第十話 信長の娘
「勝頼、お前も良い齢じゃ。嫁を取れ。」
「よ、嫁にございますか。」
嫁って言ったって俺はまだ17・・・
いや、でもこの時代では普通か。
今よりもはるかに平均寿命が短いんだからな。ライフイベントも早期化するか。
「嫁と言っても、どこの御方で?」
「お主も知っておろう、信長の娘じゃ。」
「信長⁉」
俺はこの瞬間ピンと来た。
これはいわゆる政略結婚だ。戦国の世では良くある手段の一つだ。
意外かもしれないがこの時点での武田家と織田家は同盟関係にある。多分、領国を接しているからだろうな。父上は上杉との戦いに専念するために相模の北条とも同盟を結んだ。
同盟を結んだとき、人質として相手方に自分の娘を嫁入りさせることが多いのだ。
「信長の娘と言っても養女だ。そんなに気負う必要はない。」
養女か…とはいえ、同盟関係を維持するために下手なことはできないからな。
「祝言はいつ行うのでしょうか。」
「ん? 3日後じゃ。」
「3日後!? 何でそんな急に?」
「大丈夫じゃ、安心せい。お前の知らないところで手筈は整っている。」
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ザワザワ ザワザワ
朝からもの凄い人数が集まっている。
あの信長だからな。御供の数も輿の数もえげつない。至る所に織田家の家紋である木瓜紋が咲き乱れている。
どうやら、兄上の話を聞く限りこの高遠の地に来る前に織田家との最終的な打ち合わせを済ませてきたらしい。俺が合戦に出ている中、この婚礼の話は水面下で進んでいたようだ。
俺もちゃんとした装束に着替えて式に臨む。
こんだけ大人数がいるとやっぱり緊張するなぁ。
「似合っておるの、勝頼。」
「兄上…」
「儂の若い頃を思い出すわ。」
若い頃ってまだ数年前の話だろうが。
「まぁ、織田に失礼のないようにしろよ。今回の婚儀はとても重要なものなんだからな。」
「はい、分かっております。」
「それじゃ、頑張れよ。」
織田方の御供と宴会があるからと言って兄上はどこかに消えてしまった。
どこまで酒好きなんだあの人。
しかし、やっぱり一番気になるのは花嫁である。
可愛い人がいいなぁ、どんな性格だろう
いろいろ想像が膨らむものだ。
俺がグヘグヘと気持ち悪い妄想をしているところに織田家の侍女の一人がやってくる。
「勝頼様、此度の婚礼誠にお慶び申し上げます。間もなく、姫がこちらに参りますのでお待ちくださいませ。」
「ああ、分かり申した。」
その時、すっと奥の襖が開けられた。そこに立ってたのは花嫁衣装に身を包んだその(・・)人であった。
ぱっちりとしつつもきりっとした目、小さい口、細くて高い鼻。
か、かわいい…というよりは綺麗だ。え、まじでこんな人が俺の奥さんになるの?
何かいきなり気後れしてきた。自分に自信がもてなくなってきた。そう思う程に美しい。
「姫様、私が良いというまで入ってはいけないと…」
先ほどの侍女が声を掛けるが一向に聞く耳を持とうとせず俺の前に座った。
「織田信長の娘、たえ と申します。」
「諏訪四郎勝頼と申す。」
たえっていうのか。歳は俺と同じ17、8だがそれ以上に落ち着き払った声。「妖艶」という言葉がビックリするほど似合っている。
その後、式は着々と進み何事もなく終えることができた。
「ふぅーっ」
俺は被っていた烏帽子を床に置く。
「若の晴れ着姿とても良かったですぞ。」
「うーん、まぁそうね。」
「たえ殿はどのような感じの御方でしたか?」
「めっちゃ綺麗な人だったよ。俺にはもったいないくらい。でも…」
「でも?」
「緊張してたのかな。あんまり表情に変化がないというか。」
まぁ、この時代の結婚式っていうのは華やかさよりも厳かさだから新郎も新婦も真面目に取り組むのが普通だから笑ったりはしないんだけど。
でも、どこか冷たさを感じたのだ。
表情を変えないというよりは表情がないっていう感じだった。
「まぁ、長旅の疲れがあったのでしょう。それよりも若、これを受け取ってください。」
「なにこれ。」
そう言って、じいが渡してきたのは一冊の本だった。
何と表紙には『新郎床入入門』と書いてある。
そう、あともう一つ重要な儀式が残っているのだ。
それが「床入り」
始めて夫婦となった男女が初夜を遂げることだ。
「あのなぁ、俺だってさすがにこれくらい。」
「念のためにございます。夜までに読んでおいてください。」
そう言い残すとじいはニヤニヤしながら部屋を後にした。
「むかつくな、あのじじい。」
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「えーっと、まずは上体を倒し乳お揉み…」
って、やってられるかこんなの。俺は本を床に放り投げ寝ころんだ。
いよいよ夜になった。新郎はこうして新婦が寝床に入ってくるのを待つ。
恥ずかしいことだが俺は現世でも令和の時代でも一度もそういった経験がない。
つまりこれが初体験だ。見栄張らずにじいにもうちょっといろんなこと聞いとけばよかった。ミスったなこりゃ。
障子に人影が浮かぶ。来ちゃいましたか。
俺は姿勢を直してオホンと咳払いをする。
「入れ。」
俺がそう声を掛けると襦袢姿のたえがそこにはいた。
「近う寄れ。」
たえは布団の上に座る。男女が布団の上で座り向き合っている状態だ。
暗い中に灯明皿が一つだけ。お互いの顔はよく見えない。
俺は意を決して、服を脱がせようと体を引き寄せた。
その時、ようやくたえの表情が分かった。
無表情というかどこか悲しい顔をしている。
服を掴んだ手を優しく放す。
「どうした? 緊張しているのか。」
たえは答えようとせず、下を向いた。
「我らはもう夫婦なのだぞ。遠慮することはない。」
「・・・・死にたくないのです。」
「え?」
俺はたえの言葉に耳を疑った。
「武田は滅びます。死にたくないのです。」




