第十四話 シナリオを画いた卵2――歪な美
兎太郎が風呂上がりになる時間の頃合いに、夕食が整った。
夕食は、テリヤキチキンにたっぷりレタスが添えられて、トマトも彩りがイイ。
味噌汁は大根に油揚げ、冷や奴に、麻婆春雨。漬物は長芋をわさびと柚で漬けた物だ。
兎太郎はどかっと座り、準備が終わるなり、いただきますをも言わずに食べ始めた。
もっちゃもっちゃと音を立てながら箸を突き刺した照り焼きのソース滴る肉塊を齧り付いて咀嚼している。
兎太郎はごくんと咀嚼し終わり飲み込むと、大声で天井を仰いだ。
「まずい」
「まずいの?」
「こんなの肉といえねえ、そもそも手前は鳥肉嫌いだったわ」
鶯宿が席を立ち上がりそうになったのを腕で楼香が制すれば、鶯宿はぐっと堪えてもう一度席に着き、兎太郎を睨み付ける。
兎太郎は兎の面をつけなおしながら、けたけたと笑っている。
「じゃあ何が食べたいの」
「人間が食いたい」
「勝手に捕まえてこいよ」
「うーん、違うなあ楼香。お前は人間の反応として、歪な反応をした」
タバコを取り出して吸い始めた兎太郎に、楼香は睨み付ければ、楼香に向かって兎太郎は煙を吹き付けて楼香はむせ込んだ。
にやにやと兎太郎は笑っている。
「お前は歪だよ楼香。普通の人間は怯えるし、同族を食べるなと止めるんだ」
「ふうん」
「手前は歪すぎて、きっと綺麗になれない。綺麗な形も綺麗な色もできない魂をしているよ」
兎太郎の言葉はどこか楼香にとって悲惨な痛みを感じ、身がビリビリに破れそうな感覚だった。
急所を突かれたような感覚だった。
何故そんなに急所なのかは理解出来ない。
可愛らしい子供に近寄ったら致命傷になるくらいの心臓に一撃食らったような感覚だった。
貫かれて、脳が混乱した。
まるで人間落第だと言われた感覚だった。
「手前は並の人間より狂っているのに、輝夜より狂いきれない。一般人の枠をはみ出ない程度の狂人だよ」
「どういう、どうし、て」
「手前を見ていて気付いた事実がある。手前は流されるし、流された末で誰もが素敵な話しだなって後に聞いたらなる選択肢を選ぶ。だが自分では選ばない。信念がないからだ」
楼香は目を見開いて言葉を失い、一気に全身の血流がかっと逆走したような感覚になり恥じ入る。
「後に聞いたら他人が眉を潜める選択肢は選ばない、強いて言うならそれが信念だ。手前は綺麗かどうかで判断している」
「……あ」
「おしゃべりは終わりだ、そんな奴要らないだろ。その目の守護は、小生には効かねえ」
兎太郎は腕の毛を毛深くし、爪を鋭利にしてから楼香の首に腕を伸ばしかけたが、鶯宿が遮って腕を鷲づかみにして止める。
ぶるぶると互いの筋肉と馬鹿力で緊迫する。
兎太郎は仮面をずらして、笑いかけた。
「なるほど、お前の存在はこいつのナイフか。あいつにどうにかしてもらおう」
「あいつ?」
「狼が主人公の話を書いてるやつがいてな。お前みたいな愚かな奴の。さて、暇つぶしも終わったし帰る。まずいメシはいらねえ」
楼香は兎太郎の言葉が耳を素通りして、ショックさに身を震わせた。
何故これだけ怯えるかは理解出来ない。
美しくないからって何なのだ。美しくないからそれでも構わないと、言い切れればいいのに。
「ねえ、あんたは何がどうなれば満足するの」
「簡単だ、うまいものが食えれば良い。昔からの、うまいものが。昔が好きだった、時代に取り残されたんだ小生は」
「そう……」
楼香には何も言えず、兎太郎が帰っていくのを見送った。
*
楼香はそのまま何を話しかけてもぼんやりとしていて、首を押さえていた。
死線を初めて実感したからか、ずっと喉が落ち着かない。
楼香はぼんやりとしたままお風呂に入ってから髪をケアし、明日の支度をしてから寝ようとする。
いつまで経っても目が冴えている。
現実感がない夜にぞわぞわとして、目から涙が溢れてくる。
(どうしてあの場でそんなことないって、言えなかったんだろう)
(怖かったから? それだけじゃない)
(図星だったからだ。あたしは、綺麗な物、好きだもの)
(怪異との関係も、《《綺麗》》だから気に入ってた)
楼香はぽろぽろと涙し、布団の中に閉じこもろうとしたが、ノック音が聞こえた。
ノック音にびくっと反応し目元の涙をしっかりと拭ってから扉を開ければ、鶯宿だ。
鶯宿が気まずい顔しながら、心配していたのが一目で分かる。
「大丈夫か」
「うん、でも。眠れなくて」
「眠れるまでそばにいてやろうか」
「子供じゃないんだから……」
「いい、甘えておけ。大人になったら甘える機会なんて減るんだから」
鶯宿は楼香を片手で抱き寄せ、泣けるように肩を貸す。
ぽんぽんと頭を撫でて、涙を見ない振りをする。
楼香は鼻をすん、と啜り鶯宿の肩を借りると落ち着くまでその姿勢でいた。
落ち着いた頃合いに楼香は布団に腰掛け、鶯宿が手を繋ぐと鶯宿は楼香を布団の中に寝かせて鶯宿はそのままベッドの横で座り込む。
座り込んで手を繋ぎ、楼香の頬を撫でた。
「こわいのか」
「うん。でも、多分もう大丈夫」
「……あんまり無理するなよ、折角同居人いるんだ、好きに使え」
「……あはは、おかしいな。ねむくなって、きた」
「眠れそのまま。ゆっくり呼吸して。目を閉じろ」
楼香は鶯宿にリズムづいた撫で方をされたら、ゆっくりとそのまま深く眠りに就く。
夢の中は、美しい梅の中で遊んでいる夢だった。
腕に痛みを感じる頃、夢の中に赤い円が描かれ、腕に切り傷が何故か刻まれる。
鶯宿はその景色を不思議に感じた――。
*
竜道は日記帳を考えながら捲り、日記帳に考えた結果、いよいよ本腰上げて日記に小説を書こうとしていた。
そばには珈琲と手につきにくいと噂のチョコレート。
思考を巡らせる準備はできたし、時間も余裕ある。
竜道はそっとペンを手に取ると、その途端にインターフォンが鳴ったので苛つきながら出れば、兎太郎が現れた。
兎太郎は家に上がり込むと、どかっとソファに座る。
「なんだ、書き始めていたのか」
「ネタの提供にきてくれたのは有難いが、今はようやく書き始めようとしていたころでな。集中力がそがれた」
「そうはいうなよ、面白い話またしてやるよ。楽しい話は好きだろ?」
「この間言ってた輝夜って女の子の話してくれよ。題材として面白そうだ」
「いいや、それより聞いてくれ。手前は狼の題材が好きだろう? 狼になりそうな奴の話をこれから用意してやろうっていうんだ」
「おお、ほんとうか?」
「エンディングは決まっているのか?」
「質問に質問でかえすなよ、エンディングは悩んでいる。バッドエンドかハッピーエンドかも」
「久しぶりの小説なんだろう? 自由にいこう、バッドエンドでいこうぜ」
くつりと兎太郎がタバコを取り出せば、竜道はタバコを取り上げた。
「エンディングの参考にする、それで。狼の子がどうなるんだ」
「……狼は、悪い狼は死んで終わりだ。昔から三匹の子豚でも退治されていただろう? 狼の主人公は退治で、終わりさ」
兎太郎は竜道の日記を手に取り、そこにあった点で丸を付けた。
点を付けられた狼の文字は、目立っている。
紅い丸が滲めば、にやりと兎太郎は頬笑んだ。
――遠くからその光景を市松が眺めていた。
「言霊の日記バージョン、厄介ですね」
市松は嘆息を着いて膝を抱える。




