第十二話 特効薬3――紅い噛み痕
次の日になれば雷雨だった。
真っ赤な閃光の中、「こんな日に帰るなんて胸が高鳴る!」と怪人は帰っていった。
鶯宿はリビングのカウチソファで眠り、楼香は鶯宿に掛け布団をかけようとしていた様子だった。
鶯宿は雷雨が苦手であり、先日金剛力士と出会ったプレッシャーから胃がやられ、具合を悪くしてダウンしていた。
微睡みながら魘されている最中、カッと真っ赤な閃光が走り、怒号のような音が響けば身を竦めた楼香は鶯宿にびくっと飛びついた。
鶯宿は頭が胡乱になっていく。
――人の匂いだ。
「鶯宿、胃が悪いのか、薬持ってこようか。胃薬がいいか、胸焼けの薬がいいか……」
「要らねえ」
「でも……」
「いらねえんだ」
鶯宿は泣きそうな声で楼香を退ける。
退けたのは鶯宿なのに傷付いた顔をしていた。
――人の香りだ、瑞々しい。
肉の香りだ――と本能が優しく囁く。
甘く瑞々しい香りだ、今すぐ食らいつきたい噛みつきたい。
噛みつけばじゅわりと肉汁のごとく血はどれだけ溢れるのだろうか、と想像しただけで喉が鳴る。
(まずい)
鶯宿は自分がどんどん悪鬼になっている感覚が分かる。
理性が今は鶯宿を止めているが、いつ楼香に食らいつくか判らない。
「鶯宿?」
何も判ってない楼香がまだくっついている。
鶯宿はカウチソファに引き寄せ、態勢を逆転させ、のし掛かるように楼香を組み敷く。
楼香の真っ赤な瞳が血のようで愛しい。芳醇な香りがする。
にやあ、と笑った鶯宿は楼香の首根にぺろぺろと舐め始め、――噛みつこうとした瞬間、鶯宿は自分の腕を咬んだ。
鶯宿の腕から血が流れる。
楼香は目を見開き、ばか!!!と怒鳴った。
「放しなさい、ぺってしなさい!」
「……判ったか楼香。俺は、もう。多分そろそろやばい」
「なにいってんのよ、そんなの判らない、判りたくないよ!」
「我が儘言うな、俺はもう。この家を離れた方が……」
「あたしに、一人だった頃の食卓に戻れっていうの?」
楼香は一人の寂しさを思い出せばぼろぼろと泣き出し、鶯宿を抱きしめた。
「咬みたければ咬めば良い、食いたければ食えばいい。だから、一人のご飯の味を思い出させないで。もう、いやなんだ。一人になるの」
「……楼香」
鶯宿の食欲が収まっていく。ポケットを漁れば、楼香へのプレゼントに手がぶつかる。
ああ、そうか。楼香はとっくに――鶯宿にとっての特効薬になっていたのだと、鶯宿は笑ってプレゼントを楼香に差し出す。
「なら、いなくならないってこれに誓うよ。くれてやる」
「腕を血でだらだらさせながらプレゼントするもんじゃないよ!」
「はははははっ」
思ったより格好つかなかったけれど。
思ったより大きな存在すぎたけれど。
鶯宿は満足して、楼香の指先を手に取り柔く舐めて咬んだ。
期待していた通り、甘く芳醇な香りでうっとりとする。
鶯宿の表情の変化を見た楼香は、鶯宿にクッションで殴りつけた。
「痛い、なんだよ、咬んでいいっていったろ!」
「えろい顔してえろいことするんじゃないよ、むっつりすけべ! 捕食の噛み方じゃなかった!」
鶯宿のえっち!と屋敷に響き渡る声に、鶯宿はぽかんとしてから、大笑いした。




