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アグノティタの寝室

「姉様! アグノティタ姉様!」

 晩餐の間に現れたアグノティタを見て、サフィラスはすぐさま駆け寄った。

「サフィラス。いつまで経っても甘ん坊ですね」

 アグノティタに抱きつき、サフィラスが笑う。

「だって、久しぶりです」


 アグノティタが晩餐の間に現れるのは、久しぶりのことだった。体調を崩し、ベッドから起き上がれぬ日々が続いていたからだ。


「部屋に会いに来ていたではありませんか」

「でもずっと寝ていたでしょう。ベッドに寝ていたら、抱きつけません」

「まぁ。本当にこの子は……」


「もう起きて大丈夫ですか?」

「ええ」

 抱きしめる腕に力をこめ、甘い匂いを吸い込む。

 香水をつけている訳でも、化粧をしている訳でもないのに、アグノティタからはいつも甘い匂いがする。サフィラスはこの匂いが大好きだ。


 体から腕を離し、手を握る。テーブルまで進み、椅子に座らせる。それからサフィラスもアグノティタの隣に座った。

 すぐさま給仕が来て、料理を並べる。


 食前の祈りを捧げ終えると、アグノティタはそっと注意した。

「残してはいけませんよ」

 サフィラスの顔が嫌そうに歪む。

「はぁい」

 しぶしぶフォークを手に取ると、海藻サラダを口に入れる。


 テーブルの上には、3つの皿が並んでいる。

 ひとつはレバーパテと、ほうれん草のソテー。もうひとつはイワシのマリネと、海藻のサラダ。最後は青菜のクルミ和えだ。

 この中でサフィラスが好きなのは、海藻サラダだけだ。


 中央に置いてあるパン籠から、ライ麦のパンを取る。

「パンを食べてもいいですが、他のものもちゃんと食べなさい」

 アグノティタが少し怖い顔をする。

「わかってます」

「あなたは、ただでさえ小さいのだから」

 サフィラスはレバーパテをフォークでつついた。これが1番嫌いなのだ。


 サフィラスは晩餐の間を見渡した。

 全ての王族が集っている。

 人数はそれほど多くない。皆、白に近い金髪に、紅い瞳をしている。

 一様に小柄で、顔色が悪く、覇気のない顔だ。

 各々好きな場所に席を取り、同じメニューを食べている。


 サフィラスは小柄な王族の中でも、特に小柄だった。身長は低く体重も軽い。9歳になるというのに、少年というより幼子のようだ。


 レバーパテを口の中に放り込み、噛まずに飲み込む。すぐさま水で口を漱ぐ。

「お利口でした」

アグノティタが微笑む。この微笑みを見る為に食べていると言っても過言ではない。アグノティタがいない日は、ほとんど残している。

 サフィラスは皿が空になるまで格闘した。





 食事が終わり、アグノティタは自室へ戻った。サフィラスも自室に入る。

 シャワーを浴び、眠る準備を整える。しかしベッドに入っても、サフィラスは眠ることが出来なかった。


 サフィラスたちカルディア王家には秘密がある。

 血液がルヅラに変わることだ。


 ルズラは金や銀と同様に、貨幣として用いられる。展延性が高く装飾品や美術工芸品としても利用される。


 血のように紅い色をしていることと、希少価値が高すぎることから『悪魔の血』の異名を持つが、本当に血液から出来ていることは、王族だけの絶対の秘密だ。


 ルヅラに変わる血を守る為、王族は近親婚を繰り返す。両親のうち、どちらかがルヅラに変わる血を持たない場合、子どもの血液もルヅラに変わらないからだ。


 太古の昔から、ルヅラはカルディア王朝の財政を支えてきた。


 王家はひとりでも多くルヅラに変わる血を持つ子を増やす為、成人を迎えるとすぐに結婚する。成人は15歳だ。


 アグノティタは明日、15歳になる。

 明日になると、公式に兄イーオンとの婚約が発表され、数ヶ月後には婚姻の儀が行われるだろう。




 サフィラスの胸はざわつき、締め付けられた。

 言うなら今しかない。

 今日を逃すと、婚約が発表されてしまう。

 頭の中をそればかりが駆け巡る。


 ついにサフィラスはベッドから起き上がった。

 部屋から抜け出し、薄暗い廊下を進む。

 アグノティタの部屋は、サフィラスの部屋からそう遠くない。


 ノックをすると、アグノティタが返事をした。


 サフィラスがこの部屋を訪れることが出来るのは、今日が最後だろう。

 成人を迎えると、婚約者や配偶者以外の異性の立ち入りは禁止される。

 例えそれが姉弟であっても、9歳の少年であってもだ。


 サフィラスは扉を開けた。部屋の中には甘い匂いが充満している。

(これは、何の匂いだろう……)

 不思議に思いつつも、胸いっぱいに吸い込む。


「サフィラス、どうしました?」

 アグノティタはドレッサーの前に腰掛けていた。ゆっくりと丁寧に髪を梳かしている。

 鏡ごしに目が合う。


 白い肌によく似合う、薄いピンクのナイトウェアを着ている。

 晩餐の時に着ていたドレスも綺麗だったが、アグノティタはどんな格好をしていても美しい。

 サフィラスはそう思った。


「姉様……。本当に、イーオンと結婚するつもりですか?」

「ええ。それが王家の勤めですもの」

「でもイーオンは、姉様のことを愛していないよ?」


 櫛を持つ手が止まる。


 アグノティタは櫛を置き振り返った。青白く痩せた顔に、大きな瞳だけが輝いている。

 その瞳は驚くほど深く澄んだ紅色だ。


「王家の結婚に、愛など必要ないのです」

 アグノティタはきっぱりと言った。

 サフィラスはアグノティタを見つめた。

 愛が必要ないのなら、自分のこの感情は何なのだろう。何の為に、このような気持ちが生まれるのだろう。


「でも姉様。姉様もイーオンのこと、愛していないでしょう?」

 アグノティタは首を横に振った。

「サフィラス。私は、この神聖なるカルディア王朝の血を繋げなくてはならないのです。ルヅラを持つ者を絶やしてはならない。ルヅラが絶えるということは、カルディア王朝の滅亡を意味するのです」

「だったら……」


 サフィラスは「だったら自分でもいいじゃないか」と言いたかった。

 アグノティタのことが好きだ。産まれてきた時から好きだった。それがいつ愛に変わったのかわからない。

 しかしサフィラスの魂は、アグノティタを求めてやまないのだ。


「サフィラス。もっと利口になりなさい」

 アグノティタは諭すように言った。

「私はイーオンの子を産まねばならぬのです。正統な血族を絶やしてはならぬのです。そこに意思は必要ないのです」


 サフィラスは自分の気持ちを伝えたかった。「愛している」と伝えるだけで良かった。イーオンのものになる前に。


 しかし、王家の結婚に愛が必要ないのであれば、自分のアグノティタに対する気持ちもまた、必要ないものなのだろう。


 サフィラスはぐっと拳を握りしめ、踵を返した。

 扉を開けた時、アグノティタは言った。

「兄様のこと、呼び捨てにするのはおやめなさい」


 サフィラスは答えずドアを閉めた。

 本当に呼び捨てにしたい相手はイーオンではなかった。アグノティタの名を呼びたかった。

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