2 先輩、案内してくれませんか?
彼女との出会いは今から約一か月前。まだ冬の寒さの残る三月上旬の出来事だった。
あの日は高校の後期入試日で生徒は全員登校を禁止されていたのだが、直前の三日間を風邪で休んでいた俺はその間に配られた明日が期限の課題プリントを取りに学校へ忍び込んでいた。
三学期も終盤の今、課題なんて忘れたところで大して成績には支障はないはずなので、本当ならわざわざ休日、しかも登校禁止の日に取りに行くなんて馬鹿のすることだ。
それなのになぜ取りに行ったのかというと、たまたま楽しみにしていた小説の新刊を買いに学校の近くにある大型の本屋まで出かけていた俺が、学校も近いし取りに行くかなんて考えてしまったからである。つまり俺が馬鹿だったというわけだ。
昇降口付近には大勢の受験生が待機していて通れそうになかったので、仕方なく裏口まで周り校舎内へ入る。
教師は受験生の案内などで手が離せないだろうから、大きな音を出したりしない限り見つかることはないだろう。
それでも念には念を入れて、俺は教室までのできるだけ人のいなさそうな経路を考える。
「あの道なら多分誰もいないだろうな」
ちょうどいい経路を思いついた俺は、足音を立てないように注意しながら歩き始めた。
「うわ、さすがにこれは多すぎるだろ」
無事誰にも見つかることなく教室までたどり着いた俺は、自分の机の中を見てそう愚痴をこぼす。
どうせ一、二枚だろうと甘く見ていたのだが現実はそう甘くないらしく、机からはみ出さんばかりの大量のプリントが顔をのぞかせている。
中には保護者へのお知らせや授業で使ったプリントもあるだろうから、そのすべてが課題プリントではないはずだが、少なくとも一、二枚では済まないだろう。というかまずこの中から課題プリントを探さないといけないのか…。
あまりの面倒くささに、いっそ何もなかったことにして帰ろうかな、なんて考えが頭をよぎったがなんとか踏み留まる。
「仕方ない、やるかぁ」
渋々手を動かし始めたその時、カラカラと音を立てながら教室の扉がゆっくりと開かれた。
(まずい、独り言がうるさかったか…)
とっさ机に体を隠すが、もし独り言が聞かれていたのなら見つかるのも時間の問題だろう。
優しい教師で見逃してくれる可能性に一縷の望みを託し、教室に入ってくる人物を待つ。
「だ、誰かいませんか~。あれ、いない?声はしたんだけどな……」
声を震わせながら教室に入ってきたのは女性のようだ。やはり独り言は聞こえていたらしい。しかしその声は教師の年齢を考えると少し、いや相当幼いように聞こえた。
隠れていた机から少しだけ顔を出して様子を伺うが、残念ながらその姿は見えない。
「あれ、あそこの机だけ椅子が引かれてる」
まさかと思い後ろを向くと、そこには机から出された状態のまま放置された椅子があった。とっさに隠れたので完全にその存在を忘れていた。
自分の間抜けさに嫌気がさすが、後ろから彼女が近づいてくる気配がするので今はそれどころではない。
(見つかるなら自分からの方がマシか)
そう諦めた俺は机の後ろからゆっくりと立ち上がり
「すいませ――――」
「あ!よかった人いた!」
謝るつもりだったのだが、彼女の声にかき消されてしまった。
それより今『よかった』って言わなかったか?
この状況で教師が言うはずもないセリフに疑問を感じ、顔を上げてその姿を確認すると、俺はさっきとは違う意味で自分の間抜けさに笑ってしまった。
「え、この人突然笑い出したんだけど、もしかして不審者…?」
「不審者とは失礼な。歴としたこの学校の生徒だよ」
出会い頭に不審者呼ばわりしてきた彼女は、下はチェック柄のスカート、上は白シャツに紺色のブレザー姿という、学生の模範ともいえる服装をしていた。
今日この学校にいるということは、きっとこの後受験を控えた中学生だろう。
「どうりで声が幼いわけだ」
「え、なにか言いました?」
「いや何でもないよ」
また笑ってしまいそうになったが、何度も不審者扱いされるのは御免なので我慢する。
「それはそうと、あなたお名前は?」
「冴島裕斗。この学校の一年生だ。君は?」
「私はこの学校を受験しに来たただの美少女です」
「ただの美少女って…。相当な自信だな」
「まあ事実ですし」
「事実だとしても自分で言うか普通…」
腰に手を当てて自信満々に自己紹介(?)をする彼女からは緊張感を一切感じず、この後受験を控えているようにはとても見えなかった。こんなに自分に自信があると緊張とかしないんだろうか。
そんなことを考えていると、突然彼女が「あっ」と何かを思い出したように声を漏らす。
その表情を見ると、そこには確かな焦りが見えた。表情が忙しいなこの子。
「どうかしたのか?」
「私こんなところで話してる場合じゃないんでした…急がないと」
彼女は振り返って黒板の上に立てかけてある時計に目をやる。つられて見ると時計の針は七時五十分を指していた。あれ、受験開始時刻って何時だったっけ。
「……もしかして結構時間やばい感じか?」
「……もしかしなくても結構やばい感じです」
「……はぁ」
俺は大きくため息をつくと、彼女の体をくるりと回転させ背中を押す。
「なんでこんな場所にいたのかは知らないが、早く会場に行け。遅れたらシャレにならないぞ」
「あ、そのことなんですけど」
「なんだ?」
「……試験会場まで案内してもらえませんか?」
「は?」
「実は私迷ってて、ここに来たのも迷ってたら声が聞こえたので助けてもらおうと…」
彼女を試験会場まで送り届けるというのは自ら教師に見つかりに行くようなもので、できれば御免被りたいのだが、先ほどとはまるで別人のように力ない表情をしている彼女を見るととてもじゃないが嫌とは言えなかった。
「……教室どこ?」
「え、えっと確か335教室だったと思います」
「それ別の棟じゃん……走るぞ」
「はい!でもすいませんお手を煩わせて」
「いいよ気にしなくて。その代わりこれを無駄な苦労にしないでくれよ」
彼女は一瞬言葉の意味が分からず呆気にとられていたが、すぐに理解したらしく親指をグッと立てて不敵に笑った。
「任せてください!私は勉強もできるタイプの美少女なので!」
「だから自分で言うなって…」
「事実ですから!」
すっかり自信を取り戻した様子の彼女は自慢げに胸を張る。
(彼女はきっと受かるだろうな)
根拠はないけれど、自信満々の彼女を見ていたらなぜかそんな気がした。
「はい、俺はここまで。この廊下まっすぐ行ったら着くから、あとは教師の指示に従ってくれ」
「あれ、最後まで送ってくれないんですか?」
その表情は少し不満があるように見えたが、本来学校にいてはいけない俺は教師に見つかるわけにはいかないので、教室まで付いて行くことはできない。
「……君は知らないだろうけど、本当は今日在校生は登校禁止なんだよ」
「あれ、それなのに学校にいるってことは先輩って意外とワルなんですか?」
彼女はからかうようにくすりと笑う。
「そんなわけないだろ。てか時間。もう本当にやばいぞ」
スマホで時間を確認すると七時五十六分と表示された。すでにあと五分を切っているため、こんなやり取りをしている場合ではない
「そうですね。それじゃあ先輩、本当にありがとうございました」
そうお礼を言うと、彼女は小走りで廊下をかけていく。
もう届かないのは分かりながらもその後ろ姿に小さく『頑張れ』とつぶやくと、俺も本来の目的を果たすべく自分の教室へと戻るのだった。
この後無事彼女は合格し、どうやって調べたのか俺のクラスを突き止め毎日のように会いに来るようになるのだが、それはまた別のお話。
すごいご都合展開だけど小説の中は自由だからセーフ




