第十話 ハデスの蔑視4――蒼柘榴の正体
蒼柘榴は帰り道に一つの気配に気付き、路上で振り向く。
暗い路上、月は朧。雲が空を覆う深夜。
月が雲から少しだけ顔を覗かせる時間に、市松は姿を現した。
「やあ、お久しぶり。しがないのっぺらぼうです」
「お前がうろちょろしていたのは知っていたよ。その上で逃していたんだが、まだ何かワタクシに用事でもあるのかね」
蒼柘榴は市松相手なら正体がばれているのも判っていたので、毅然とした振る舞いをみせる。
腕を組み、眼鏡を支え直し、そっと頬に手を寄せ市松を観察する。
市松は女性的な表情を浮かべ、世界一美しいと言っても過言ではないほどの女性顔から、何もない顔へと変化した。
市松なりの敵意のなさを現したいのだろう、蒼柘榴は頷いた。
「何のご用? 改めて聞く。言え」
「いやあこれはあくまで僕の推測の範囲ですけどね。最近、油の量が一気に亡くなる、なんてこと増えてません――?」
市松の言葉に蒼柘榴は金の目を見開き、凄んで見せた。
蒼柘榴の気迫だけなら、過去に出会った仏にも見合うほどの強い威圧感で、市松ほどの単純な怪異であれば簡単に畏怖するはずなのに市松はへらへらしている。
蒼柘榴は興味を持ち、にやあと歯を見せた。
「望みを言い給え、狐くん、仲良くしようじゃあないか」
「ふふ、僕と一緒に手を組もう。それはひいては、楼香さんを守る意味に繋がりますよ」
「楼香くんをワタクシが守りたいと思う理由があるのかね」
「そうでなければ貴方様は、楼香さんのご両親のお話を聞かずに油を移動させなかったと思いますよ」
「なるほど、ワタクシは美しいものが好きでね。楼香くんは美しくないが、美しくありたい気持ちが素敵だ。そこは否定しない」
蒼柘榴はうーん、と小首傾げて考え込んで、とんとんと頬を叩くように考え込み。
よし、と市松を改めて見つめる。
蒼柘榴の目には、市松の顔が徐々に楼香に似たものに見えてきたので、蒼柘榴は思わず笑みを零した。
確かにあの人間は何かと気になる。
蒼柘榴は虚空から果物を取り出し齧り付く、酷く喉が渇いたので飲み物のかわりらしい。
「ねえ、ハデス様、お願い事聞いてくださいよう――?」
市松の猫なで声に蒼柘榴はにこりと頬笑んだ。
「どうやって判ったんだ、教え給え」
「最初は難しかったですけど、ギリシャに由来する方かなと思いました。そこからは簡単、死に神っぽい方で一番お偉い方を探せば宜しい」
「そうか、身を隠すのは中々疲れるな。気配りが思いのほか必要だ。さてそれで、真名を引き当てたところでワタクシは痛くも何もない。それでも面白そうだから敢えて聞いてみよう。どうしたいんだ、お前は?」
「兎太郎という男、とっても邪魔なんです。僕の愛する先生にちょっかいをだしていくの。だから、僕は代わりに楼香さんを献上したい」
「それが楼香くんを守る意味にどう繋がる?」
蒼柘榴の眼差しには蔑視の色が宿ったが市松は気にしない。
「献上した物の、さしあげないんです。お見せするだけ、味見だけ。スーパーの試食と同じだけど、お買い上げできません」
「……釣り堀にルアーを垂らして、大きな魚を逃がすようなものか。ルアーは噛み千切られる心配はしなくていいのかな?」
「千切られないようにルアーの糸を頑丈にするんですよ、ハデス様のご助力があれば可能ですとも、ルアーの強化の補助に協力して欲しいの」
「……なるほど、それを何とかすれば油の量の調整も必要にならないということか、話を聞く限りでは兎太郎というやつは、ランプに悪さしてるのだろう?」
「はい、そのようになります、ですからお声がけをしました」
市松はハデスに恭しく一礼すれば、ハデスは髪を掻き上げて、市松を見下ろした。
この提案自体はわるくない、面白そうだ。
蒼柘榴は長く目を閉ざしてから目を開き、市松にふわりと笑いかけた。
「よろしい、君にワタクシを利用するのを許可しまス。存分にお使いクダサイ」
「ご許可、有難う御座います殿下」
「ワタクシは、楼香くんを守っておきまショウ」
市松は膝をついて手を取り頭を垂れれば、膝についたゴミを払い、そのまま立ち去った。
「楼香くん、とんでもない人が貴方には味方についてるようだね、ワタクシ含め。君の強みだ」
蒼柘榴は欠伸をするとベールをぶわりと解いて翻し、その場から消えた。




