鈴朱郭
サフィラスは自室で見積もりを眺めていた。細かな計算をし、資料と照らし合わせる。
資金の振り分けを考えていると、従者のリカルドがそっと寄ってきた。
「あの。サフィラス様」
リカルドは分家の出身で、昔からサフィラスに仕えてくれている。
従者の仕事は優秀だが、調子が良くて軽薄なところがある。
「なあに?」
「今日のご予定は、何かありますか?」
最近のサフィラスは習い事に加え、展覧会の打ち合わせがあり、とても多忙だ。
「特に誰かと会う予定はないけど」
見積もりを出す為、午後からの予定は全て空けておいた。それは従者のリカルドも承知しているはずだ。
「もしお時間が許せば、一緒に来て頂きたい所があるのです」
「どこ?」
「それがその。ラーウム男爵と会うことになりまして」
「ラーウム男爵?」
「セーラの父親です」
「セーラって、君と付き合っている娘だよね?」
「はい。それで、もしよろしければ、一緒に行って頂けないかと……」
「僕が同行した所で何も変わらないよ?」
サフィラスに男女の機微はわからないし、その父親の気持ちなどもっとわからない。
大人の話に口を出すには、自分はまだ幼いと思った。
「そんな事ありません。上司に信頼される所を見せれば、ラーウム男爵もきっと私を信用してくれます」
リカルドはサフィラスの正面に回りこみ、両手を組んだ。
「お願いします。サフィラス様」
サフィラスはうなった。
展覧会の関係で城外に出ることはあったが、いまだにプライベートの外出は避けている。
アグノティタとの約束を破ることになるからだ。
「それにラーウム男爵の用意した店は、とても素晴らしいと評判だそうですよ」
「そうなの?」
「はい。1度訪れると、虜になるそうです」
「そんなに?」
「はい。それはもう。きっと展覧会の参考になります」
少し考えてから、サフィラスはうなずいた。
「それなら、展覧会の視察ということにしようか」
「ありがとうございます!」
リカルドは瞳を輝かせた。
王都は別名を水の都と呼ばれ、街中に水路が走っている。
サフィラスは車の中から、ゴンドラに乗る少女を見た。
大きな籠を乗せ、何か売っているようだ。手に果実を持っている。あれが売り物だろうか。
橋の上から、青年が少女を呼び止める。
恋人同士だろうか。嬉しそうに手を振り合うふたりを、サフィラスは羨ましそうに眺めた。
車が止まり、サフィラスは降りた。
「あれ? この店は前に来たことがあるよ」
ネオンに彩られた看板に見覚えがある。
けばけばしく彩られたネオンには『鈴朱郭』とかかれていた。
「えっ⁉︎ サフィラス様がですか?」
「うん。以前ネブラ叔父様に連れてこられた」
サフィラスはリカルドが言うように、虜になるほどの魅力を感じなかったので、残念だった。
これでは展覧会の参考にならないだろう。
生唾を飲み込み、リカルドが尋ねる。
「で、どうでした?」
「あんまりだったな。なんだかひつこいんだ」
「ひつこいくらいですか?」
「うん」
リカルドは身悶えした。
サフィラスは、この店が娼館であることを、いまだに知らなかった。