アグノティタ
扉を開けると、血まみれのイーオンがいた。
「おや、お前を呼んだつもりはなかったが」
イーオンは真っ赤なものを抱いていた。
「せっかくだ。紹介しよう。我が子、デフだ」
イーオンは抱いていたものを見せた。ぬらぬらと体液が光り、しわくちゃで、赤黒い紫色をしている。
「おかしいな。赤子なのに、この子は泣かぬ」
デフはぐにゃぐにゃで、小さくて、言われなければ、それが人間の子どもだとはわからなかった。
「子というのはもっと可愛らしいものだと聞いていたが……」
イーオンは不思議そうにデフを見た。
「兄様……。姉様はどこ?」
「アグノティタか? あれはよく頑張った。奥にいるぞ」
サフィラスは震えていた。震えながらイーオンの横を通り過ぎ、部屋の奥へと進んだ。
奥の部屋からは、かちゃかちゃという音がしていた。
扉を開け、中に入る。
アグノティタはベッドに横たわっていた。
相変わらず顔色が悪い。ひび割れた唇を見て、サフィラスは蜂蜜を持ってくれば良かったと思った。
唇を潤すのには、蜂蜜がいいのだ。アグノティタがそう言っていた。
アグノティタは緑色のシーツをかけられていた。
横たわるベッドは、なにやら硬そうだ。
羽毛を取り寄せなければ。サフィラスはそう思った。
このように硬いベッドでは、アグノティタの細い身体を優しく包むことは出来ない。
羽毛でいっぱいにした布団を取り寄せなければならない。
アグノティタの隣で、医師が血まみれの器具を片付けていた。
かちゃかちゃと響く音はこの音だった。
それ以外は、何の音もしていない。
サフィラスと入れ替わるように、医師は部屋から出て行った。
「イーオン様。御子をお渡し下さい」
「何故だ?」
「生まれるには、まだ早すぎるのです。早く保育器に入れなければ」
しばらくして、赤子の泣き叫ぶ声がした。
サフィラスは、アグノティタを放っておいていいのかと思った。
安らかな顔をしている。
眠っているのだろうか。
そうであれば、起こすのは可哀想だ。
子を産むのは大変なことだと聞いている。きっと疲れたのだろう。休ませてあげた方が良い。
アグノティタを起こさぬよう、そっと近づく。
ぴちゃり、ぴちゃりと音がする。
アグノティタは目を閉じていた。
(やはり眠っているのか)
サフィラスは指の背で、アグノティタの頬に触れた。
アグノティタに触れるのは、本当に久しぶりだ。
長い睫毛に彩られた目尻をそっとなでる。
アグノティタはピクリとも動かない。
手の平を頬に当てる。その冷たさに、サフィラスは動揺した。
「姉様?」
サフィラスは小さな声で呼んだ。
「姉様? 疲れましたか? サフィラスです。サフィラスが来ました」
アグノティタは答えない。
「眠っていますか? 少しだけ起きてもらえませんか?」
サフィラスはアグノティタの肩に触れた。
じっとりと濡れているのに、驚くほど冷たい。
「姉様? 姉様?」
いくら呼んでもアグノティタは動かない。
肩を揺すられ、身体にかけてあったシーツが下に落ちる。
アグノティタは、何も身に付けていなかった。一糸纏わぬ姿で横たわっている。
腹部には、縦に真っ直ぐ切り込みが入っていた。
「姉様⁉︎」
足元には、大量の血溜まりが広がっている。
そこにイーオンが入ってきた。
「アグノティタの言ったことは正しかったようだね」
デフを妊娠したのは、離宮に監禁した後だ。
デフの瞳の色を確認し、イーオンはようやく納得した。デフの瞳も紅かった。
「アウラもデフも、私の子だ」
「何を言っているのです? 姉様は一体どうされたのです?」
サフィラスの声が震える。
イーオンは、アグノティタにかけていたシーツが落ちていることに気付いた。
「おや。そのように辱めるものではないよ。いくら姉弟とは言え、わきまえないと」
「兄様。姉様に何をしたのです」
「アグノティタは頑張ったよ。褒めてあげなさい。命懸けで、この世に生を授けたのだ。神聖なるカルディア王朝を繋ぐ人間を生み出したのだ」
イーオンが近づく。
「デフにはアウラを娶せよう。永遠に途切れることのない、神聖なる絆だ」
サフィラスは力が抜け、床に崩れ落ちた。
びちゃりと血が跳ねる。
「兄様……。姉様は……」
「子を残す為の犠牲になったのだ。仕方あるまい」
「そんな!」
「アグノティタは、子を産む為に生まれてきたのだ。そしてその使命を果たした。王家の義務を果たしたのだ。それとも何か? カルディア王朝の存続よりも、この女の命の方が大切だと言うのか?」
サフィラスはアグノティタの言葉を思い出した。
『この神聖なるカルディア王朝の血を繋げなくてはならないのです。ルヅラを持つ者を絶やしてはならない。ルヅラが絶えるということは、カルディア王朝の滅亡に繋がるのです』
「そんな……姉様……。では、僕は一体何の為に生まれてきたんだ……」
イーオンがふんっと笑う。
「そんなこと。決まっているだろう。私の為だ。私の為にルヅラを生み出すのだ。お前たちは、ルヅラを生み出す為だけに存在している」
イーオンは高らかに笑った。
「永遠に、カルディア王朝は続くのだ!」