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【朗報】ワイ元成金、最期に少女を救い異世界送りになった模様  作者: 限界まで足掻いた人生


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第70話:澱みの底の記憶

分かち合う痛み

キッチンの隅で,カレンは震えるニコの背中にそっと手を添えていた.泥の混じったパンを無理やり飲み込み,胃の奥に広がる不快感と絶望に耐える少女に,カレンは自らの幼い記憶を語り始めた.


「ニコお姉ちゃん.私ね,お兄ちゃんと二人でスラムにいた頃のこと,今でもよく覚えてるんだ.」


カレンの静かな声が,静寂に包まれた室内で微かに響く.


「毎日お腹が空いて,ゴミを漁るのも精一杯で.……でも,月に一度だけ,広場で無料のパンが配られる日があったの.私たちみたいな子供たちが何百人も集まって,たった一つの黒パンを奪い合うような,そんな場所だった.」


ニコは涙を拭い,虚ろな瞳をカレンに向けた.カレンは悲しげに,けれどどこか誇らしげに微笑んだ.


「お兄ちゃんはね,いつも自分の分を隠して,私に食べさせてくれたの.『俺はもう食べたからいい』って嘘をついて.……あの時のパンも,さっき食べたのと同じくらい冷たくて硬かったけど,私にとっては世界で一番温かい食べ物だった.」


パンが繋いできた命.ニコの父ルカが守ろうとした「日常」は,かつてのアルフとカレンにとっては、手の届かない「奇跡」そのものだったのだ.


「お父様が残してくれたパンは,ニコお姉ちゃんの中にちゃんと残ってるよ.だから,一緒に生きよう? 私も,お兄ちゃんも,ニコお姉ちゃんのパンがまた食べたいんだ.」


ニコはカレンの小さな体を抱きしめ,再び声を殺して泣いた.その涙は,先ほどまでの絶望だけのものとは違い,微かな熱を帯びていた.


闇に沈む足音

通路の暗がりに身を潜め,アルフはその会話を静かに聞き届けていた. スラム時代の記憶.それはアルフとしての記憶であり,田中豪としての記憶ではない.だが,カレンが語る「兄」の献身は,今の彼にとっても唯一の守るべき指針となっていた.


(パン一つで繋がる命か.……安上がりな運命だな.)


田中豪としての冷徹な思考が,皮肉な笑みを浮かべる.かつて数千億の金を動かした男にとって,パン一切れの価値は塵に等しかった.しかし,今の彼には、その塵ほどの重みが、全財産よりも重く感じられた.


その時,アルフの隣に音もなく影が落ちた.


「……来たぞ.」


ハルトの短く,無機質な一言.その瞳は一切の感情を排し,施設の入り口を凝視していた.


「『灰色の影』か.」


アルフは手の中で黒い魔力を練り上げた.先ほどの白装束たちとは格が違う.シエナのすべてを知り尽くし,運命の歪みを正そうとする「修正者」.


「アルフ,お前は奥でニコたちを守れ.……ここは俺とピーターで食い止める.」


ピーターもまた,いつの間にかアルフの背後に立っていた.その手にはアズライトの聖剣が握られているが,その表情にはいつもの不敵な笑みはない.


「いや,俺も出る.」


アルフは一歩前に踏み出した.


「シエナの過去も,ニコの絶望も,全部ひっくるめて俺が買い取ったんだ.……運命なんて安い言葉で,これ以上俺の持ち物を汚されてたまるかよ.」


成金王の傲慢さが,少年の声となって冷たく響く.


施設の換気口から,音もなく灰色の霧が流れ込んできた.その霧の向こう側から,一切の殺気を消した「死」そのものが歩み寄ってくるのを,彼らは肌で感じていた.

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