ジョン・レノンからの言伝
人生はくだらない。だからこの手で、私好みに作り変えてやるのだ。
夕方頃になると、私は決まっていつもの跨線橋に出掛ける。左腕一本で車椅子を動かすのも、今では手慣れたものだ。最初の頃は上手く行かずに苦労したものだが、今では何の不自由も感じない。高いピンヒールを履いて、脚が痛い思いをしないで済む分、寧ろ今の方が楽なのかも知れないと思う。
跨線橋には、自殺志願者達が集う。私も嘗てはその一人であったので、志願者達の気持ちは解らなくも無い。だが、今の私にはもっと大事な事が有る。跨線橋に集う志願者達を選別せねばならないのだ。使えるか、使えないか……。
私には、両脚と右腕が無い。生まれ付きでは無く、事故……いや、自殺未遂に因るものだ。五年前、死を渇望していた私は、例の跨線橋から飛び降り、丁度通り掛かった列車に跳ねられた。跳ねられたものの、奇跡的に命だけは助かった。いや、助かったと言うよりも、死に損なったと言うべきか。だが、この身体になって良かったと思う事も有る。父親の陵辱対象では無くなった事だ。
父親は四十以上もの会社を経営する実業家で、豪奢な暮らし振りを好む人物であった。慈善団体に多額の寄付も行っており、地元ではその名を知らぬ者は居ない名士であった。だが、そんな彼には嗜虐的な裏の顔が有った。毎晩の様に母親を甚振り、その身体に無残な傷跡を残しては、奇声を発しながら悦に入っていた。母親はそんな生活を必死に耐えたが、或る日、首を吊った状態で冷たくなっている所を、使用人に発見された。自殺という事で処理されたが、私にはそれが嘘だという事は良く解っていた。私は、父親が良く母親の首に縄を括り付け、鞭で甚振って喜んでいる事を知っていた。母親が殺された事を誰かに訴えたかったが、父親への恐怖がそれを断念させた。
その後、その恐怖は更に増幅させられた。亡くなった母親の代わりに、今度は私が標的となったのだ。毎晩、失神するまで父親に鞭打たれ、性行為まで強要された。母親の死を悼む余裕も無く、私の肉体と精神は限界だった。
件の跨線橋に初めて向かったのは、そんな時だった。恐怖なんてものは無い。只、楽になりたい一心だった。フェンスを乗り越えれば、其処に自由が在る、其処に未来が在ると信じていた。だが、生き残ってしまった。両脚と右腕を失った姿で……。
また恐怖の日々が始まると怯えていた時、父親が病室で私の姿を見て言った。
「……醜いな。」
それだけ言い放って病室を出て行く父親の姿に、私は歓喜の念を禁じ得なかった。父親にとって、醜い今の私は陵辱対象では無いのだ。美しいものを壊し穢す、それが父親の嗜虐嗜好の源泉だったのだ。私は、この姿で生き残った事を神に感謝した。
それからは、身体障害者として安らかな日々を過ごした。幻肢痛で夜中に目を覚ます事は有るけれど、父親からの虐待程の苦痛は無い。心に余裕が出来たのか、母親が好きだったジョン・レノンのレコードを聴き始めた。その頃から、父親への復讐心も芽生えて来た。幼い頃に観た映画の復讐劇を思い出すが、復讐なんていうのは余裕の有る時にするものだと思う。本当に追い込まれている時には、そんな事は想像すら出来ない。そして、復讐には協力者が必要だ。
跨線橋の近くまで来ると、一人の男性の姿が見えた。行き交う電車を眺める姿を見て、瞬時に志願者だと解った。後は、使えるか、使えないか。復讐の協力者としての適正を、冷静に判断せねばならない。コーヒーを飲みながら会話を交わし、良さそうな人材だとは思うが、未だ最終的な決断は下せない。最終判断は後日だ。私は、ジョン・レノンの歌詞を日本語訳して、私小説風に構成した自作の本を手渡し、其処で彼と別れた。
それから数ヵ月後、私は高層マンションの一室から例の跨線橋を眺めていた。あの日以降、飛び降り事件の報道は無かったが、私は彼のその後を知ろうと、あの日から一日中、こうして跨線橋を眺めている。彼は……生き残っているのか。
或る日、彼に良く似た背格好の人物が、跨線橋を通り掛かった。彼は其処で、一杯の缶コーヒーを飲み、暫くの間は何かの本を読んでいた。毎日略同じ時間に、彼は其処に現れた。間違いない……あの時の彼だ。
「第一次試験はクリアね。」
私は、彼に会いに行く事にした。
翌日、彼がいつも訪れる時間よりも幾分早く、私は跨線橋の近くで彼を待った。暫くすると、跨線橋の向こうから彼がやって来るのが見えた。
「あら、久し振りね。元気そうで……。」
偶然を装って彼に声を掛けたが、一瞬、驚いた様な表情をしたかと思うと、彼は優しく微笑んだ。
「……ありがとう。君のお陰だ。」
彼は一度は死の淵に立ち、其処から奇跡の生還を果たして、現在は生の喜びを噛み締めている。ならば、最終試験と行こう。
私は彼に問い掛けた。
「ジョン・レノンは、貴方に何て……?」