アウラ
ザインは肩を落とした。
「また来る」
そう言って、分厚い書類を抱える。
「あぁ、そうだ」
サフィラスがつぶやくと、ザインは嬉しそうな顔をした。
「なんだ⁉︎」
サフィラスは頬杖をついた。
「前から言いたかったのだが……」
「あぁ!」
「お前、髭は剃った方がいいよ」
「は?」
「似合っていない」
昔に比べ額は一層広くなったが、伸ばした顎髭は相変わらずひょろひょろしていた。
「そうか。考えておく」
肩を落とし、ザインが去る。
サフィラスは椅子に腰掛けたまま、長く動かなかった。
やがて日が暮れ、夜の帳が落ちる。
耳のピアスに触れる。成人した日にアグノティタから貰ったピアスだ。
あの日からずっと付けている。
「姉様……」
ふと思い立ち、謁見の間に向かう。
少しでもいい。アグノティタの温もりに触れたかった。
謁見の間には誰もいなかった。
玉座まで進む。
座る者のいない空の玉座。
イーオンは今頃、どこか別の部屋で馬鹿騒ぎをしているはずだ。
(そういえば、父様も王の仕事をしていなかったな。ほとんどネブラ叔父様に押し付けていた。王とは、そういうものなのかな……)
肘掛けに触れる。
ピアスをくれた時、アグノティタが触った場所だ。
肘掛けはひんやりと冷たかった。
アグノティタに会いたい。
そう思った瞬間、涙がこぼれた。
「姉様……。姉様……」
サフィラスは声を上げて泣いた。アグノティタが死んでから、初めてのことだ。
サフィラスが泣かなかったのは、アグノティタが死んだことを受け入れていなかったからだ。
どこか遠くにいって、ただ会えないだけ。
そんな感じがしていた。
しかし冷たい肘掛けに触れた瞬間、アグノティタを失ったことを、ようやく実感した。
「姉様。姉様。アグノティタ姉様!」
玉座にすがり泣き続ける。
いくらすがりついたところで、アグノティタはかえってこない。
硬く冷たい肘掛けがあるだけだ。
サフィラスが泣きわめいていると、西の扉からボールがひとつ転がってきた。
サフィラスは顔を上げた。そして驚いた。
ボールを追いかけて、アグノティタが現れたからだ。
「姉様!」
弾かれるように立ち上がる。
スカートの両端を持ち、アグノティタが会釈する。
「あら、サフィラス叔父様。ご機嫌よう」
その動きは、はつらつとしていて、精気に満ちている。
「あ……。アグ……アウラ……?」
「はい。アウラです。お久しぶりです」
ボールを追いかけて来たのはアウラだった。
アウラはアグノティタに生き写しだった。
煌めく紅い瞳。雪のように白い肌。腰まで伸ばした白に近い金髪。
とうもろこしのようなその髪は、細く柔らかく、アグノティタは手入れが面倒だといつも言っていた。
鏡台の前に座り、ゆっくり丁寧に梳かしていていた。
幼い頃、その後ろ姿を見るのが好きだった。鏡越しに目が合うと、いつも微笑んでくれた。
(姉様……。姉様はここにいたのですね)
サフィラスはようやくアグノティタを見つけた。
アウラの中に、アグノティタは生きている。
サフィラスは生きる希望を見つけた。
ザインの言葉が蘇る。
『私はお前の味方だ。私には用意がある。賛同する者も多い。お前さえ望めば、お前は王になれる』
王位になどに興味はなかった。
アグノティタのいない世界など滅べばいい。
しかし──
王になれば、アウラは手に入るだろうか。