第二十六話 梅の花舞い散り、炎は揺れる(前編)
金平は神域の世界から鶯宿よりも早くに帰還すれば、楼香の家の近くにある木々へ足蹴した。
足蹴すれば、木々は揺れ、どさっと兎太郎が落ちてきて傅く。
傅く兎太郎に金平は興味をなくした様子で、話しかける。
「おめえ、もういいだろう。試験も終わった、おめえの守る理由ももうねえ。ただ、おめえそれでいいのか」
「それで、とは」
「おめえは本当は人間を襲いたいのではなく。市松のように、笑い合いたいのじゃあねえのか」
「小生の知る人間は人間じゃなくなった。今の時代、無理でしょう。もう、あやかしと笑い合う時代はなくなった」
「そうかね、アタシはまだ見込みのある人間なら何人か、居るんじゃねえかと思うが」
「……期待して傷付くのはもう嫌なんだ」
兎太郎は仮面を持ち直せば、すっとその場から離れていなくなった。
その景色を見つめ、兎太郎は冷える太陽を見上げ、冬の訪れを感じる。
「不器用だ。寂しければ寂しいと言えば良いのに」
*
兎太郎は誰かを守る行為など向いていなかった。だというのにこの数ヶ月ひたすら楼香の家の門番をしつづけた。
ストレスが溜まっている、そのストレスをぶつけていい先は楼香に決まっている。
どの怪異を送り込もうと悩んだ先に、兎太郎はスマートフォンから見慣れない名前を検索し。なるほどこれはいい怪異を見つけたと、連絡をとった。
兎太郎が頼ったのはヨナルデパズトーリという木こりの死に神だ。
気配だけで悪寒がし、動作の音を聞くだけで目眩がし、目が合うだけで死ぬ怪異。
市松の昔言っていた、それこそ悪意なく人を殺す妖怪だ。
そんなのを前にしてもあの態度でいられるのか、と本性を暴き出す想像をするだけで兎太郎は笑いさざめく。
ヨナルデパズトーリは連絡するとすぐに動いてくれて、楼香の家に訪ねていく。
人の姿をとったヨナルデパズトーリは楼香には何者か判らない。
何となく目を合わせてはいけないと本能的に悟ったらしく、楼香は胸元を押さえながら、ヨナルデパズトーリの相手をしていく。
そばにいるだけで具合が悪くなるし、足音だけでも動悸が酷い。
家の中に案内すれば、いつの間にかリビングに市松がいる。
「この方の対応は僕がやりますよ、まずい。貴方だと」
「でも」
「親切は受け取るように」
窓から市松との遣り取りを眺めていた兎太郎は不愉快に感じて、ついに縁側に腰掛け口出しをし始める。
「何言ってるんだ、そいつは輝夜を小生に襲わせないために、楼香を餌にしようとしていたんだぞ」
「……今ばらしますか、貴方」
「そんなやつに頼むのか、楼香よ」
「頼むよ、市松は悪いことしない。それに餌にしたいなら、きっとあたしを長生きさせたいはずさ」
楼香は胸を押さえ小さく笑えば意識を失っていく。市松は楼香を支えると、兎太郎に顔を向けた。
市松は驚いて楼香を支えながら身を引いた。
「なに、泣きそうな顔してるんですか兎太郎」
「うるせえ、顔なんてねえからそんなわけがねえ」
「なくたって判りますよ。空気が泣いてる。この人をこうしたのは、貴方でしょう」
「うるせえ!」
兎太郎は土足で家にあがると、楼香の胸ぐらを掴み。
楼香の体内に燃えるエネルギーを見つけ出すと、楼香から炎を放たせた。
炎は楼香を包み込み燃え上がっていく。
市松は息をのみ、熱さに咄嗟に楼香から手を放してしまった。市松の体にある火傷は熱をより吸収しやすい様子だった。
「何してるんですか。そんなの、やめなさい、いますぐ消しなさい! このままだと楼香さん死にますよ」
「いいんだ、死んでしまえ。小生を惑わす人間なんか要らない、もう、もう人間で一喜一憂すんのはこりごりだ! どうせいなくなるし、嫌われる! 飽きる前に棄てられる前に棄てる、それでいいだろ!」
「貴方……」
市松が楼香に水をかけようとするも、その場に突然影から現れた蒼柘榴に制される。
「お止めなさい、油に水はまずい。命のランプの炎が暴走してるだけだから、炎が消えてもまずい」
「殿下! だとすれば、どうすればいいの、このままだと死んじゃう」
「大丈夫、ですか」
ヨナルデパズトーリが楼香に歩み寄る。炎に包まれた楼香は薄目を開けて、目が合ってしまう。
命の鼓動がつきりと、痛む。
「どけ!」
帰還した鶯宿が窓から現れ、楼香に抱きついて炎を自分の衣服で叩きつけ消そうとする。強い繊維の衣服は焦げていくが、代わりに楼香の炎は落ち着いていき体内に戻っていった。
「鶯宿くん、楼香くんの命は多分、もう少なくなった。油を使い切りかけている」
「……楼香」
「……こうなったら、死ぬよりかはいい。ワタクシの、花嫁に迎え入れたら、延命できるかもしれない」
蒼柘榴は静かに呟き楼香の額をす、っと横から撫でた。楼香の顔は脂汗に塗れている。蒼柘榴はこんな形での、想いの遂げ方を残念に思うがそれ以外楼香が延命する方法はないように感じる。
楼香を生かしたい。その場に統一した想いを打ち破ったのは、鶯宿だった。
「テメェの欲を、やむを得ないって形で叶えようとすんな! お前のエゴだそれは」
「鶯宿くん……ッ」
鶯宿は蒼柘榴のエゴを許さなかった。諦めるなよ、との励まし代わりでもあった。
蒼柘榴は少し目を悲しげに目を見開いた。
「駄目だ、そんな無理矢理みてえな婚姻許さねえよ。俺は、あいつが笑って幸せになる姿が見たいんだ。結婚するならあいつが幸せじゃなきゃ、見ていたくない」
鶯宿は焦げ付いた身を気にせず、蒼柘榴の喉をがっと掴んで虚空に持ち上げ怒りを見せつけた。
蒼柘榴からすれば親切の一つでもあったのに、拒絶されては仕方ないと鶯宿の手を叩く。
「しない、しま、せん、から」
「花嫁にするよりも、もっと良い方法がある。そんだけ肩入れしてんなら、俺に手を貸せ。油をつぎ足しさせろ」
「……鶯宿くんのランプの油を、ですか」
「もっと根源の油を使わせろ。お前の油は、ヒュドラの油だろ。聞いたことがある、蛇の油は万能薬だ。神仏ならもっとやばい程に効くだろう? ヒュドラに、会わせろ」
鶯宿の言葉にどきりとする。
今まで油の燃料を当てた者などいなかった。
きっと鶯宿はこれまでずっと油になにかあったときの方法を考え続けていたのだろう。
油の燃料をなんなのか言い当てるくらいの博学者ならば、少しくらいは贔屓してやってもいいと蒼柘榴は目を細める。
「……神になった、今の君なら。きっと、ワタクシの紹介なく。会いに行けますよ、叶えられるかは別として」
この誠実さには叶わないな、だから幸せに出来るのは自分じゃないと蒼柘榴は諦めて笑った。
「君なら許される。昔から神様の依怙贔屓を、美女は受けていいって決まってるんでス」




