最初から存在していなかったのではないか。
「この人……最初から、何一つ変わっていないのでは?」
ニコがその事実に気づいた瞬間、マラカイトがゆっくりと顔を上げた。
「ニコさん、どうしたんですか? 私の顔に、何かついていますか?」
マラカイトの微笑みは、最初に出会った時と全く同じ角度、全く同じ声のトーンで放たれた。それは生命の温もりというよりは、完成され、二度と動くことのない冷たい芸術品のようだった。
白装束の修正が及ばない、停滞した存在。




