一目惚れする相手がいつも同じ人間だった
「俺、君に一目惚れしたんだけど。ちょっといいかな」
「……よくないですけど」
カフェの壁際のカウンター席に座っていたら、声をかけられて横に座られた。思わずぎゅっと鞄に力が入る。
綺麗な顔をした男だ。通りすがりの人を振り向かせるような、多くの人間が集まっていてもパッと見つけられるような、華のある顔をしている。
どこにでも溶け込めるような顔をしている私とは大違いだ。
「そっか。俺は霧生凛っていうんだけど。君の名前は? それ何を飲んでるの? 美味しい?」
隣に座った霧生とやらは私の拒否を意に介さず話し続ける。いくらイケメンだろうが怖い。どいてほしい。
「美味しいですよ。だから飲み終わるまで帰りたくないんですよ。これ陶器のカップだから持って帰れないし。わかってもらえます?」
「飲んでいけばいいんじゃないかな。飲み終わる前に帰るつもりなのか?」
霧生はカップを持ち上げてコーヒーを飲む。「いい香りだ」と呟いてすらいる。嫌みが通じていないらしい。
「あなたが帰ってくだされば、その必要もなくなるんですけど」
「そうか? 不思議だな。でも、俺のコーヒーも美味しいから。俺は帰れないよ」
霧生は愉快そうに言う。おやつの時間なだけあって店内は盛況で、見える範囲で空席はない。運ばれてきたばかりの私の紅茶は、熱くて一気飲みできない。
何で大好きな店で美味しい紅茶を飲んでいるときに、こんな面倒な奴に絡まれないといけないのだろう。私が何か悪いことをしたとでもいうのだろうか。
「いやー、この店に入るのは初めてだけど、なかなか美味しいね。これはさっき頼んだパフェにも期待ができそうだ」
ちょうどその言葉が終わったタイミングで、パフェが運ばれてくる。でかいな……。
「どうしたの? そんなに見つめて。食べたいなら一緒にどう?」
「いらないです」
パフェの苺を一口食べてから、彼は言う。
「さて、本題に入ろう」
「あなたが話してたら全部余談ですよ」
「そういわずにさ。俺の一目惚れ史を聞いてよ」
「歴史ができる頻度で一目惚れしてるんですか……」
そしてなぜ一目惚れした人物に向かってそれを話すのか。軟派な男だと思われるのがオチだろうに。
「俺の最初の一目惚れは、二年前」
「歴史浅っ」
「とあるパーティーでのことだ。社長が最近手に入れた宝石を自慢しつつ、取引先と今後ともよろしくと言い合うものでね」
「全然楽しくなさそうですね」
「そう。俺は全然楽しくなさそうにしている女性に一目惚れしたんだ」
霧生は懐かしそうに目を細める。たった二年前のことだというのに。
「彼女は壁際につったってぼーっとしていた。同業者との交流のチャンスだというのに、一人で」
「顔がすごく好みだったんですか?」
「顔、というより人柄かな」
「それは一目惚れと言えるんですか?」
紅茶を飲みすすめようとして、まだ熱いと諦める。
「俺は人の性格は見ただけでだいたい分かるんだよね。彼女は意志が強く、ちょっとやそっとじゃ自分を曲げず、自分なりの美学を持った人だったさ。間違いない」
「彼女は一言も喋ってないのに? 思いこみじゃないですか。うさんくさい」
「あとは少し謎の匂いもしたね」
霧生はパフェのソフトクリームを減らそうと懸命に努力している。
「ここで出会ったのも何かの縁だと思ってね。話しかけてみたら、彼女は仕方なく応じてくれた」
「貴方に仕方なさそうだと感じる心があったんですね」
「俺が彼女に向かって一時間くらい話し続けたあとだったかな」
「『彼女と一緒に』でないあたり、一方的にですか。図太いですね」
「君は」
霧生はスプーンを置いて、テーブルの上で手を組む。
「そのときとは違って、たくさん相槌をうってくれるね。実に喋りやすいよ」
私はコーヒーを飲んでいるので何も答えない。霧生はパッと手をほどく。
「話を戻そう。話しつづける私が息継ぎをした瞬間、電気と隣の彼女がパッと消えてね」
「相当うざかったと見えますね」
「気がついたら、宝石のケースの隣に人影があって。宝石を手にしたそいつは、『このサファイアは、私が頂く!』と宣言したんだ」
「ああ、その事件はテレビで見ましたよ。『怪盗すずかぜ、厳重な警戒のなか、宝石を盗み出す』」
「しまった! と思って駆け寄ったんだが、遅かったな。スモークの中、鮮やかに逃げていったよ」
「一目惚れした相手が怪盗ですか。反抗時刻直前まで絡まれて、怪盗も災難でしたね」
「俺の災難を思ってくれよ」
霧生はやれやれと肩をすくめる。
「次の一目惚れは、その3ヶ月後。父の知り合いのお金持ちの娘さんだ。立派な掛け軸を見せてもらいに行ったんだけど」
「わりとスパンが早め」
「正直にいうと、顔も好みだった。しかし、やはり一番大事なのは人柄だね。お茶目で、心に芯があり、きちんと自分を主張できる人だ。たぶん」
「なんでちょっと自信を失ってるんですか」
「なにせ一人目が怪盗だったことを見抜けなかったし。そしてやっぱり少しの謎の匂いがした」
「その謎を突き詰めればいいのでは? 得意分野でしょ」
霧生はコーンフレークをすくいつつ、「ん?」と首を傾げる。
「同い年なのもあって、彼女とはなかなか話があった。小学生の頃に読んだ児童書が同じでね。かなりの熱量で話しあったよ」
「今度は喋ってもらえたんですね」
「それは俺が小学校を卒業する年に完結したんだけど。ほんの気まぐれで、中学卒業のときに完結しましたよねと言ってみたんだ」
「どんな気まぐれですか」
「そしたら彼女は、『え、中一が終わる春ではありませんでしたか?』と言ったんだ」
「あー……」
痛恨のミスだ。
「これはいけないなと思って。間違いでも誤魔化せるように、ごく自然な流れで手を握って、こっそり拘束しようと思ったんだけど。お金持ちを怒らせると怖いし」
「せこい」
「ごく自然な流れを考えている間に、彼女は消滅! 掛け軸の近くに人影が!」
「既視感」
「あっさり盗まれたね」
「そして無能。これも怪盗すずかぜの話ですよね」
私は冷めた紅茶を飲む。
「無能はひどいな~。これでも探偵だよ?」
「テレビでも新聞でも名前を見たことないですけど」
「ああいうのには民間人の協力者の名前は載せないからね」
もう紅茶は飲み干した。話も一段落したようだし、ここで帰るべきだ。
鞄を引き寄せて、それじゃあ、と言おうとしたところ。霧生はスプーンと反対の手で、ぐっと私の手をつかんだ。ここには怒ると怖いお金持ちはいないから。
霧生は話しつづける。
「あとは、高級絵画の君、首飾りの君、耳飾りの君、真珠の君、ダイアモンドの君などに心を奪われ、宝物も奪われ」
「盗品で呼ぶのやめてもらっていいですか?」
「怪盗すずかぜは強いね~。最近は少し張り合えるようになってきて、俺の顔と名前も覚えてもらえたようだけど」
霧生は、パフェの最後の一口をごくんと飲み込む。
「さて、俺はこれらの件以外で一目惚れをしたことがないんだ」
霧生は机の上の紙ナプキンで口をふく。
「君は意見をしっかり言うことができ、美学を持った人だ。確実にね。そしてもう謎の匂いはしない」
霧生はまっすぐに私の目を見る。真っ黒な目が煌めいている。
「君が怪盗すずかぜだ」
証拠なんてない。誤魔化すことも全然できる。勘違いだと言ってしまえばいい。
でも。
「謎の解き方に納得はいきませんが、まあ及第点としましょう。真実に辿りついたことには敬意を表します」
こんな探偵の手なんか簡単にほどける。立ち上がってお辞儀をし、真実を告白する。
「私が怪盗すずかぜです」
ついでにウインク。怪盗に必要なのはお茶目さだ。
「やっぱり。俺の一目惚れに間違いはないね」
「あーあ、ちょっとがっかりですね。最近は探偵さんも私をすぐ見つけるから、成長したんだなと思ってたのに……」
どんっと椅子に腰かける。一目惚れなんて、思いっきり主観的なもので見分けられるなんて。
「成長はしてるよ。一目惚れしてから鎌をかけるのはうまくなった」
「私の振る舞いの不自然さとかで正体を見破ってほしかったですね。実は発信器を仕掛けていたので貴女の居場所が分かったのですとか」
バレたしもういいやと思って店員を呼ぶ。こうなったらやけ食いだ。ケーキを三つ頼む。探偵はもう一つパフェを頼んでいた。
「でも、君がミスしたのなんて本の出版年くらいしかない。俺は鎌かけが上手くなったけど、君はかわすのが上手くなった。発信器とかどうせ気づくだろう?」
「そりゃあね。ちょっと間違えてもダメージがない探偵さんとは違いますから」
探偵は依頼人に怒られるだけで済むが、こっちは刑務所行きだ。由々しき差である。
「今日はすずかぜもミスしてたけどね。『得意分野でしょう?』」
「それですか。今後の参考にします」
運ばれてきたチーズケーキに、苛立ち紛れにフォークを突き刺す。
「それで、どうするんですか? 私は自首なんてしませんよ。証拠は勿論残してないし。君が録音しているとも見受けられませんが」
「録音なんてするわけない。自首も勧めない」
霧生がふっと笑う。
「最初から言ってるだろ。一目惚れしたんだって」
「は?」
「俺と付き合ってくれ」
「絶対嫌です」
厄介な相手に一目惚れされた私は、怪盗行為のほかでもことあるごとに霧生に追い回されるようになる。