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1 ポテトチップスに目覚めてしまった。


 わたしには前世の記憶があります。


 ……冗談ではありませんよ。本当なんです。

 不思議ちゃんというわけでもないですからね。

 わたしは普通のお嬢様です。


 目覚めたのは小学校お受験のときです。

 周囲の人間からの期待も大きく、絶対に受からなければいけないというプレッシャーが幼いながらにわたしの心を締め付けていました。

 よく削られた高級えんぴつを握りしめ、問題と必死に向き合っているなかで、わたしの心は限界を迎えたのでしょう。

 ふと、前世の記憶がわたしの心に宿ったのです。


 ポツポツと涙を流しながら、わたしは問題を解きました。

 それまでまるで分からなかった問題も、いとも簡単に解けてしまいました。

 小学校お受験の問題なんて、前世の記憶がある人間からしたら、ほんとうに楽勝でした。

 なんだかズルをしている気分でした。しかし本当にズルなのは、わたしの実家の財力があれば、裏口入学ができてしまうということです。

 そしてお父様もお母様もわたしのためならそういうことをしてしまう。


 そうならないように、わたしは前世の記憶を使ってでもこの英蘭学園の初等部に合格しなければいけませんでした。

 何かと悪い噂のある両親であることは前世の記憶に頼らなくとも子供ながらに気づいていました。


「だいじょうぶ?」


 ペーパーテストが終わると、隣の席で問題を解いていた女の子が話しかけてくれました。

 テストが始まる前、隣に座ったときは何も思わなかったのに、こうして彼女を見てみると、どこかで見たことがあるような気がします。


 どうやら涙を流していたわたしを心配してくれているようで、ハンカチを貸してくれました。

 貸してくれたハンカチはなんだかボロっちいハンカチでした。

 女の子は、英蘭学園を受験するには似つかないような庶民的な服装をしていました。


「だいじょうぶですわ。ありがとうございます」


 わたしはそのボロっちいハンカチを受け取り、頬の涙を拭きました。

 ハンカチからは家庭的な柔軟剤の香りがしました。

 前世の記憶のせいでしょうか、この匂いを懐かしいと思って、また涙が溢れてしまいます。ううっ。


「だいじょうぶじゃないじゃん!」


「……人が涙をながしているからと言って、ダメということはありません。わたしの涙はだいじょうぶのあかしなのです。ということで、あなたもわたしが泣いているときはだいじょうぶなのだと思ってくれてかまいません。いいですわね?」


「ええ……?」


 女の子はわたしの言葉を聞いて困惑していました。


「では、このハンカチはお洗濯してお返ししますわ。ペーパーテストに合格していれば、後日、面接の機会がありますわね。そのときにハンカチは返します。もちろんペーパーテストは合格いたしますわよね?」


「……うん」


「なら、そうしましょう。では、これで。わたくしは失礼しますわね。ごきげんよう」


「ごきげんよう?」


 庶民の女の子はごきげんようの挨拶も知らないようでした。


 わたしの前世も庶民の女の子でした。


 小学校から高校までずっと公立の高校に通っていました。

 高校時代には大好きな漫画を購読するためのお金を稼ぐためにバイトもしていました。

 お父さんはサラリーマンで、お母さんは専業主婦。

 どこにでもある普通の家庭に生まれた、平凡な顔の女の子。

 自分はモブであると、そう自覚して生きていました。


 記憶にあるのは芸術大学を卒業したときまでです。

 就職をしたという記憶はありますが、実際に働いている場面を思い出すことはできませんでした。

 それ以降の記憶も一切ありません。

 なので思い出せるのは、20歳か、それ以前の記憶だけです。


 もしかしたら、そのあたりの年齢で死んでしまったのかもしれません。

 記憶がないというのはそういうことなのでしょう。

 若くして死んでしまった女性の来世が、果てしないほどのお嬢様というのは、夢のある話というか、シンデレラストーリーというか。


「お嬢様。お荷物をこちらに」


「ん」


 生徒玄関で内履きからショートブーツに履き替えて外に出ます。

 学校の広い駐車場の一番わかりやすい場所に、黒のバンデンプラプリンセスが駐車していて、その前にウチの使用人をしている女性が立っていました。

 名前は高橋さんです。


 わたしは高橋さんに荷物を預けて、車の後部座席に乗り込みます。


 高橋さんは荷物をトランクに入れます。

 それから運転席に乗って、ハンドルを握り、車を発車させました。

 高橋さんの運転は完璧で、乗り物酔いしやすいわたしも、彼女の運転なら酔わないでいられるのです。

 まだ若く、使用人としてのキャリアも浅い高橋さんですが、わたし専属の運転手としての地位を獲得しています。


「今日はとても素晴らしい方に出会いましたわ」


「それは良かったですね。お友達になれそうですか?」


「受験のプレッシャーに耐えられず、涙をながしたわたしにこのハンカチを貸してくれた女の子がいたのです。おそらく庶民の子なので、お友達にはなれないでしょうね」


「そうですか、それは残念ですね?」


「残念ではないですよ。お友達だけが人間関係の全てではないですから」


「お嬢様?」


「……はい?」


「……いえ、なんでもありません」


 高橋さんはバックミラーでわたしの様子を確認しました。


「……高橋は、自分の前世はなんだと思いますか?」


「え? 前世ですか。そうですね、カエルとかですかね。友人からよく似ていると言われるんです」


 たしかに高橋さんの容姿は少しだけカエルに似ています。


「前世が人間であるという風には考えないのですか?」


「……来世も人間が良いとは考えますが、前世はとくに何でもいいですからね」


「そうかしら?」


 高橋さんとお話しているとすぐにお屋敷についてしまいます。

 わたしはお屋敷を降りて、お屋敷のなかに入ります。


「ただいま帰りました」


「お帰りなさいませお嬢様」


 家に帰ると使用人の方々が頭を下げて出迎えてくれます。

 わたしはエレベーターに乗って二階に向かいます。

 二階にはプライベートルームが並び、わたしの部屋もあります。

 

「自室で自己採点をしたいので、急用がない限りは入らないでくださいね」


「かしこまりました」


 高橋さんに申し付けて、わたしは自室に入ります。

 パタンと閉めた扉に背中を預けて、ふぅと息を吐き、


「いわかん!」


 と叫びました。


「いわかん! いわかん!」


 前世が庶民の女の子だったことを知ってしまってから、わたしはお嬢様としての生活に違和感が止まらなくなってしまいました。

 いまいるこの自室もとんでもない違和感があります。五歳の女の子が使用するにしては広すぎる部屋です。前世のお家のリビングがこれくらいの広さでした。

 そもそも家のなかにエレベーターがあるというのも驚きです。


 雪華院家というのは鎌倉時代から存続している歴史のある家です。

 昔から土地をたくさん所有していて、外資によって日本の土地が買いたたかれるのを防いでいるので、保守派の人たちから人気があります。


 とくに当代であるお父様はいくつものビジネスでも成功を収めて、現在ではインフルエンサーてきな活動もなさっています。

 人気も実力もあるお父様ですが部下に仕組まれた脱税のせいで逮捕歴があるのが玉に瑕です。


「はあ。どうしましょう」


 とりあえず、今日のペーパーテストの自己採点を行います。

 答えをメモしておいた問題用紙を机に広げます。

 というかこの机も豪華すぎます。

 

 タブレット端末で英蘭学園のホームページを開きます。

 25年度入試試験・答案速報というものがあったので、それをタップします。

 学園側が用意した答案と、問題用紙に書かいたわたしの答えを照らし合わせます。

 計算問題、英語問題、国語問題など、基礎問題は全問正解だと思います。

 ペーパーテストのなかには、特殊な問題もありました。


 史上最年少で芥川賞を受賞するためにはどうしたらいいか考える問題や、にわとりを使って1億円を稼ぐ方法を考える問題など、思考実験的な問題が多かったので、おそらく論理的な思考力を試されているのでしょう。


 とりあえず、合格ラインには到達しているはずです。

 一安心ですね。わたしはタブレットの電源を落とします。

 安心したら、なんだか無償にポテトチップスが食べたくなってきました。

 身体は求めていないのですが、心がポテチを求めています。


「……まあ前世のおかげですからね」


 わたしは使用人を呼ぶアラームを鳴らします。

 ポテトチップス。

 いったいどんな味なのでしょうか。

 使用人ルームから応答があります。

 

『お呼びでしょうか』


 部屋のスピーカーから高橋さんの声が聞こえてきます。


「急用です。料理人と洗濯係を呼びなさい」


『かしこまりました』


 数秒後、部屋のドアがノックされます。

 わたしは「どうぞ」と伝えます。

 ドアを開けて入室したのは料理人の鈴木さんと、洗濯係の江藤さんです。


「まずは江藤」


「は、はい」


 どうやらわたしからの急な呼び出しに緊張しているようです。

 江藤さんは新卒でお屋敷に努めている方なので、緊張するのも仕方ありません。

 わたしはスカートの前ポケットからハンカチを取り出します。


「このハンカチを綺麗に洗ってくださいますか? 親切な方から借りたものですのでくれぐれも丁寧に。庶民の方のハンカチですので、当家の洗い物とは訳が違うとは思いますから、よく注意してお願いしますわね」


「か、かしこまりました!」


 わたしは江藤さんにハンカチを預ける。


「次に鈴木」


「はい」


「えっと……」


 どう説明しようか少し困ってしまいます。

 本来、わたしはポテトチップスを食べたこともないし、見たこともないのです。

 ポテトチップスを食べたいですと、直接的に言ってしまえば辻褄が合わなくなってしまいます。

 なので間接的に伝えて、鈴木さんの方でポテトチップスを導き出していただかなければいけません。


「……ジャガイモを油で揚げたものが食べたい気分なのですが、そのような料理は作れるかしら?」


「フライドポテトですね」


「え、あ、ちょっと違うかも知れないわね。ちょっと待っていただけるかしら」


 鈴木さんはポテトチップスではない料理の名前に辿り着きました。

 まさかフライドポテトなる料理も存在しているとは。

 記憶を探ると確かにジャガイモを揚げただけの別の料理の存在が浮かび上がってきました。


 わたしは机の引き出しから画用紙とえんぴつを取り出します。

 前世のわたしは漫画が趣味で、趣味が高じて芸術大学で絵の勉強をしていたので、絵を描くことについては専門的な知識があるのです。

 わたしはえんぴつで陰影をつけながら、記憶にあるポテトチップスを画用紙に描いていきます。

 記憶ほどあまり器用に手が動きません。知識に身体がついていかない状況です。

 江藤さんはわたしの画用紙を覗き込み「天才だ……」と呟いていました。

 たしかに五歳で本格的に絵を描ける人間はあまりいないと思います。

 

 よくよく考えたらわざわざこんな回りくどいことをしなくても、ハンカチを貸していただいた庶民の方から、ポテトチップスという料理の存在を聞いたというような筋書きでもよかったような気がします。


「できましたわ」


「これは……」


 わたしは完成した絵を鈴木さんに見せます。

 薄く切られたジャガイモが、曲線を描いて反りかえっている絵です。


「ポテトチップスですね」


「ああ、そういう料理があるのですね。では、それで」


 わたしはあくまでも世間知らずなお嬢様を貫きます。

 ポテトチップスなんて初めて聞きましたわ。おほほ。


「……ポテトチップスをゼロイチで考え出すなんて、江藤の言う通りお嬢様は天才なのかもしれません」


「……お父様の娘ですから。天才なのは当然ですわ」


 この作戦が成功したときの見られ方を考慮していませんでした。

 たしかに、鈴木や江藤目線で、今のわたしはポテトチップスをゼロから生み出した女の子ということになってしまっています。

 この場ではテキトウに取り繕いましたが、今度前世の知識を使うときは見られ方というのも念頭に置かないといけませんね。

 自分の実力に見合わない見られ方をすると、いつか足元をすくわれてしまう。

 そのようなことを、シャバから出てきたばかりのお父様が言っていました。


「それでは、わたしはお嬢様のお口に合うようなポテトチップスを作ってきます」


「……普通のポテトチップスでいいのよ?」


「安心してください。わたしのようにレベルの高い料理人ほど、普通のものを作るのは得意なんです」


「……そう。それなら楽しみにしています」


 鈴木さんと江藤さんは退出しました。

 大丈夫でしょうか。

 記憶にあるギャグマンガのように、キャビアが乗ったとんでもないポテトチップスが登場するなんてことはないですよね。ウチの料理人に限って、そんな展開はないとは思いますけど、それでも前世の余計な知識がわたしを不安にさせます。

 わたしはポテトチップスを待つ間、画用紙の次のページに普段食べているようなケーキを描いていました。ポテトチップスを描いた分、ケーキを描かないといけない気がしたのです。


「お待たせしました」


 数分後、完成したポテトチップスが運ばれてきました。

 鈴木さんは四枚のポテチが丁寧に盛り付けされた皿を、わたしの目の前に置きました。


「料理の説明をいたします。こちらのポテトチップスは、トヨシロという品種のじゃがいもを薄くスライスし、ひまわり由来の油で揚げた料理でございます。左手奥から岩塩。左手前のりしお。右手奥コンソメ。右手前バター。というような庶民の方でも定番の味付けになっています。説明の順番に食べていただければ、味の変化も楽しめるようになっております。お手で摘んでお食事を楽しめるように、お手拭きをご用意しております。説明は以上となります。失礼します」


 鈴木さんは料理の説明を終えると退出します。

 ポテトチップスを目の前にして胸の高まりを抑えきれません。

 わたしはさっそく左手奥に手を伸ばし、指でポテチを摘みます。

 ポテチについた岩塩を落とさないように、ゆっくりと口元に運びます。

 唇の震えがポテチにも伝わり、岩塩がフルフル動きます。

 わたしはポテチを口のなかに入れます。

 

 ほろりと涙が流れました。


「……」


 パリパリとポテチを噛むたびに、ジャガイモの旨味が油に乗って口のなかに広がります。そしてその油に掴みどころを与えてくれるのが塩です。わたしの味覚はまず塩を掴み、そして油の旨味に気づくのです。なんて素敵な料理なんでしょう。

 わたしは四枚のポテトチップスをすぐに食べ終えてしまいました。


「足りないよ……」


 わたしは指についた調味料たちをチュパと舐めました。

 

「コーラも欲しいよ……」


 唾液で汚れた指を、お手拭きで綺麗にします。


「わたしはいったい誰なんだよ……」


 ポテトチップスとケーキが描かれた画用紙を、わたしはパタンと閉じました。

 

 

 

 

 

読んでくれてありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
今の段階では明確に面白いかどうかまだ図り切れないけれど、ここから面白い展開がやって来るだろうなということは図り知れました。 深夜にも関わらずポテトチップスとコーラをつまんでしまいそうになりました。次も…
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