第二十六話 梅の花舞い散り、炎は揺れる(後編)(完)
鶯宿は新しく衣冠単を新調し、綺麗な見目でヒュドラの道を辿る。
険しい剣山に囲まれた先にヒュドラはいた。真っ黒い空を背負い、空に届くほどの大きなうねりだ。
ヒュドラは大きな巨体の蛇姿を持ち、百の首を持っている。
鶯宿に気付けば百の頭は鶯宿を睨み付けた。
「事情はハデス様より伺っております。ハデス様の花嫁になれば命は永遠になるのに。どうして期限があるほうを選ぶのですか」
「楼香を人間でいさせたいからだ。頼む、油をくれ」
「……延命させ続けるのですか? 何度も」
「いいや。きっと延命はこれっきりだ」
「楼香自身は嫌がるかも知れない」
「全部何が起きたか知らせる必要もないだろ。気絶していた、それだけってことにしておく。前と変わらない油の量なら、差は無いだろ?」
「……油がなくなる度に継ぎ足すのですか」
「いいやもう油を弄ったりしないと誓うよ。あやかしが関わったから死にそうだなんて理不尽だろ、自然死や人間由来の事故なら手は出さない」
「……本人や災害による寿命なりが宜しいと? では、貴方の覚悟に近いものを知りたい。どれだけ貴方が彼女を知っているか、逸れ次第で差し上げましょう」
「知識比べか?」
「いいえ、五つの質問に答えてほしいだけです。真実であれば油を五回渡します、一回で十年分は確保できます。けど、世界にとって答えが貴方の願いや希望であったり。虚偽であれば、なかったことに。貴方が間違えればそこで愛は失うし、貴方の油を貰います」
鶯宿はヒュドラの凄みや気迫に喉を震わせるも、掌を固く握りしめ頷いた。
「わかった、構わない。質問って何だ?」
「まずひとつめ。市松は彼女の味方ですか?」
なるほど、そういう趣旨かと鶯宿は目を見張り。
真っ黒い中にキラキラと光る空を見上げた。
空を見上げて出た答えは、単純なものだった。
風が揺れ、鶯宿の神を揺らし、金色の瞳の確固たる輝きをヒュドラは魅入った。
「味方だよ。だって市松は楼香を嫌いじゃない」
「騙していましたよ、楼香を」
「それでも。理由があっても、悪意があっても。楼香を虐めたいわけじゃなかったはずだ」
「――……ご名答。当たりです。市松は、確かに楼香の味方です。死なせたくないのだから。二問目、阿栗は味方ですか」
「……味方だよ」
「迷いがない、どうしてですか」
「阿栗も騙したりしてきた。でも、楼香を死んで欲しくないって願っている今では。だから、味方だ」
「確かに世界から見てもそれは真実ですね、では金平は?」
「……味方ではない」
「どうしてですか」
「金平は楽しい話が好きなだけで、特定の人間が好きで。楼香には特定の感情は湧き出ていないはずだ」
「どうして貴方にそれが判るのですか」
「味方だった市松の論を借りた」
「……なるほど、それなら四つ目。貴方は楼香の味方ですか」
鶯宿はヒュドラの二百もの瞳に見つめられながら、少しだけはにかんだ。
「味方になりたいけど、最初は味方じゃなかった。だから、変化して味方になった。あいつを地獄に連れて行こうとしていたのは忘れてはいけないんだ」
「そう。でしたら、最後の質問です。兎太郎は味方ですか?」
鶯宿は最後の質問に目を見開きよくよくと考えてみる。
兎太郎のこれまでや、聞いた話で感じた想い。
何より。先ほど駆けつける直前の、兎太郎が忘れられなくて。
ずっと人間界を離れていたときに見ていた雲外鏡での動向を思い出して、感じた話をしてみる。
兎太郎は、怯えているのだと。
「やり方を間違えているけど、あいつは楼香のじゃなく。人間の味方だ。人間を愛しすぎて、受け入れられなくなった現代が、許せないんだろう」
「どうして」
「いなくならないかと、自分を嫌いになれと、壊れるほどに。石橋を叩きすぎている。裏の気持ちは、好かれたい、だ。何より、楼香にとって悪人は誰もなれないから。楼香が信じるなら全員善人だ」
「……なるほど、確かに貴方は、楼香に纏わる者を知る知識人。知識在る者にはこれを差し上げましょう、お受け取りなさい」
ヒュドラのたくさんあるうちの一つの頭が、鶯宿の胸に近寄り、唇で鶯宿の体内に埋もれているランプを取り出した。取り出す際にキラキラとした金色の炎が噴き出し、鶯宿を包み込む。ランプが取り出し終われば、炎は砂金を名残に辺りへ散らばった。黒い夜に金色が散る。
ランプはぴかぴかに新品に近い姿をしていて、昔とは違う見目をしている。
鶯宿の体内で鶯宿のエネルギーを吸い、立派な器となっていたのだろう。
ヒュドラはそこへ、身を絞り油を注いでいく。油をうけて、ランプの灯火は強さを増す。
「この人の愛情に、負けましたねハデス様」
「そうデスねえ、ワタクシは、多分同じ問題をされても間違えていたよ。ワタクシはエゴを選びかけた。あの子の延命じゃなく願いを叶える理由にしかけた」
ヒュドラの後ろから現れた蒼柘榴は、微苦笑を浮かべている。
蒼柘榴を見つければ鶯宿は噴き出し、蒼柘榴にランプを手渡そうとする。
「もう二度とこのランプをなくすなよ、きちんと管理しろよ」
「はい、お任せください。ねえ、鶯宿くん。どうして楼香くんがそんなに好きなんです?」
「……今もその答えはわかんねえし、はっきりと答えられねえよ。でも、多分。そうだな、最初に人間を愛している俺を見つけてくれたからかもしれない。人間を好きだって言う、俺を教えてくれた」
鶯宿はランプに灯る火に指先を寄せて、最後にランプと交流すれば、蒼柘榴は身を揺らし笑い。
ランプを大事に受け取り、背中から冥府の船を呼びだし。船にすっと身を一瞬で移した。
船の上から蒼柘榴は鶯宿へ声をかけた。
「多分、ワタクシも答えは分からないけれど。あの子が好きでした。でも、きっと。君のようになれないし、幸せにはできない。だからあの子を頼みますよ」
「もう二度とくんなよ、死に神」
「善処します、日本風に言えばネ」
蒼柘榴が笑えば、汽笛が響いて空へ船は出航していった。
*
現世に戻れば、縁側に雲外鏡を手にしている兎太郎がいた。
兎太郎は今での遣り取りを眺めていた様子で、鶯宿に出会うと憮然としていた。
ばつの悪そうな顔だ。気まずい様子で、鶯宿が来るとすっと立ち上がり、すれ違う。すれ違いざまに声をかけられた。
「勘違いするな。果物にほだされただけだ。うめえものが小生は好きだ、つまんねえ食べ物送り次第殺すからな」
「そんなに必死になって嫌いにならないかって心配しなくても、楼香はきっと、許してくれるよ」
「許されたいわけじゃねえ、好かれたいわけじゃねえ。……昔の人間とのような、距離感が欲しいだけだ」
兎太郎は告げるとしゅっとその場から立ち去っていき、そのまま居なくなった。
その発言は面白ければ長生きして欲しいとの言葉にも聞こえて、鶯宿は少しだけ兎太郎の扱いが判っていった。
「あの人、寂しかっただけってよく判りましたね」
「気持ちは分かるよ。人間は時代が変わっていくと、オレらを必要としなくなっていったから、あいつは昔の俺だ」
「そうですね。兎太郎は、変化についていけなかったんでしょうね」
市松はそのままリビングで欠伸をし、テレビゲームに耽っていく。
お客のヨナルデパズトーリには悪いが帰って貰ったとのことだ。
流石に店主が倒れる案件となれば、受け入れづらいと理解してくれたと市松は笑って寂しげに話す。
「ヨナルデパズトーリもきっと悪意があったわけじゃなく。寂しかったんでしょうね、だから宿にきたかったのでしょうね。でも相容れないこともある」
「相容れる人だけ交流していくのが悪いわけでもない。それもまた、一つの人間関係だ」
鶯宿は階段をあがっていき、楼香の部屋までくれば阿栗が楼香の面倒を見ていた様子だった。
阿栗は鶯宿を見つけると、足下にひしっと抱きついておろおろと涙を見せた。
「楼香ちゃん、だいじょうぶだよねえ!? だよねえ!? しなないよねえ!?」
「大丈夫だ、もう。怖いこともない」
「ほんとお? おれさ、ぞっとしたよ。楼香ちゃんまっしろになっていく。ほっぺしろいんだ」
「大丈夫、見てみろ、今リンゴ色してる」
「あ……うわああああん……よか、よか、った」
阿栗はぐすぐす泣きじゃくると楼香に抱きつき、楼香が五月蠅さで体を起き上がらせる。
真っ赤な瞳を見て、鶯宿は堪えきれなくなった。
ずっとずっとこの人間を見ていたい。ずっとずっと出来ることなら、そばにいたい。
「楼香、意識大丈夫か」
「あ、ああ、うん、たぶん……迷惑掛けたね、あたしのランプさん」
「いつもお前は……本当に」
鶯宿は笑って、楼香に近づき、手を握る。
「聞いて欲しい話が、あるんだ。でも、その前にご飯にしないか。お前の作る飯、たくさん、久しぶりに食いたい」
*
エアコンは室温高めに設定し、考え得る最大の幸せを与えていこうと筆を執った竜道。
鬼の告白を狼にするシーンを画き終われば、ふうと椅子に腰掛ける。
本当に実行できたかはこの後の楼香の様子を見れば判るはずだ。
チャイムが鳴り、扉を開ければ兎太郎がふん、とふてくされた姿で立っていた。
竜道は中へ招くと笑い、席を勧めてお茶を出していく。
「お前の所為で楼香ちゃんの人生を滅茶苦茶にするところだった」
「利用したのは悪かったって」
「おお、随分素直だな、何かあったのか?」
「……小生はもう。なんつか、あの人間なら、結末を悪いもの与えても乗り越えそうな気がしてな。もう無駄に感じる、諦めねえんだもん、あいつら」
「はは、悪巧みは終わったのか」
竜道の笑い声に、兎太郎はじっと日記のある机を見やり。
机に近づくと出来たての日記の結末を確認し、はーと判りやすく嘆息をついた。
「これであの鬼がいちゃつきだしたらホント本物だ、手前は」
「そうだな、でももう書くネタもないし。書いちゃいけないって判ったし」
「おうおう、まあ。何か話が出来たら聞いてやるよ。手前の作り話は、小生は好きだったんだ」
――これまで。
兎太郎が悪巧みをしてきたのは、竜道に話作りを提供するためだった。
二人はネットを介して知り合い。いつからかともに物語を語り合う仲となった。
信頼の出来る相棒に、竜道は笑った。
「これ以上面白い話を作れと?」
「手前なら出来る。なあ、次は兎の話とかどうだ。書くのはだめでも語るならできるだろ」
「いいねそれ」
「次は酷い目にあったら、ちゃんとリアクションするやつがいい。なんてやつだ、とか。ひどいやつだとか。許されると居心地悪くてたまんねえや」
「許されたのか」
「聞いてはいねえが、そんな感覚がする。何よりあいつは、ばかなおおかみだから。騙され続けても笑うだろ。悪人殺しだ、負けたよ」
兎太郎は兎面をそっと外して笑う。
その顔は、竜道から見れば何処か楼香に似ていた――。
――完
閲覧有難う御座います。
これにて終わりのつもりです。
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