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第十七話 死の抱擁

 開始の合図を皮切りに、会場に割れんばかりの歓声が沸き起こる。これから始まるワンマンライブ、もとい楽しい殺戮ショーが幕を開ける。


 数瞬の後に闘技場内には鮮血の前衛絵画が描かれ、悲鳴という名の子守唄が響き、路傍の石となる俺の姿が想像されているだろう。


 ──だが、そんな期待を裏切るかのように現実は静かな駆け引きから始まった。


 お互いが距離を取り牽制し合う。しっかりと相手を見定めると言えば良いのか? どちらも不用意に仕掛けようとはしなかった。


 俺自身のこの戦いにおける作戦はシンプルだ。序盤はとにかく自身の体力を温存し、相手を疲れさせる。長期戦を想定した動きをするつもりだ。


 つまりは相手に仕掛けさせ、攻撃をいなす事を中心とした組み立て。常に中心をずらしてレッドキャップと正対しないよう、ゆっくりと円を描くように歩を進めていく。消極的ではあるが手堅い選択と言える。格闘ゲームでいう所の"待ち"に近い。


 対する敵も王者の貫禄とでも言うべきか、俺の意図を分かっているのだろう。自分からは近寄ろうともせず、裏を取らせないよう俺の動きに合わせていた。


 ……いつでも突っ込んで来てくれて良いんだぞ。


 こうした膠着状態がしばらく続くと思っていたが、やはりこちらの考え通りには進まないらしい。


「ほぉ……大した自信だな」


 何を思ったか、突然レッドキャップが構えを解き、腕をだらりと下げる。「やれるものならやってみろ」とでも言いたげなこの姿。早速状況を動かしてきた。


 しかも掌を上にして、何度も指を動かし掛かって来いと言わんばかりの挑発を行なってくる。


 この地味な絵面に埒が明かないとでも思ったのかは分からないが、当然その行動に観客も大喜び。黙ってそれを見ている俺に対しての野次までがセット。演出まで心得ているとは大した脚本家だ。


 さすがは試合巧者と言われるだけの事はある。バレバレではあるが、俺と同じく仕掛けさせてのカウンター狙い。明らかに罠である事は重々承知。安易に乗っかると大火傷する。


「……と、そこまで言うなら、お言葉に甘えさせて貰いましょうか!」


 だが、折角のデートのお誘いだ。それを無碍に断るのは男が廃る。俺がこれまでの相手とは違う所を見せるには逆に好都合。どうせなら逆に利用させて貰おう。


 脇を絞って左手を右前腕部に重ねるように構えを変化。こういう事を平気でする。相手に意味を悟られる前にさっと駆け出し、ノーモーションで愛用の棍棒を真っ直ぐ脳天目掛けて振り下ろした。


「ハッ!」


 先端をぶらさずに確実に脳天を捉えた一撃が小気味良い音を出す。軌道修正を必要としないショートカットのクイックショット。ただ速いだけではあるが、それこそがこちらの誘いの一手。


 ブンッ


 すぐさま反撃がやって来るが、そんな事は端からお見通し。すかさずバックステップして、空を切ったレッドキャップの拳へ行き掛けの駄賃となる小手打ちを打ち込んでおいた。


 迎撃体勢を充分に整えていたのに俺の攻撃が先に当たり、自分は当たらない。狐に抓まれた感覚だろう。俺が非力でなければこれだけで充分なダメージを与えていた筈だ。挨拶としてはこれ以上ない。


 ここでレッドキャップが先の対戦相手のように怯んでくれればどんなに楽な事か。しかし、現実はそう上手くは運ばない。一瞬動きを止めはしたが、ここはチャンスとばかりに手を緩めようともしない。痛みも何するものぞと追撃の拳を連続で入れてくる。


 当然こちらもそれは想定済だ。動きを見せた瞬間にバックステップ。爪先立ちでの軽やかなショートステップで全てをやり過ごしていった。


 そうしてお互いが距離を取る。息が上がる前にインターバルを取ったという所だ。攻め疲れの消耗からの逆撃を警戒した形となる。とは言え、俺もそんな余裕は無い。さっきの連続攻撃は全てを回避できたが、その実ギリギリであった。


 一度振り被るテレホンパンチだと侮っていたら思った以上に速い。しかも伸びがある。だからと言って大きくバックステップすれば体勢を崩しかねず隙を見せる羽目になる。ショートステップは次の行動に移り易いが、その分距離が短く攻撃を受ける可能性がある……相当神経を使うぞこれは。割り込みで反撃を入れるなんて「無理」の一言で終了だ。


 どうしてだろう? こんな時ほど会場の盛り上がりが無闇に癇に障る。いや、客席はさっきの攻防を称えているだけだ。例えその中に俺への野次が混じっていたとしても。それは分かっている。分かっている筈なのだが、追い討ちを掛けるようにレッドキャップまでが俺の姿を見て笑みを溢す様に更にイラツキが増してくる。


「コ……コイツ……」


 まるで俺の心を見透かされているような怖さがある。もしかしたら、不安が表情に出ているのだろうか? 駄目だ。思考が悪い方向に流されている。


 今一度考えろ。俺のするべきはあのハゲの体力を削る事。冷静になれなくてどうする。このままではこちらが先に潰れてしま……ああ、そうか。


 何故こうも焦っていたのか? 無理に冷静になろうとするから逆に自分を追い詰めてしまう。そんな事は無意味だ。する必要がない。要は俺の方が相対的に冷静で心理的に優位になれば良いだけの話じゃないか。


「このままじゃあジリ貧だしな。いっちょやるか」


 駆け引きは相手がいて初めて成り立つ。そう、相手がいる。自分が駄目なら相手を落とせば良い。得られるものはこれで同じとなる。


 目的は挑発。良いのを入れようとは考えていない。賭けにはなるが、これで流れが一気に変わるだろう。

 

 トンボの構えのまま無造作に足を前に進める。一歩、二歩。そして三歩目は爪先ではなく足刀部を相手の方角へ。引き寄せる右脚は踵部分を前方へと向ける。後はそのまま──時計回りに身体を反転しつつ横薙ぎ一閃。


 ブンッ


 鈍い風切音が周囲を震わせた。バックハンドブローのように一度背を向け攻撃を繰り出す。勿論、引っ掛かって手を出してくれたらラッキーという程度だ。予想通りレッドキャップはこの動きに引っ掛かる事なく、踏み止まる。


 だからこそ続きがある。正面を向いて構え直した後、さっきの意趣返しとばかりに「かかって来い」と指を使って挑発。得意の気持ち悪い笑顔もセットでプレゼントした。さあ、これでどうだ。


 効果は抜群だった。


 レッドキャップが大きく吠え、突然距離を詰めてくる。当然だ。俺でもこう馬鹿にされたなら絶対に同じになる自信はある。特にさっきの空振りで一瞬身が竦んだなら尚更。恥ずかしさを振り払うように、相手に目に物見せようとムキになるのは自然な流れである。


 冷静さを欠いたやけっぱちの攻撃など見切るのは容易(たやす)い。無駄に肩に力が入り、全体の動きが固くなる。そこがチャンスだ。左に右にかわしながらも、腕に、腿に、横腹に、頭に、素早いだけの攻撃を叩き込み続ける。


「ハア、ハア、ハァ……」


 ギリギリの攻防が続く中で疲れが出たのか、今一度お互いに距離を取った。


 人というのは何故こうも現金なのか。神経をすり減らし、額から汗が滴るような緊張感の中で妙に頭だけは冴え渡ってくる。理由は分かっている。レッドキャップのお陰だ。アイツが血を昇らせてガムシャラになればなる程、俺は急速に冷静さを取り戻し、相手を揺さぶる攻撃が可能となった。


 しかも、攻撃疲れと言うべきか、動きも若干遅くなったように感じる。


 …………いける。これを続ければ、こちらに勝機は充分にある。後は俺の精神力次第だ。


 現金なのは客席も同じであった。きっと大方の予想は「俺が秒殺される」であったのは想像に難くない。実績は勿論、パワーは圧倒的にあちらが上なのだから当然。なのにいざ蓋を開けてみると、予想は裏切られて俺はまだ地面の上に立っている。あまつさえ、見る者が見れば俺がレッドキャップを翻弄していると思うかもしれない。


 その証拠に、最初は逃げ回っているだけの俺を嘲笑うかのような野次が其処彼処(そこかしこ)から飛んできたが、次第に鳴りを潜め逆にざわめき始める。中には「あの色付き(カラード)やるじゃねぇか」とまで混じる始末。予想外の展開がこの場の雰囲気を徐々に変えていく。


 まだ今なら最終的にはレッドキャップが勝つと信じているだろう。だが、これが続くようなら一体どうなるか? 答えは子供でも分かる。絶対的なチャンピオンであるコイツがこの流れのままで良いと思うであろうか?


「そう来るか……」


 答えは否だ。レッドキャップの構えが変化した。腰を落とし、重心を低くする。明らかに何かを狙っている状態……タックルだな。そのまま俺を捕まえる事も視野に入れているだろう。


 体重を前に入れて後ろ足で大きく地面を蹴り、こちらに突撃しようとしてくる。


 "釣れた!"


 この瞬間をずっと待っていた。向こうからすれば、ちょこまかと逃げ回る俺に業を煮やし、その隙を与えない鋭い攻撃となる。けどな、毎回逃げ回るだけだと誰が決めた。そんなものは単なる思い込みなんだよ。


 迫り来るレッドキャップを前に冷静に距離を詰め、更に右脚を一歩前へと踏み出す。そのままタイミングを合わせて、沈み込むかのような気持ちで今持てる限りの最高のスピードで得物を真下へと振り下ろす──


「デリックさーん! 頑張ってーー!!」


「ハッ!」


 "カウンター攻撃" ── 足りない攻撃力は相手の力を借りて補うとても合理的な攻撃。


「えっ?! 今のもしかしてアイダ?」


 棍棒を振り下ろす直前、アイダに似た声が聞こえた。俺は彼女に今日試合をする事を伝えた記憶がない。どうして試合の事を知っていたんだ? いや、気のせいだ。それよりも今は目の前の事に集中しないと。


 ピシッ……バキッ。


「なっ、何だ!」


 レッドキャップの頭部を確実に捉えた筈の手の感触が、突然砂のように崩れだす。愛用の棍棒を手放す事は無い。今も握ったままだ。なのに訪れる喪失感。それは物凄く単純な理由だった。


 ドスンと何かが地面へ落ちた音が聞こえる。その正体は棍棒の片割れ。細胞分裂などと馬鹿な話はあり得ない。ただ真っ二つに折れただけ。俺の渾身の力を込めた一撃は脆くも崩れ去った。


「マズイ!」


 当然の事ながら、このハンターチャンスをレッドキャップが逃す筈がない。中途半端な俺のカウンター攻撃をその身に受けながらも、たじろぐ事なく前へと進む。


 気付いた時にはもう遅かった……いや、身体の反応が追い付かなかった。目の前には筋骨隆々の緑の巨体。頭から一筋の血を垂らしながらも丸太のような両腕が俺をガッチリとホールドする。そのまま引き寄せられ──


 足元から地面の感触がなくなり、ふわりと宙に身を躍らせる。脱出しようと身体を(よじ)らせる余裕もない。大きく息を吸い込む音を聞いた途端、


「ッーーアア゛ァァァーー!!! 」


 "ベアハッグ" ── 別名:鯖折り。胴回りを締め上げ背骨から肋骨を圧迫する技。強い腕力と強固な下半身が必須。


 俺の役割は痛みに悶絶し、悲鳴を上げるピエロへと様変わりしていた。


 ついに発揮されたレッドキャップの真価。それは即ち俺の絶体絶命の危機でもあった。 

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― 新着の感想 ―
[一言] ぎゃああ!!!! デリックくーーーーん!!!!(゜Д゜;)
[良い点] 来たな鯖折り……! 最大のピンチ! けれど、だからこそこっからの反撃がアツい……! 分かっちゃいるけど燃えますね!
[一言] デ、デリックウウウ!!!(迫真) 鯖折りと言われると、エドモンド本田を思い出します( ˘ω˘ )
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