後継者
顔色は悪く、やせ細っている。
玉座に載せる手首の、なんと細いことか。
サフィラスは耐えられず、アグノティタの後ろに立った。
(抱きしめたい──)
サフィラスは手を伸ばした。
その手が触れる前に、アグノティタは振り向いた。
「サフィラス、展覧会をお止めなさい」
「は?」
「中止しろと言っているのです」
「何を言っているのです。大丈夫。心配することはありませんよ」
サフィラスは、アグノティタが経営の心配をしているのだと思った。
「心配しなくても、ちゃんと黒字です。貴族たちから不満がでないよう、見返りもちゃんと渡しています。商人たちも商品が飛ぶように売れて、嬉しい悲鳴をあげています。それに──」
「そういうことではありません!」
サフィラスは言葉に詰まった。
「姉様?」
「あなたが優れているのはわかっています。確かに展覧会は大盛況です。貴族も商人も潤い、国民は娯楽を見つけ、景気は上がりました」
「いいことずくめじゃないですか」
「わたくしは、あなたの心配をしているのです」
アグノティタが、サフィラスの胸に飛び込んだ。小さく華奢な拳でサフィラスの胸を打つ。
「国民が熱望していることを知っていますか?」
「え? ねつ?」
アグノティタの額が胸に当たる。サフィラスの鼓動が早くなる。
頭に血が昇り、何も考えられない。
「国民は、優秀な王を求めているのです」
「当たり前ですよ。王は優秀な方がいい」
「ですから、国民は、あなたに王になってもらいたいのです」
「なるほど僕に王に…………僕に⁉︎」
アグノティタの瞳に涙が浮かぶ。
「あなたも知っているでしょう。賢者ブドの最後を。アンガーラの弟で、アンガーラの頭脳だった賢者ブド。彼が最後どうなったかを……」
賢者ブドは、アンガーラを陥れる罠を画策し、そのせいで命を落とすことになった。
「わたくしは、あなたに死んで欲しくないのです。ブドのようになって欲しくないのです」
アグノティタがサフィラスの胸で泣く。
「何を言っているのです。僕がブドのようにだなんて。僕はお父様に反逆したりしません」
「お父様ではありません」
「え、だって王って……」
「言いたくはありませんが、お父様はもう長くないでしょう。だからこそ、このような問題が起きるのです」
サフィラスはアグノティタの肩をつかんだ。
「後継者問題……」
アグノティタがうなずく。
「ハ、ハハッ」
サフィラスが乾いた笑みを浮かべる。
「サフィラス?」
「姉様。それこそバカバカしいですよ。僕が後継者ですって? 後継者は兄様に決まってます。兄様ほど王に向いている人はいないでしょう」
ポケットからハンカチを取り出し、アグノティタの目をぬぐう。
「快活で、面倒見が良くて、万人に好かれる。王になるのは、兄様みたいな人です。僕じゃない」
「そうかしら……」
「僕なんて、人に助けてもらわなければ何もできない。展覧会が成功したのだって、僕ひとりの力じゃない。ザインたち貴族や、家庭教師の先生たちや、商人たちの力添えがあったから成功したんだ」
「それこそが──」
「姉様。王になるのは兄様だよ。何も心配することない。兄様が王になるのは、僕が生まれるずっと前から決まっていたことだ」
「そう、かしら……」
「そうだよ。だから大丈夫。安心して」
アグノティタは小さく息をついた。
「そう。そうなのね」
「ああ」
サフィラスは大きくうなずいた。そして同時に、心臓がズキリと痛んだ。
(姉様が心配したのは僕じゃない。兄様だ……)