白絹のハンカチ
薄暗い店内に、女のくすぐったい声が響く。
鼻の下を伸ばし、リカルドが隣に座る女性の膝をなでまわしている。
「リカルドったら。セーラのお父様がいてるのに」
サフィラスは眉をひそめた。
「え〜? 何ですか〜?」
リカルドはすでに酔っているらしく、顔を赤くしていた。
「後で泣いても知らないよ」
だらしなく笑うリカルドをねめつける。
「若いのですから仕方ありません。ラーウム男爵も、あれくらい気にしませんよ」
「そうなの?」
サフィラスは、リカルドが娘の婿に見合う、真面目な男だとアピールするために呼ばれたのだとばかり思っていた。
あれでは逆効果ではないか。
「それより、サフィラス様には結婚を決めた方がいらっしゃいますか?」
「ええ。15になったら結婚します」
「そうですか。今おいくつでしたかな?」
「12です」
「ルウチも同じくらいかい?」
「私は13です」
「ではちょうど良いですな」
サフィラスはきょとんとした。
「何に?」
はっはっはっと、ザインが笑う。
「お友達になるのにです。おっと、王族であらせられるサフィラス様に、お友達とは失礼でしたな」
「そんな事ないよ。よろしくね、ルウチ」
サフィラスはルウチに向かって手を差し伸べた。
「こちらこそ……」
ルウチがそっと握り返す。
すると、握る手とは反対の手に目がいった。
白いハンカチを握りしめている。
「あ、それは」
白絹に、赤い糸で花柄の刺繍がされている。
「そのハンカチ。僕がデザインしたやつだ」
ルウチはハンカチを見た。
「これをでございますか?」
「うん。王家の暮らし展覧会で買ったやつでしょう?」
ハンカチは客から貰った物だ。ルウチは返答に困った。
するとザインが身を乗り出した。
「サフィラス様がデザインされたのですか!」
その勢いに、サフィラスはびっくりした。
「そうだよ。アグノティタ姉様のウェディングドレスをイメージしたんだ」
ルウチがうっとりとハンカチをなでる。
「どおりで素晴らしい手触りです」
「でしょう? 同じ生地を使っているんだ。でも思ったほど売れなかった。もっと売れると思ったのになぁ」
サフィラスはため息をついた。ルウチは思わず笑った。
「それは、こんなに高級な物。たくさん買えません」
最高級の白絹を使ったハンカチは、これ1枚で下流庶民なら1ヶ月は食べていける。
「私なら、ハンカチにそんな大金かけられません」
言ってから、しまったと思った。
では何故持っていると聞かれたら困る。
しかしサフィラスは全く別のことを聞いてきた。
「じゃあ何ならかけるの?」
「何ならって。物によります。ハンカチならこれくらいとか。ドレスならこれくらいとか。その人の自由に出来るお金によって、その金額は変わります」
「そうなんだ……」
サフィラスは目から鱗が落ちたようだった。
「ご存知ないのですか?」
「ハンカチや服を自分で買ったことないんだ。展覧会のために、建物や会社は買ったんだけど……」
ルウチは改めてサフィラスが殿上人だと思い知った。
「でも考えてみれば当たり前だよね。建物にも会社にも、予算がある。ハンカチや服だって同じだ」
サフィラスは、ぐっと顔をルウチに近づけた。
「じゃあもっと安くすれば良かったのかな?」
ルウチの頬が赤く染まる。
「そ、それは。安く手に入れば嬉しいですけど。儲けにならないのではないですか?」
「そうか。赤字になったら意味ないや」
サフィラスが身を引くと、ルウチはほっと息をついた。
ザインはイライラとした。
ルウチには、サフィラスをたらし込むよう、しっかりと伝えてある。
高級娼婦の技を使えば、サフィラスのような青二歳イチコロだろう。
それなのに、何をぐずぐずしているのだ。
そして、何よりもザインを苛立たせるのはサフィラスだ。