逃げ場
サフィラスはルウチの店にやって来た。サフィラスの持っている逃げ場はここだけだった。
受付の男を捕まえる。サフィラスの目は赤く血走り、衣類は乱れていた。尋常でない様子に、受付は戸惑った。
「ルウチを呼べ。前金だ」
サフィラスは懐から護身用の短剣を取り出した。男が悲鳴をあげる。
サフィラスは男に無理やり短剣を握らせた。
短剣には豪華な装飾がされ、捨て値で売っても、この娼館で一晩過ごす代金より高価だろう。
男はいつもの部屋にサフィラスを案内した。
やがてルウチが訪れた。憔悴しきった様子のサフィラスを見て、ルウチは驚いた。
「一体どうなされたのです」
隣に腰掛け、頬をなでる。
サフィラスはルウチに抱きついた。強く抱きしめルウチに問う。
「何故だ。何故僕はダメなんだ。どうして僕じゃダメなんだ」
錯乱したサフィラスに、ルウチは身を任せた。サフィラスの好きにさせた方がいいと思ったのだ。
「僕は一体どうしたらいいんだ」
涙を流し、サフィラスはルウチにキスをした。
サフィラスの手が忙しなく動き、ルウチを求める。
幼子が母の乳を求めるように、サフィラスはルウチの乳に吸い付いた。
ルウチは奥の部屋に移動した方がいいと思ったが、サフィラスを止めることは出来なかった。
サフィラスは激しくルウチを求めた。しかし、いよいよという時に、サフィラスの動きはぴたりと止まった。
逸る気持ちとは裏腹に、サフィラスの身体が高まることはなかった。
「何故だ……。君とは出来たはずなのに。何故なんだ。僕の身体はおかしいのか?」
サフィラスは脱力し、打ちひしがれた。その哀れな様子に、ルウチの心は痛んだ。
これ以上、愛するサフィラスの苦しむ姿を見ていることは出来ない。
「サフィラス様」
ルウチはサフィラスの手を取った。
サフィラスは足繁くルウチの店を訪れたが、ルウチに手を出すことはなかった。
突然ふらっとやって来て、ルウチの歌を聴き、ぐーぐー眠る。
それだけだ。
「申し訳ありません。ルウチは偽りを申しておりました」
「偽り?」
「落ち込むことはありません。初めてでしたら、よくあることです。ルウチでお手伝いできることなら、なんでも致します」
「え? どういうこと?」
ルウチはサフィラスから手を離すと、床に膝をつき両手を組んだ。
「ルウチとサフィラス様は、あの夜、何もしていません。サフィラス様は酒に酔い、すぐに眠ってしまわれたのです。申し訳ありませんでした」
神に赦しを乞うように、ルウチはサフィラスを見つめた。
その瞳は静謐で真摯だった。
「なんで? どうして?」
「サフィラス様の気を少しでも引きたくて、言えませんでした」
いつか本当のことを言わなくては。そう思っていた。それなのに、サフィラスに会えるのが嬉しくて言い出せなかった。
店に来ても、膝枕で眠り、たわいのない話をするだけだ。
キスをするのも、いつもルウチからだった。
キス以上のことに発展することは、1度もなかった。
それでも、サフィラスに会えるだけで、ルウチは幸せだった。
本当のことを言ったら、以前のようにまた、ふたりきりで過ごす時間はなくなるだろう。
そう思うと、言えなかった。
「そんな……じゃあ……」
サフィラスは呆然とした。
「それなら、僕は姉様から離れる必要なかったじゃないか。姉様を裏切ることは、何ひとつしていない。姉様と、ずっと一緒に過ごせたじゃないか」
ふらりとサフィラスの身体が傾く。
ルウチは支えようとした。
はたから見れば、ふたりは抱き合っているように見えただろう。
しかしサフィラスの手は、ルウチの首にかかっていた。
ギリギリと締め上げる。
「あ……サフィ……」
「あのまま、ずっと、姉様と一緒に。ずっと……」
ルウチの手が落ちる。
涙がひと粒、溢れた。
こんなことをしている場合ではない。
ゆらりと立ち上がる。
部屋から出ると、店員とかちあった。異変を感じた店員が悲鳴を上げる。
サフィラスは中指から指輪を抜くと、店員に渡した。
「後金だ」
ルヅラの塊で出来た指輪を見て、店員は店主の元へ駆け寄った。
サフィラスはそんなやり取りに見向きもせず、店から出た。
停めてある車に乗り込む。
「城に戻れ。いや、離宮だ。姉様のいる離宮に向かえ」
アグノティタに会いたい。会って再び以前のように過ごしたい。
サフィラスの頭の中にあるのはそれだけだった。