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「お前は最近、よく食べるねえ」

スイカを皮ごと飲み込むそいつを横目に私は憂鬱だった。

すっかり長い付き合いになっていたカエルは私の異変にすぐさま気づき、小さかった頃と変わらない仕草で小首をかしげて私の顔を見つめる。

それから、とてもカエルとは思えない察知の良さで私が手にしている紙きれが原因ではないかと悟ると、私の顔と紙切れとを交互に見比べるのだ。

紙切れ__悲しいかな、私はあまり頭の出来が良くない。そしてそれに対して努力で補おうという気概もない。つまり、それは期末テストの結果表で、そこにはおよそ満100点のテストとは思えない数字が並んでいる、、、

「ケロ?」

はぁ、と溜息をつく私にカエルは紙切れと見比べるのをやめて問いかけるような目で私を見つめた。

真っ黒な目に私の項垂れた顔が映っている。

「あんたはいいよねぇ、テストも学校もないわけだし。

好きな時に起きて、誰にも文句言われない訳でしょ?あーあ、こんなものなければいいのに」

次の瞬間、何かがさっと目の前を横切った。

さっきまで私の手の中にあった紙切れもなくなっている。

くしゃくしゃという音に私が横を見ると、カエルがそれを咀嚼しているところだった。

驚きと同時に呆れが生じる。

「こんなものまで食べるなんてまったくなんて食い意地のはったカエルなの?」

「ケロ」

私の視線を受けながらそいつはそう鳴いて、それからいつものようにぺろりと舌で私の指を舐めた。

もう子犬ぐらいの大きさになっていたから、指どころか手全体がべたべたになってしまったけど。



                   ×

ある日のカエルの様子は変だった。

まず、私が持ってきたコッペパンもコロッケもまるで食べようとしなかった。

口の近くに寄せても顔をぷいと背けるのだ。

私も慌てて顔を背けた。

カエルとの付き合いで私がこの世でどうしても我慢できないものが存在することが判明した。

それはカエルの耳だ。

ちょっとでもあれをみると吐き気を催してしまう。今では私が集合体恐怖症や先端恐怖症を発症している繊細な神経の持ち主だと分かっているが、当時は何故ここまでカエルのあの部位に極度の拒否反応を示してしまうのかと悩んだ。

私はカエルとはなるべく真正面で向き合うか、そうでなければカエルから目を逸らすようになった。

どうしても大きくなったことでありありと目に映るようになった耳に、私はカエルを横から見る事が出来なくなっていたのだ。

貯水池の方に目を向けながら私は言う。

「どうして、食べないの?具合が悪いの?」

カエルが食べないなんてこと2年の付き合いの中で一度もなかった。

もしかしたら、昨日あげた小松菜が良くなかったのかもしれない。

私的にはいつもと違うものにカエルが喜ぶんじゃないかって頑張ってウサギ小屋から盗み出してきたのだが、、、

その時にウサギの逆襲にあって、赤く噛み跡が残る指を軽くさすりながら、私は後悔した。

そこへぬらりとした感触が走る。

驚いてカエルの方を見ると、カエルはピンク色の舌を覗かせながら、胸を張ってーーカエルが胸を張るなんて変な表現かもしれないが、本当にそんな具合だったのだーー私にお腹を見せてきた。

いつになくぽっこりと膨らんでいるお腹を。

「あ、もしかして私の事待てなくて先にご飯食べちゃったの?」

カエルがまるで私の言っている事が分かるようにうんうんと頷く。

「なんだ、もうお腹いっぱいなんだ」

私はほっと安心して息を吐いた。

そんな様子を見てカエルもいつものようにぺろりと私の手を舐める。

なんだか、いつもより赤いピンク色だなぁなんて思いながら、私は目前に迫った終わりに気づくことなく、ただ穏やかな日常を享受していたのだ。



 

                     ×


「へんなの、ねぇ!へんなの!!」

ナミエちゃんがいつものように私を呼び止める。

正直に言って私は彼女が嫌いだ。だから、ナミエちゃんの呼びかけに聞こえないふりをしていたら、どんっと背中を押された。

「やめてよ」

ナミエちゃんのせいでバランスを崩した私は地面に倒れた。膝小僧がじくじく痛むから絶対に擦り傷が出来てる。

私には紗代さよという名前があって、決して“へんなの”なんて呼ばれる筋合いはない。

でも、いくらいってもナミエちゃんはやめてくれなかった。

私がサ行とシャ・シュ・ショが上手く言えないからってナミエちゃんは私の事をそんな風に呼ぶ。

『だって、それぐらいも出来ないなんて変じゃん。だからへんなので間違ってないでしょ』

いつも意地の悪さが全面に押し出された笑みを浮かべてそう言って私をいじってからかうのだが、今日は違かった。

「あんたでしょ、メリーを盗んだの」

「メリー?」

「とぼけないで!あんたがメリーがいなくなったころにウサギ小屋にいたのは知ってるんだから」

ナミエちゃんは私を睨んで立ち上がろうとした私の肩をどんと押した。

ここまで直接的なことをされたのは初めてで私は驚いて彼女を見上げた。

そしてまた驚いた。

ナミエちゃんは決して笑みなど浮かべていなかった。どうしようもなく憎たらしい相手をどうにかしてやりたい、傷つけてやりたい、そう言う顔だった。

ナミエちゃんは怒っていた。

「あんたがメリーを盗んだんだ!返せ!!メリーを返してよ!!」

はじめて知る痛みに私は驚いた。

はじめて受けた暴力に驚いた。

はじめて人にこれほどの憎悪を向けられたことに驚いた。

あまりに驚いて仕返すことも忘れた。

私は馬鹿みたいに従順にナミエちゃんの靴が私の足を蹴ったり、私と同じぐらいの大きさの手の平が髪の毛を掴んで頭を引っ張りあげたり、人間とは思えないように爪で顔を引っ掻いたりするのを呆然と耐えていた。


感情は池のほとりでようやく私の下へ戻ってきた。

黒々とした水面に細かい塵と枯れ葉が浮かんでいる。それらは動く事もせず、まるで標本の蝶のように水面に針で止められているかのようだった。

死んでいる池を前に、私の外側は決壊したダムのように中身をほとばしらせた。

私が悪いと決めてかかる兄のこと。

嫌な目つきで見てくる数学教師のこと。

理不尽なナミエちゃんのこと。

それから、弁解も抵抗も出来ない不甲斐ない自分のこと。

溜め込んでいた諸々(もろもろ)の、決して綺麗ではない感情達は垂れ流れて池へと向かう。

木々がかすかな光さえもさえぎり、深緑の草の間にはいつものようにゴミが点々と顔を覗かせている。今のような心境の時にいるべきではない場所だったが、それでもこれらの感情を受け止めてくれる相手はそこにしかいなかった。

えさなんぞは持ち合わせていなかったけど、カエルはそれを催促するようなそぶりも見せずただじっと黒い目で私を見て、私の言葉に、話に耳を傾けていた。

目線は同じ高さだった。

カエルはもう私と同じぐらいの大きさになっていたから。



そうして、別れの日が来たのだ。

確かにナミエちゃんというきっかけはあったけど、きっといつかは同じような結果が待っていたのだと思う。

所詮、カエルはカエルで、私は私で人間だったのだ。

全身に擦り傷やら青あざを作って帰った次の日、私は憂鬱ゆううつな気持ちで学校に行った。

行きたくはなかった。

でも、それを主張することも私には出来なかった。

教室に着いたら、何か恐ろしい事が起こるんじゃないかってびくびくして口から何か出そうだった。

多分朝ごはんをちゃんと食べていたら吐いていたとおもうけど、そうではなかったから私はただ口を固く結んで教室に入って行った。

だが、緊張する私に対して別に何も起こらなかった。

ナミエちゃんはまだ来ていないようで、それにホッとするような、処刑をじりじりと延ばされている囚人のような心地で幼い私は小さな体を更に目立たないように小さくして自分の椅子に収まっていた。

結局、ナミエちゃんは放課後になっても来なかった。


私は何とも言えないような気持を抱え、帰り道を歩く。

ナミエちゃんは今日は休みだった。

それはよかった。

でも、いつかは来る。

張り詰めた緊張の中で安堵と不安が繰り返し、気づけばとっくに貯水池の近くに来ていた。

カエルはいつもの場所でいつものように私を待っていた。

口からなにかをはみ出しながら。

「ひっ」

カエルが私の声に気付いてこちらを見る。

顔の動きにともなって口から垂れた獲物の足がぐんと横に揺れ、カエルはそれをよく広がる舌を使って丸飲みした。

私の視界から白い足は消えて、代わりにきょとんとした顔のカエルだけが残る。

「ヘンナノ」

カエルが鳴く。

私は背を向け、走り出した。

声がその後を追う。

「ヘンナノ、ヘンナノヘンナノヘンナノ」

低木の茂みへ、その木々の隙間に身を滑り込ませるようにして前へ前へと狂ったように駆ける。

スピードを落とさなかった為に、跳ね返ってくる低木の枝が腕や足、顔に叩きつけた。

目から流れ出た涙が痛くて、喉の奥も痛い。

でも、それらの痛みなんかちっぽけな事だ。

酸素の薄くなった頭で、朦朧もうろうとした思考でただ疑問を繰り返した。

なんで?

なんで?私は、アレの事を普通に受け入れていたんだ?

ぴっちりと張られたぬめぬめとした皮膚。ボールのような眼玉。全身に散らばる細かな()()。筋肉の筋が浮かぶあのよく伸びる脚は私の背丈よりも長い。

私と同じ大きさだったカエル。

そして私よりも大きくなったカエル。

顔面にクモの巣が被さり、その拍子で足元がすくわれた。

私の中の私の中の動物的本能が初めて死の輪郭をとらえた。ーーだが、振り返ってもアレはいなかった。

不気味なほどに静まり返った林。カエルの姿はどこにもない。

それがどれだけ恐ろしい事か。

今この瞬間にも、私の死角にいるのかもしれない。カエルが私の直ぐ背後でその大きな口をぱかりと開いて今まさに丸飲みしようとしているのが脳裏に浮かぶ。

恐怖が体を立ち上がらせ、足を動かさせた。

林を抜けた先にある公衆便所に逃げ込んだ。

汚れたタイルの上に真新しい泥の足跡をつけて、個室の一つに駆け込むと無我夢中で鍵を掛ける。

とにかく壁が欲しかった。背中を預けられる壁が。

それが悪手の可能性を考える余裕もなかった。

荒い息を殺し、ランドセルを肩から下ろして胸に抱いた。蓋の閉まった便座の上にそろりと座る。

ドアの上と下には隙間があった。

あのカエルはこの隙間を通る事が出来るだろうか?

反対の壁に曇りガラスの小窓があるのも確認した。

ーーいざとなったらそこから逃げよう。

それだけ考えて私は便座の上で体を縮こまらせた。


目を覚ました時、同時に自分がいつの間にか眠っていたことを知った。

体中嫌な汗だらけでべたべたとして息苦しかった。

どれぐらい時間が経ったか正確には分からなかったが、少なくとも夜になっているのは確かだ。

たった一つの常夜灯がうすぼんやりとした白い光を放ち、黒点の羽虫たちが魅入られた様にその周りで踊っている。

何かのじじじ、という音が耳鳴りのようにずっと聞こえる。

腕に抱えていたランドセルは床に転がっていた。

それに手を伸ばす余裕もなく、私はただこの空間の中で唯一鮮明な色をしているその赤を無心になって見つめていた。そうして一体どれだけの時間が経ったのだろうか?

私ははっとして顔を持ち上げ、耳をすませる。

遠く遠く、虫どもの羽音よりも小さい音がやがて識別できる人間の声となって私の耳に届く。

それはずっと待ち望んでいた声だった。

兄や父が私の名前を呼ぶ声だった。

人生でこれほど心揺さぶられた瞬間は未だかつてない。あつい涙がたらたらと頬を流れる様に伝う。

「ヨシカワー」

さっき聞こえた声よりも近い距離で私の苗字が呼ばれた。

すぐ後ろの小窓に影がよぎる。

よかった、助かったんだ。もう大丈夫なんだ。

涙はとめどなくこぼれ、私は自分がここにいる事を伝えようと息を吸い込んだ。

「オーイ、ヨシカワァー、ドコイッタンダァ」

ーー吸い込んだ息を、私はそのまま飲み込む。

ふと思ったのだ。この人は一体誰なんだろう?

「ヨシカワァー」

私をヨシカワと呼ぶこの声は?

「ヨシカワー」

口調だけで言えば私の嫌いな数学教師にそっくりだった。

「ヨシカワ」

でも、この声は聞き覚えがあるようでない。少なくとも、これまで知り合った中でこんな声の()はいない「ヨシカワ」

「ォ、オーイ、ヨシカワァー、ドコイッタンダァ」

同じ言葉が繰り返された。

声は公衆便所の入口の方から聞こえた。ドアの隙間から床に影が伸びる。

誰かが公衆便所の中に入ってきたのが空気で分かった。

タイルを踏む靴音はしなかった。

代わりにぺちゃりという水音がした。

「ヨシカワ、ヨシカワ、、、」

ドアの向こう、一定のリズムで繰り返される声。

体ががくがくと震える。ドアの上下の隙間から二本の脚と目が半分見えた。

()()が。

声は出さなかった。だが、息が震えた。

その音にドアの上に飛び出た目玉がぐるりとこちらを向く。

確かに目が合った。私の目の何倍にも膨れ上がった丸い黒い目が姿見すがたみのように怯えた子供の姿を映していた。

真っ黒な目がじっと私を見て動かない。

私は動かなかった。動けなかったとも言う。だが、それでよかった。

カエルは私など見えていないかのように目を逸らすと、用具入れの方へと向かった。アイツは人間のように二本足で歩いているらしかった。

ーーカエルは静止しているものは見えない、昔図鑑で勉強した時に読んだその一文を思い出す。

「ヨシカワ、ヨシカワ、ヘンナノ、ヨシカワ、、、ケロ」

そうだ、動かなければいいんだ。そしたらアイツから私は見えない。

「ケロケロ」

激しい緊張からの一瞬の緩和、体中から噴き出た汗、震え、そしてその結果、背中の後ろの冷たい金具にひじがぶつかった。

体の下で水が旋廻する音がまるで台風のうなりのようだった。

カエルが音を耳にして恐ろしい速さでドアの前に戻ってきた。

もはや、体の震えを止めることは不可能だった。

吸盤のついた手がドアの上部に現れ、その黄緑色の体がドアと天井の隙間を通り抜けようと持ち上げられる。

視界がそれで埋め尽くされるほどにカエルの顔が近づいた。

「ヨシカワ、ヨシカワダ、イタイタ、ココニイタ」

もうダメだった。もはや恐怖をこらえきれず、体を内側から破こうとするような悲鳴を出した。

カエルが一瞬怯むほどの声だった。

自分でも信じられない力が私の体を動かして、背後のガラスを割らせた。

尖った破片が肌を突き刺すのも構わず私は体をくぐらせる。が、あと少しで抜け出る直前でカエルの手が私の片足を掴む。

ぞぞぞと右足から形容しがたい不快感が体を這い上り、頭の中が真っ白になる。

本当にもうダメだった。

「紗代!!」

突如、私とカエルの世界にその声が割り込む。

カエルの奇声と共に私の足が放たれた。

信じられないものを見るような心地だった。

「じいちゃん!!」

しわくちゃの手が私を抱き留めた。

その手は茶色く変色し、至る所がタコだらけで硬く厚ぼったく変形した大きな手だった。

私がこの世で最も信頼できる手の一つだった。

押し付けられた肩から漢方のような独特の匂いがして、私はもう大丈夫だと涙した。

変な話、私はたとえその瞬間にカエルに食べられたとしても恐ろしくなかった。

信頼できる人がそばにいる。一人で恐怖の中に死ぬわけじゃない、それが分かっただけで私はもう大丈夫だった。

カエルはすぐそこにいた。

私がぼろぼろと涙をこぼして、泣きわめくかたわらでやつはタイルの上をのたうち回り、泡状の体液を放ちながら、トイレの外へと転がる。

足の付け根に突き刺さったまさかりを抜き取ろうと躍起になって、そのせいで逆にぐいぐいとカエルの柔らかい体の内側へと刃は侵食していった。

遂に、カエルは二本脚で立つことをやめ、這うように林の暗がりへと姿を消した。

後には、その体から溢れた体液がナメクジの跡のように残り、それらは貯水池まで続いていた。


それから、あのカエルが目撃されたという話はどこにもあがっていない。



ーーさて、頃合いだろう。

人生百年時代と謳われる中の五分十分を私の体験談にお付き合いしてもらったわけだが、いかがだっただろうか?

こんなの作り話されても、、とか思っている人がほとんどだろう。

そりゃそうだ。実際、私もこれが現実にあった事なのか今じゃ自信もない。

数週間の引きこもり生活の後、元のように学校に通うようになると私の日常はあっという間に戻ってきた。

ナミエちゃんの家族はどこかへ引っ越していた。ナミエちゃんは家族と一緒に中央の方へと、みんなに別れも告げずに行ってしまったのだろうというのがクラスメイトの見解だった。

もしかしたら、本当にそうかもしれない。

それから、あの数学教師もいなくなっていた。

奇妙な事に、その存在は最初からいなかったかのように大人達の記憶から抹消されていた。

ただ、子供達の間ではまことしやかな説がこそこそとささやかれた。

「悪い事をしてたんだよ。

それがバレたからどっかに逃げたんだ」

「ウサギを盗んだのもあいつだって話だよ」

「なんでウサギなんか盗ぬんだよ」

「ばかっ!やめとけよ。そんな事考えない方がいいぞ」

そうして突き合わせた額の下でみんなはお互いの顔色を探り合っていた。

蛙に食われただなんて馬鹿げた話は誰も口にしなかった。

二本足で歩く蛙人間なんて一度だって耳にしなかった。

ーー本当にそうなのかもしれない。

夕食の席に着きながら、私はそう自答する。

目の前には好物のシチューが器になみなみとよそわれ、そこから暖かな湯気がゆらゆらと立ちのぼっている。

平凡でありふれた光景だ。

いつもの、日常的な食卓の様子。

限りなく確かで現実的な空間。

ーーテーブルの下にいる犬にこっそりパンをやっている兄も、左正面に座って一人だけイカとビールをやっている父も、あのカエルを見てはいない。

そして、私の他に唯一あれを見たはずのじいちゃんは何食わぬ顔で粛々とさじを口に運んでいる。あの日以降も一度だってじいちゃんの口からカエルについて語られたことはない。

いや、そもそもカエル自体が私の妄想だったのかもしれない。

あれは、私が作った空想の友達だったのだ。

そしてきっと私が正常に戻るには自らその友達を手放そうと思えるきっかけが必要だったのだ。

あの恐ろしい夜の出来事はーー今や目の前で沸きあがり消えつつある湯気よりも不確かでかすかなものとなっていたーー友人を創作した私の脳味噌が同じように生み出したイマジン、虚構きょこうだったのだ。

私はそう結論づけると、匙を手に取ってシチューをすく頬張ほおばった。

柔らかくなった玉ねぎや鶏肉は味が染みていてとても美味しくて、夢中になって食べた。

ーーぜーんぶ、ぜんぶ、あれは私の空想だったのだ。

すっきりとした私の顔を見て、赤ら顔の父が何を勘違いしたのかうんうんと頷いて、自分はまだ食べてもいないくせにしたり顔で講釈を垂れた。

「やっぱり、クリームシチューは豚より鶏だよなぁ」

そんな父に母が笑った。

「鶏肉?違うわよ、これは、

母の言葉を打ち消すようにしゃっくりが出た。

じいちゃんがぐるっと首を曲げて、しゃっくりをした私の顔を見つめた。だが、そんな事は気にもしていられなかった。

自分の口から出た声の妙な具合に私は腹の底が冷えるのを感じる。

ああ、また。「ケロ」


「こんなものまで食べるなんてまったくなんて食い意地のはったカエルなの?」



最後まで読んでいただきありがとうございました。

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