第71話:始まった時から終わってる
施設の外壁を這う灰色の霧が,月光を遮り不気味に蠢いていた.正面口を見下ろす高台には,ハルトが巨大な狙撃銃を静かに構え,一切の鼓動を殺して闇と同化している.その傍らで,ピーターはアズライトの聖剣を肩に預け,虚空を見つめながら呟いた.
「……おかしいな.俺の知る限り,この場面で『白』がここまで本気で動く展開はなかったはずだ」
ハルトは答えない.ただ,照準器の向こう側に映る数多の熱源を,無機質な瞳で追っている.ピーターは顎に手を当て,思考を巡らせた.
「シエナが離脱し,アルフが覚醒し,ニコが絶望する…….本来ならもっと後のイベントのはずだ.因果の歯車が狂いすぎて,もはや元の筋書きは粉々か」
風が吹き抜け,ピーターの髪を揺らす.彼は確信に近い予感を覚え,ぽつりと漏らした.
「……ハルト.もしかするとこの世界,俺たちの知らねえ『Bルート』に入っちまったのかもしれねえな」
ハルトの指が,引き金に薄く触れた.それが彼なりの肯定であったのか,あるいはただの戦闘準備であったのかは,ピーターにもわからなかった.
霧の中から,音もなく「白」の精鋭たちが姿を現した.その数,十数名.先ほどアルフたちが相手にした者たちとは,纏う殺気の密度が違っていた.
「……さて,ハルト.お前はそこから漏れた奴を掃除してくれ.前座の相手は,俺一人で十分だ」
ピーターが平原へと踏み出す. 白装束たちが一斉に地面を蹴り,死角から同時に三振りの刃が襲いかかった.しかし,ピーターはそれを紙一重の入身でかわし,掌底一つで先頭の男の頭蓋を揺らす.
魔法も,重力操作も使わない.ただ大東亜帝国で培われた純粋な暴力の「理」が,白装束たちを翻弄していく.
「遅い,鈍い,話にならん」
ピーターが動くたび,誰かの四肢が不自然な方向に曲がり,絶叫を上げる暇もなく地面に沈んでいく.嵐のような猛攻をすべて体捌きだけで無効化し,彼はわずか数分で,立っている者を最後の一人まで追い込んだ.
最後に残された白装束の隊長格は,自らの喉元に突きつけられたアズライトの刃を見つめ,絶望に顔を歪めた.
「……待て,頼む……殺さないでくれ……! 私には,病床の娘がいるんだ……この任務を終えれば,あの子に薬を……!」
男の瞳から,大粒の涙が溢れ出した.あまりに哀しく,人間味に溢れた身の上話.それは誰もが手を止めてしまうような,必死の命乞いであった.
「そうか.それは大変だな」
ピーターは無表情にそう答えた.男の顔に,わずかな希望の光が宿った瞬間――.
「――だが,知ったことかよ」
ピーターの腕が冷徹に閃いた. 男が言葉を言い切る前に,その首は平原を舞い,言葉の続きが紡がれることは二度となかった.
血を拭うこともなく,ピーターは背後のハルトを見上げた.
「『修正』なんて高尚なもんじゃねえ.ただの殺し合いだろ,これは」
高台から響くハルトの静かな排莢の音だけが,ピーターの独り言に応えていた.




