第76話:ありがとよ
境界の別れ
冷たい朝靄が立ち込める境界線。ハルトに導かれ、アルフ、カレン、シエナ、そしてニコの四人は、施設から遠く離れた未知の旅路へと足を踏み出そうとしていた。
アルフは一度だけ足を止め、振り返った。その瞳には、子供らしい未練などは微塵もなかった。あるのは、この理不尽な因果をねじ伏せ、カレンを守り抜くという冷徹な決意だけだ。
「……ピーター。あんたの言った『投資』、無駄にはさせない」
「ああ、期待してるぜ、少年。精々その『怪物』を立派に育て上げな」
ピーターは軽薄な笑みを浮かべ、ひらひらと手を振った。
「じゃあな。死ぬんじゃねえぞ。死んだら、お前が俺に払うはずの報酬が焦げ付いちまうからな」
その言葉を最後に、アルフたちは霧の向こうへと消えていった。シエナの背中には、かつての戦友を自らの手で葬った重みが残っていたが、その歩みは不思議と力強かった。
二人だけの静寂
四人の姿が完全に視界から消え、平原にはピーターと、役目を終えて戻ってきたハルトの二人だけが残された。
周囲に動く影はない。白装束の襲撃も止み、世界から音が消えたかのような錯覚に陥るほどの静寂が、辺りを支配していた。
ピーターはアズライトの柄に手を置き、空を見上げた。その瞳から、先ほどまでの道化のような光が消え、深淵のような冷たさが戻る。
「……さて。これで舞台の準備はすべて整った。アルフも、シエナも、自分たちの足で因果の螺旋を登り始めた」
隣に立つハルトは何も語らない。ただ、主の言葉を待ち、静かに佇んでいる。
「ハルト、お前もわかっているだろう。俺にとって、もうこの世界に用はない。ここでの商談は、あいつらが旅立った瞬間にすべて完了したんだ」
ピーターは自嘲気味に笑い、地面に転がっている白装束の残骸を無造作に踏みつけた。彼の目的は最初から、この世界の均衡や救済などではなかったのかもしれない。ただ退屈を紛らわせるための、あるいはさらなる高みへ至るための、通過点に過ぎなかった。
「だが……去る前に、最後にあれだけはやっておこう」
ピーターの言葉に、ハルトの瞳が僅かに動いた。
「この世界の因果律が、あいつらにこれ以上余計な干渉をしないようにな。……最高の『清算』を、派手にぶちかましてやろうじゃねえか」
ピーターは凶悪な笑みを浮かべ、施設の地下へと続く階段へ視線を向けた。その奥には、かつてこの世界の理を司ろうとした者たちの、歪んだ残滓が眠っていた。
二人の影が、朝焼けの光に長く伸びていく。それはこの世界の歴史から消え去る前の、最後にして最大の破壊の予兆であった。




