第二十四話 慟哭の水2――理解者を救いたい
たっぷりと時江の香りに包まれた後に、感じたのはあの頃よりも時江の魅力は衰えていたこと。
最中にきたねえ顔だな、と過ったりなどした。
この女に拘る意味はあるのかと思案し、竜道は女との用事が済めば、女を置いてけぼりに帰宅する。
最後に会う姿は最低でも良い、最低な最後に以前したのは時江だ。
今度は自分が最低な終わりにしたって文句は言われないと、時江の連絡先を消した。何度も味わいたいと今度は思えなかった。
帰宅する道の途中にある楼香の家は目に見えて大きく、昨今は明かりもよくついている。
楼香の家に入る男が見えた、美形の男だ。
最近楼香はあの男とよくいる姿を目にする。竜道は何かを考える素振りもなく、自然と体が楼香の家に向いていて、チャイムを押した。
「なんだ、あんたか」
「なに、俺だとまずいの?」
少しだけむっとした竜道は楼香の許可を得ることなく、家に上がり込む。
楼香の制止する声を聞かずに上がり込めば、中にはぎょっとする者達がいた。
角つきの先ほどの美形に、顔のない男。
どう見たって化け物だ。
顔のない男にいたっては、先日夢の中で自分の家を家捜ししていた男じゃないか。
「楼香ちゃん、どういう……ええ?」
「あ~~~~~~~~……怪異相手に宿開いてるんだ」
「えっ? 大丈夫なのか、それ」
「大丈夫、そのほうが襲われづらいんだ。家にルールを巡らせる行為で、制限させるから行動を」
「どうしてそんな」
「あたしは死ぬはずだったんだけど、寿命を延ばした行為で怪異に絡まれやすくなる体質になったからね」
「……死ぬはずだった?」
楼香の言葉に、どくんと竜道は心臓の鼓動の大きさを感じる。
喉を鳴らし、楼香を見つめれば楼香は諦めたように何処から話せばイイか悩んでいる。
美形の鬼が口を挟んだ。
「楼香の両親は寿命を楼香に譲ったんだ。それで地獄に行くはずだった楼香は現代も生きている」
「……しぬ、はず、だった?」
もう一度同じ言葉を繰り返してしまい、今目の前に楼香がいる現実が奇跡なのだと思い知り、どっと冷や汗が溢れる。
それはつまり。楼香とこうして会話するのも他愛ない会話ができるのも、両親が死んだからだ。
楼香の心を思えば複雑にもなるし、自分の心境を重ねれば雑に楼香を扱っていた後悔にも繋がる。
でも、もっと怖いのは別の部分だ。
「それってもしかして。ランプの油の量とか、関係する?」
「うん、そうだよ。よく知ってるね、命のランプが関わっているんだ。あたしのランプはそこの鶯宿が持っているって発覚したんだ最近」
「持ってるというか、体の中に存在してる状態だけどな」
「……楼香ちゃん」
「そういう顔をするだろうから、言いたくなかった。まあ、いいじゃん、あ、そうだ。一緒にご飯食べていく?」
「……いいの?」
「いいよ、作りすぎてるしな」
楼香は席に招くと、料理のセッティングを始めた。
鶯宿達も手伝い、市松に至ってはセッティングされるまでテレビでレースゲームをし続けている。
手慣れている様子に、嘘くささがない。
席に着けば、チーズフォンデュの様子で、道理で客が増えても問題ないメニューになるわけだと納得した。
ぐつぐつと煮えたぎるチーズの鍋に、パンや肉を浸していく。
トマトや揚げ餅、ブロッコリーに野菜も豊富だ。
「あっち、あちち」
「この熱さが堪らないですねえ、胃が温まって湯気が出そう」
「熱すぎていくつあっても飲み物たりねえや、って、市松いつの間にワイン開けてるんだ」
「最高ですよ~赤ワイン、安物ですけど」
「いやそれ俺のとっておいた赤ワインだろ!?」
「大変ご馳走様です」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ出す市松と鶯宿に楼香は笑いつつ、竜道に目をやる。
「あれ、食べないの竜道」
「ん……昔、さ」
竜道は自分でも混乱していて、やっと出たのが水の華の話だった。
「水で出来た花を見た覚えがあるんだ」
「へえすごいね! あたしも見てみたいな、種とかどんなだろうね!」
楼香のためらいなく信じる言葉に、竜道は言葉を失ってから爆笑した。
竜道はそうかそうか、と頷いて楼香の言葉に頷いて笑った。
――あのときも、信じてくれたのは楼香だったと、すっきりして竜道は自分を情けなく感じた。
手放してはいけない女性が誰だったか身に染みても、もう今では遅いなと竜道はチーズフォンデュの焦がしパンを口にする。少し香ばしさを感じる箇所はチーズと相性がとてもよい。
もちもちとしたチーズを味わいながら、熱さに喉が鳴った。
「ほんとに、世界一の大馬鹿が俺だってのは自覚した」
「なにどうしたの、頭でもうったの」
「いや……まあいい、お腹がすいた。俺も戴くよ」
*
楼香の自宅から離れ、帰り道を歩いて行く。
胃はたっぷりとチーズに侵され、たぷたぷと満足感だ。鶯宿が不満そうだったが、ワインも市松と一緒に戴いた。
鶯宿セレクトのワインは最高に相性が良くて、味も悪くなかった。
時江の時と違う、満足感だ。
世界でたった一人の理解者を手放したぽっかりとした感覚は計り知れない。空虚感や空しさが時間差で襲い掛かってくる。それでもどうしようもないけれど。
自宅に帰るなり、さてと問題の品を眺め直す。
今まで連ねてきた日記を纏め読みすれば、食事の時に詳しく聞いたこれまでの楼香や。楼香の客人に酷く重なっていく。
「楼香ちゃん、俺を――殺してくれ」
日記を捲っていきながら、罪悪感に魘された竜道は涙を零していく。
楼香の寿命を決めたのは自分かも知れない恐怖。
日記に書いてある物語の主人公と楼香はまったく同じ動きをしている。
自分の自殺願望だけじゃだめだ、と竜道は罪滅ぼしをおもいつく。
この日記をハッピーエンドにする、それだけが竜道の懺悔に報いられる。
ハッピーエンドにすれば、きっと楼香だってハッピーエンドだ、と竜道は考え込み、改めて日記を読みふける。
「俺が、俺がお前を幸せにするよ、俺だけがお前を幸せに出来る」
それはまるで、プロポーズのような懺悔だった。




