おやすみ 良い夢を
アルファガとレベンドラが見守る中、料理が出来上がったころには、あたりは夕闇が訪れていた。
太陽は再び天界の底へと上り、代わりに月が降りてきて夜の帳が降りた現世を、天界の底で輝く無数の星々と共に照らしている。
それに加えて暗闇を怖がる者が居るかもしれないから、とレベンドラの提案によって空中にエーテルを利用した灯りがいくつも浮かび上がり、昼さながらの明るさと神秘的な光景が中庭に広がっている。
出来上がったのは名前らしい名前もないごった煮のシチューだが、食事らしい食事が久しぶりであるのと温かな食事が生を実感させて、犠牲者達は誰もが目じりに涙を浮かべながら食べていた。
アネモネとレベンドラもお相伴に与り、皿を片手に人々に語り掛けてゆく中、アルファガも気になっていた一団に声を掛ける。
エーテルの光の中でアルファガの黒い鱗は、星の灯りを映す夜の海のように輝いていた。
「お前達にとっては馴染みのない環境だろう。すまんな。出来るだけ早く住み心地が良くなるように整える。
もちろん、先ほども言ったが故郷に帰りたいというのなら、それで構わん。出来る限りのことをするぞ」
アルファガが繰り返しになることを告げたのは水を一杯に溜めた大甕に下半身を漬けている人魚『ギョレイド』と取り戻した翼を折り畳んでいる有翼人『ビウネ』、あるべき鱗を取り戻した『ディノイド』に人間の子供ほどの大きさのモグラ『ドリュウド』の四種族である。
レベンドラやアネモネなどのヒューマンと合わせて五大種族と呼ばれる者達だ。それでもヒューマンと他の四種族を合わせて、数はようやく同じ程度だろう。
大陸各地に散らばるそれぞれの生息地で生きる彼らまで、ナラカミ収容所に幽閉されて、口にするのも憚られる実験の贄にされていたのだった。
外見だけで言えば恐ろしさしかないアルファガからの問いかけに、ギョレイドの一人が真っ先に答えた。顔には恐怖の色はなく、畏敬と感謝が色濃く浮き出ている。
「謝っていただく理由はありません。こうしてあの地獄から救い出していただいただけでも、どれだけの救いになったか。
もうずっと前に二度と泳ぐ事も歌う事も出来なくなったと、そう思っていたから。連れ出してくれただけじゃない。身体だって、それに心だって助けてもらいました」
ギョレイド達の内、青い巻き毛の女性が仲間達を代表するようにして答えた。彼女らにとって食べなれない陸のシチューだって、今ばかりはなによりのご馳走だ。
涙に震える声は、息を呑むほどに美しい。時に人間に姿を変えて、類まれな歌が踊りを披露するという伝説のあるギョレイドだが、この声ひとつ聞くだけでも確かにと思わせる説得力がある。
ギョレイドの悲嘆と感謝はビウネ達も同じ気持ちのようで、その中の鮮やかな黄緑色の髪の少女が目じりに涙を浮かべながらアルファガを見つめて切々と胸の内を語った。
鮮やかな黄緑や緑の色彩の中に赤の混じる翼を持ち、膝から下は猛禽類のものとなっている。
「あたし達は水の中を知らないけれど、もう空を飛べないって思っていたから、きっと同じように苦しかった。
あたし達も歌うのが好きだったけれど、あそこに連れて来られてからはもうずっと、あんなに大好きだった歌を忘れちゃってた」
「俺の都合でした事だ。何度でも言うが気にするな。とりあえず近くに湖はあるし、ここは元々、山脈の中にある。もっと空に近い場所に案内もしてやれる。少しは慰めになるだろう。
ディノイドとドリュウド達よ。お前達もなにか困ったことが遠慮なく言え。俺が相手では言い辛いのならレベンドラとアネモネに伝えてくれればいい」
地面に胡坐をかいてシチューを食べていたディノイドの内、もっとも体躯の大きな砂色の鱗の男性が竜であるアルファガと似て非なる顔立ちに、真剣な表情を浮かべてアルファガを見返していた。
人間と同じ体型の恐竜というのが、彼らディノイドの特徴だ。それでいて人間をはるかに上回る膂力と鋭敏な五感、人間並みに手先の器用さと知性を併せ持つ。
「我々も彼女らと同じような気持ちである。原初の時代より存在する混沌の竜よ。この世界にあれほどの悪意があったとは知らなかった。我らのみならず自分達の同胞まで贄にするとは……」
ディノイドは犠牲者の大多数を占める人間達に視線を向ける。その瞳には人間に対する怒りや憎しみではなく、憐憫の情が強く込められていた。種族は違っても同じく瘴気を利用した実験の犠牲者なのだと、そう考えているのだろう。
ドリュウドはまたくりくりとした瞳で自分達とは比較にならない大きさのアルファガを、恐怖ではなく感謝と親しみの念をもって見上げた。
「僕達からもアルファガ様に心から感謝を申し上げます。瘴気にやられておかしくなってしまってからの記憶はありませんが、そうなるまでの辛い記憶は決して消えないでしょう。
それはどんな種族であっても、あの収容所に居た犠牲者全員が共有する苦しみで、悪夢なのです。ですから悪夢から目を覚ませてくださったアルファガ様達には、感謝しかありません」
四種族の言葉にアルファガは小さな溜息を零した。助け出されたばかりだからかもしれないが、揃いも揃って欲のない事ばかりを言う。
しかし、尊厳を踏みにじられる環境から救い出された直後なら、こういうもなのかもしれない。衣食住が満たされ、生活に余裕が出てくれば欲しいものが出てくるだろう、とアルファガは考えた。
「感謝の言葉を拒否するような真似はせん。まあ、今夜は話し込む予定はないことだし、明日から先のことはまた明日、改めて聞く。今は腹を満たすのを優先してくれ。長々とすまなかったな」
感謝の言葉を次々と向けられて、アルファガはどうも調子がおかしい、と首をひねる思いだった。どうやら人から感謝されるのに慣れていない所為で、照れているらしかった。
いくつもの大鍋いっぱいに作られたシチューはあっという間に空になった。収容所から脱出して、このソルポートに到着するまで、超音速で飛行してもそれなりの時間が経過している。
疲労や環境の変化から食事が喉を通らない者が居てもおかしくはなかったが、アルファガの血と魂の欠片の影響か、全員がスプーンを動かす手を止めずに食事をしたので、アネモネとレベンドラはほっと安堵の息を吐いたものだ。
食器類や竈、大鍋の片づけをすべて木偶と分身竜に一任して、救出した人々はまとめて城内にある巨人達の使っていた部屋の一つに通された。
ソルポートの墜落時に多くの部屋が崩壊しているが、アルファガによって最低限の補修がされており、見える範囲で罅などはない。
二百名が横になってもまだ余裕のある広さで、なにもないがらんとした部屋だ。床も壁も継ぎ目一つない素材でできており、素手で触れても不思議と冷たくはない。そこにナラカミ収容所から持ち出した毛布やカーテンなどの布類を敷いて、就寝の環境を整える。
同じ部屋で就寝予定のレベンドラは流石に鎧を脱ぎ、ボディスーツの上に寝巻を重ね着している。ボディスーツを脱がないのは、万が一の事態に迅速に対応する為だろう。
「皆、今日はここを寝室代わりにしてくれ。それぞれの住まいについては明日から、遠慮なく意見を出し合って決めて行こう。
このソルポートの市街はほとんど壊滅しているが、城内には無事な部屋もあるし、新しく自分達で家を建ててもいい。よろしいのですよね、アルファガ様」
部屋の二百人の声を掛けていたレベンドラからの問いに、入り口で足を止めていたアルファガが鷹揚に頷き返す。事前に確認は済んでいる。
「ああ。もし市街を探索に行く時には崩落の危険があるから、自分達だけでは行くな。俺の方で案内をつける。それにここは短期間を過ごすならいいが、元々は巨人族に合わせた造りだ。お前達には根本的に合わんよ。部屋の造りが合わないという点では、お前達にももっとマシな家を用意せんとな」
アルファガの視線の先には、吶喊で造られた巨大な水槽の中に移ったギョレイド達と翼がある為、寝づらそうなビウネ達が居た。
ギョレイド達には水中の家屋か水の流れのある水槽が必要だろうし、ビウネ達には故郷で使っていたのと同じような寝具を用意しなければならない。
「なにからなにまでお世話になっていても心苦しいですから、自分達の寝床くらいは自分達で用意しますわ。ただそれにもまた助けが必要なんでしょうね……」
水槽の縁に身を乗り出して憂いの溜息を零すギョレイドに、ビウネもうつ伏せに体勢から体を起こして同意する。
「あたし達はまだいいけど、ギョレイドの人達は水が必要だからもっと大変ね」
「ふふ、でも寝る場所を選べるなんて、とっても贅沢」
「あー、本当だ! あたし達、いまとっても恵まれてるね」
ついこの間までの境遇を思えば確かにそうなのかもしれないが、ギョレイドとビウネの少女達が笑顔で語る言葉は、かつて追いやられていた彼女達の辛い境遇を想起させるもので、アネモネとアルファガは口を噤んだ。
「ほらほら、もう眠ろう。明日はもっといい日になる。そう思いながら眠るなんて久しぶりだろう。夢の中だけでも幸せでありたいなんて、思う必要もないしね」
気付いているのかいないのか、レベンドラは朗らかに同じ犠牲者としての目線から就寝を促していた。アネモネとアルファガはなにも言わず、黙っているだけだった。さしもの混沌竜にも出来ることはなかったらしい。




