救済の雨
シンラースとシンラストを撃破したアルファガは追加の瘴魔が出てくるかと、周囲のエーテル反応の変化を探ったが、特にそれらしい兆候はない。
「残った連中はなし。追加の増援もなしと。アネモネの『夢霧暗眩』で俺との戦闘の様子を観測できなかった事には、さぞ苛立っているだろう」
黒幕たちからすれば、使い捨てにしたとはいえせっかく作ったシンラースとシンラストだ。
いずれアルファガを本格的に討伐する為にも、今回の戦闘のデータは黒幕側にとってぜひとも欲しかったものに違いない。
「他にもここと同じような施設があるだろうが、虱潰しにしてやる。案外、英傑達と俺の決戦を御膳立てしたのは、この収容所を作った連中だったかもな。さて、そろそろやるか」
アルファガが右前肢を軽く振ると、無力化したシンラースとシンラストの胴体や手足に黒い光の輪が架せられて、ぐったりとしたまま動かない二体を持ちあげる。
エーテルを複雑に編み込むことで詠唱を省き、沈黙のまま魔法を発動させる高等技術だ。
シンラースとシンラストをナラカミ収容所の敷地の仲間で運ぶ道すがら、上空から降下してきたアネモネと合流する。今も『夢霧暗眩』を維持しているから、ソルデウスも一緒に着いてきている。
「アルファガ様、そちらの者達も救済されるのですか?」
アネモネの関心は新たな瘴魔人達に向けられている。レベンドラは元から騎士団長を務めた実力者だったから、生まれ変わった後もすぐに戦闘をこなせた。シンラースとシンラストも同じように即戦力になるかは未知数だ。
アルファガによる帝国を公に知らしめるには、それなりに体裁を整えてからになる。その時に使える臣下は多い方が見栄えもする。願わくはレベンドラよりも扱いやすい者であって欲しいところ。
「ああ。生きたいと願うか、死にたいと願うかまでは、こいつらの選択次第だが、姿くらいは元に戻す。地下のレベンドラと身外身も捜索を終えている。このまま、犠牲者達もまとめて治す」
アルファガは思いのほか優しくシンラースとシンラストを敷地の上に横たえてから、頭上の空間に波紋を起こす。エーテルによって創り出した亜空間から、巨大な液体の塊が取り 出される。
ほのかに青く染まる液体の正体が分からず、アネモネは困惑混じりに頭上の液体を見上げるばかり。犠牲者救済のために必要なものだとは分かるのだが……
「俺の血を全員に行き渡らせるには少々数が多い。貧血になってしまうかもしれないからな」
「は、はあ」
貧血云々はアルファガなりのジョークだったかもしれないが、アネモネへの受けはよくなかったようだ。
困惑の表情を浮かべたままのアネモネを見て、いまいちだったか、とアルファガは内心でポツリと零す。人を笑わせる才能については、あまり恵まれなかったようだ。
「アレは液化した高濃度のエーテルだ。俺の血と魂の欠片を溶かして、皆に与える。瘴気に穢れた身体と魂にエーテルはよく効く」
「前例があるのですね」
「末期の巨人族が奴隷達を使って、反吐が出るような実験を重ねたのさ。俺が戦ったのは大戦の終盤だったが、瘴気を浄化する手段については他の種族と共同で研究したこともある。アレはその成果のひとつだ。二度と使わずに済めば良かったんだがな」
アネモネの見ている前で、アルファガは左前肢の指先を切り、そこから血の筋が頭上の液化エーテルへと上って混ざり合う。
自分の魂の欠片と血が液化エーテルとほどよく混ざり合ったのを確認してから、アルファガは地下のレベンドラ達へ思念を飛ばす。
『レベンドラ、聞こえているか、レベンドラ』
『はは! 明瞭に聞こえております、我が君。そちらの戦闘も終わられたのですね。戦いの余波がこちらにも伝わっておりました。アルファガ様はもちろんのこと、戦っておられた二体もかなり強力なエーテルを持っておりましたね』
『ああ。お前にはやや劣るが普通の人間では何千、何万と数を揃えてもどうしようもないだろう。だからこそ需要があるのかもしれんが、瘴気に汚染された世界を見て、こんなはずではなかったと後悔しても遅いのだがな』
普段は現世に関心を寄せない魔界の妖魔達も、自分達とまとめて世界が滅びるとなればなにかしらの行動に出るだろう。同じように天界の天霊達も動くに違いない。
そうなれば巨人族の増長と傲慢を原因とする、三界大戦の再来を招きかねない。例え瘴気の氾濫を防げても、現世は壊滅的な被害を受ける。
『人間同士の争いでは済まないと理解していたら、こうまで面倒にな事態にはならなかったのに』
『だからこそ、そうさせない為にもアルファガ様に世界を治めていただくのです。人間の愚かさは変わりませんでした。アネモネ殿の言う通り、人間でないものの支配を試す時なのです』
『やると言ったからには最善を尽くすさ。それくらいの責任感はある。人間の支配の仕方など知らんが、ま、気長にやる予定だ。
おっと話が随分と逸れたな。俺はこれから犠牲者達の瘴気を浄化する。浄化が済んだら、全員を連れて上がってこい。それと手が足りんだろうから追加を送る』
『承知いたしました。一人残らず連れて参りましょう。例え死を望む者が居たとしても、こんなところが最後を迎える場所では、あまりに哀れです』
『そうだな。いずれは故郷なり、望む場所に埋葬してやりたいものだ』
アルファガの思念にやんわりとだが憐れみの感情があるのを感じ、レベンドラは人間とはかけ離れたこの主君に、慈悲の心があるのを心底喜んだ。この方なら世界をよりよく導いてくださると、身勝手な期待をより強く補強できるから。
早くもレベンドラから彼女の思い描く理想像を押し付けられているのに、アルファガは気付いていたが寄る辺もない彼女には仕方のないことだと、今のところは受け入れていた。鬱陶しく感じるかどうかは、今後のレベンドラ次第だろう。
浄化の雨を降らせる前にアルファガは足を介して、地面に自らのエーテルを伝播し、そこから簡素な人型を作り出してゆく。
周囲の無機物を触媒にして、簡単な命令を聞く人形を作り出す『木偶』の術だ。広く知られた魔法で、原理は異なるが式神、使い魔と呼ばれる存在を作り出す同じような術が世界中に存在している。
あっという間に床の石材や土を原材料とする木偶が、二百体余り作り出される。目的は犠牲者達の運搬だから、戦闘能力は皆無だ。木偶達はテキパキとありあわせの材料で担架や背負子を作り、地下へと向かって走り出す。
「即興にしては上出来だ」
とアルファガは自画自賛をしてから、再びレベンドラに思念を飛ばす。
『では、浄化作業を始めるぞ。俺の血と魂の欠片を溶かしたエーテルを雨のようにして降らせる。お前にとっても薬にはなっても毒にはならないから、慌てるな』
『アルファガ様がお与えくださるものならば、それが死であろうとも喜びをもって賜ります』
『ええ……。自分の命は大事にしなさいよ』
一切ふざけていないレベンドラの返答に、アルファガにしても流石に重たさを感じるものだったが、今は犠牲者の救済が第一だ。
気を持ち直して、アルファガは液化エーテルに干渉し、レベンドラに告げたように光り輝く青い雨として収容所へと降り注がせる。
アルファガと同じく収容所の敷地に降りていたアネモネは、アルファガが翼を傘の代わりにして、雨に濡れるのを避けている。
「お前には俺の血は不要という話だったな、アネモネ」
「はい。畏れながらアルファガ様に万が一のことが起きた時、御身の力と魂の欠片を授かっている者にも不具合が出る可能性が考えられます。そうなった時、動ける者が皆無ではあまりに危険というもの」
「ふっ、そういうことにしておこう。普通の兵士も必要になるのだろうが、お前の手並みに期待していいのだったな?」
「アルファガ様がこの戦乱の世を終わらせる希望になると知らしめ、その希望に縋る者達をどれだけ集められるか。どうぞ楽しみにお待ちになってください」
「はははは、大きく出たな。ではお前の言う通り楽しみに待つよ。いいものが見られると言いな」
愉快そうに笑うアルファガを他所に、エーテルの雨は建造物を透過して、次々と地下へ降り注いで、牢に繋がれている犠牲者達に平等に降り注いでゆく。
レベンドラと違い薄められてはいたが、アルファガの血と魂の欠片は液化エーテルを介して、犠牲者達の変異した肉体と蝕まれた魂に染み渡り、瘴気の浄化を始める。
いつでも犠牲者達を運び出せるようにと担架や荷車を用意していたレベンドラにもエーテルの雨は降り注ぎ、既にアルファガの救済を受けた身体によく馴染むかのようだった。
「ああ、まさにこれこそ慈雨。救済の雨、アルファガ様こそが混乱の世界を導く救世主なのだ」
兜を外したレベンドラはうっとりと、頬を赤くしながら酔いしれるように呟いた。彼女の中の忠誠と信頼と依存は、揺るぎようのない強固なものへと変わりつつあった。
そんなレベンドラの姿を何体かの分身竜が不安そうに見ていた。分身竜を通してアルファガもレベンドラの恍惚とした笑顔を見ていたが、なにも言うことはなかった。言えなかったのかもしれない。
レベンドラが一人悦に浸っている間にも、身勝手な実験の犠牲者達にエーテルの雨は降り注ぎ、その目的を順調に果たしてゆく。
瘴気が浄化されて小山のような肉が消え去り、現れたのはお互いを守るようにして寄り添う父母と小さな男の子だった。
部屋の中央で倒れていた白っぽい肉の塊は、お互いの手を握りながら意識を失った双子の少女だった。
濁った水槽に中に浮かぶ人魚達は削ぎ落された肉が盛り上がり、ぐずぐずに崩れていた身体が元に戻り、自慢の鱗を取り戻した。
有翼人達は壁に打ち付けられた翼が自由を取り戻し、またあるいは斬り落とされた翼が元に戻り、再び空を飛ぶ力を取り戻していた。
救済の雨はシンラースとシンラストにも降り注ぐ。
他の犠牲者達よりもはるかに多くの瘴気を注ぎ込まれ、徹底的に存在を汚しつくされた彼らの巨体が見る間に霧散してゆく。
それはレベンドラの身に起きたことの再現だった。小山のような巨体が消え去った後、そこに残っていたのは燃えるような赤い髪の少年と長い翡翠色の髪の少女だった。
「やはり素養のある人間を媒介にした瘴気兵器でしたね。連中はこの技術を確立していると考えるべきかと」
レベンドラの例によって、造りは簡素でも質の良い白い衣服を着ている少年と少女を見ながら、アネモネは嘆息した。
瘴気兵器の存在があるからこそアルファガを焚きつけられたとはいえ、瘴気兵器が今後、世界征服を阻むかと思うと、頭痛のする思いだった。アルファガならば心配はいらないにしても、毎回毎回、皇帝自ら戦いに臨むわけには行かないだろう。
「早めに手を打つ必要があるな。ところでアネモネ、幻覚はまだ維持できるか? きついようなら俺が代わる」
「ご心配なく。お貸しいただいたソルデウスのお陰で、さほど疲れてはおりません。ただ、覗き見の反応がいくつかございました。今回の収容所の襲撃はアルファガ様の報復であると判断する者が出るでしょう」
「ソルポートに侵入者対策を施したことだし、俺が動き出したことは認めるだろう。まさか世界征服を始めるとまでは予想できまいが。はっはっはっは」
これまでねぐらを騒がしてくれた鬱陶しい連中に一泡吹かせられると、アルファガはご機嫌な様子だった。これからもっともっと、自分達のした事への報いを与えてやると、アルファガの心中は報復の炎が静かに燃えている。




