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そしてその日はやってくる。
町を大きな影が横切って、不審に思った人々が空を見上げた途端、ルフの巨体が降ってきたのだ。
最初の攻撃を受けたのは、町の中央広場。
アウロタレアには北門から南門と、東門から西門へと、二つの大通りが走っており、それが十字に交わる場所には大きな広場があった。
ここは位置だけじゃなく、機能的にも町の中央で、アウロタレアの主要な施設は大通り沿いに建てられているし、中央広場では定期的に市が開かれる。
週の初めは食料市、週の中は雑貨市、週の終わりは武具市と言った具合に。
要するに、町のどこよりも人が密集する場所だった。
幸いその日は、市は立っていなかったが、それでも多くの人が中央広場を行き来していて、ルフの襲撃に巻き込まれてしまう。
最初は、着地したルフの鋭い蹴爪に押し潰されて、数人がぐしゃりと潰される。
そこから先は、もう地獄だ。
突然の出来事に人々は悲鳴を上げて逃げ惑うが、ルフが翼を羽ばたかせれば、巻き起こった大きな風に、皆が地面に打ち倒された。
ルフが歩を進めれば、新たに数人が潰されて、ルフの嘴が地を突けば、まるで雀が米粒を啄んで喰うように、人は容易く飲み込まれて行く。
恐らくこの化け物は、先に襲ったサウシュマテやペーロステーの町でも、同じように人を喰ったのだろう。
空から襲い来るルフに対し、人はどうしても後手に回らざるを得なかった。
しかし、だ。
後手に回ざるを得ないからといって、対処のしようがない訳じゃない。
何故なら、ルフの存在が伝わってから、僕は多くの時間をその対策と準備にあてて来たから。
その時間が得られたのは、他の町に起きた惨事を、どうにか届けてくれた伝令のお陰である。
彼らは空を行く鳥よりも遅いが、それでもできる限りの速度で報せを運んでくれたからこそ、襲撃までの時間を準備にあてる事ができた。
後れを取り、後手に回らざる得ないからといって、対処のしようがない訳じゃないってのは、情報の伝達でも同じなのだ。
「投げろ!!」
襲撃に駆け付けたのは、町を警邏していた兵士達。
町の安全を守る為、武器を手にしている彼らと言えど、ルフのような大型魔物を相手にする力を、本来ならば持ってはいない。
だが今回は、僕がバーナース伯爵に納品したルフ対策のアイテムを、彼らは配られて所持してて、もしもルフの襲撃があった際はそれを使うように命じられていたから……、握り拳程の大きさの黒いボールが、僕の特製カラーボールが、ルフに目掛けて幾つも投げ付けられた。
ルフという魔物の強さ、厄介な所は、何度も繰り返し述べたけれど、空を舞う翼とその巨体だ。
巨大な魔物が、人の手の届かぬ空を飛んで移動するって事自体が、何よりも強力で厄介な力である。
もしかすると、ルフは他にも火を吐いたり、雷を呼んだり、大風を起こす力を秘めているかもしれないが、そんなのは別に関係ない。
それらの力はルフの脅威度を一つか二つ引き上げるかもしれないが、その程度だろう。
あぁ、十分に脅威じゃないかって意見は、あると思うんだけれど、空を飛ぶ巨大な魔物ってだけで厄介過ぎて、他の能力なんて構ってられないから。
まず潰すべきは飛行能力。
兵士達が投げ付けたカラーボールが衝撃に破裂すると、中から溢れ出すのは黒に染め上げたヒュージスパイダーの糸。
ヒュージスパイダーの糸が詰まったカラーボールは、一つでホーンド・サーペントという大きな魔物すら一時的にだが拘束する力がある。
尤も、ルフはホーンド・サーペントよりもずっと大きいから、一個や二個のカラーボールで拘束できたりはしないんだけれど……、粘性の糸を嫌がって、翼をはためかせたルフは、けれどもその身体を宙に浮かせる事ができなかった。
本来なら飛べない程に重量のあるルフのような巨体の魔物が、それでも自在に空を舞えるのは、恐らく魔力による助けを受けているからだろう。
要するに魔物としての特殊な力だ。
だが、そうした特殊な力があったとしても、巨体の何割かを占める巨大な翼に意味がない筈はない。
その翼が風を捉まえ、魔物としての力がそれを強化するからこそ、ルフの巨体は宙を舞う。
ならばその飛行能力を封じる為には、翼が風を捉まえられないように阻害してやればいいのだ。
ヒュージスパイダーの糸を黒く染め上げてる染料は、去らずの黒花から得られる花粉。
去らずの黒花は、ここから遥か東の、世界樹の上にのみ咲く花だ。
世界樹の上は強風が吹くが、去らずの黒花は風の影響を受けない植物で、その花粉や種が風に飛ばされる事はない。
恐らく、生息に適した世界樹の上から、他に運ばれてしまわない為の、去らずの黒花なりの工夫なのだろう。
繁殖には、去らずの黒花の蜜を目当てにやってきた、昆虫を媒介にして行われるそうだ。
世界樹の上に暮らすエルフは、この去らずの黒花から得られる花粉で家や服を染め、強風より保護して暮らしているという。
つまりルフは、この花粉で染められたヒュージスパイダーの糸に邪魔されて、空を飛ぶ事ができなかったのである。
そして僕が、どうして都合よくこの去らずの黒花から得られる花粉を所持していたかといえば、……ウィルグルフがイルミーラに、僕の工房にやって来た時、大陸の中央で得られる珍しい素材を、鞄一杯に土産として持って来てくれていたから。
去らずの黒花から得られる花粉は、その素材の一つに混ざっていたのだ。
ウィルグルフが起ると突き止めた氾濫は、このルフの存在があったから食い止められなくて、しかし
このルフを殺すのは、ウィルグルフが運んできた素材である。
なんとも、奇妙な縁を感じてしまう。
……一つや二つのカラーボールに入る糸では、ルフは拘束し切れないって言ったけれど、しかし数が増えればその限りでは決してない。
ルフが飛べない事に戸惑いを覚えてる間にも、新たに駆け付けた兵士が黒いカラーボールを投げ付ける。
そうすれば余計にルフは飛べず、身動きが取り辛くなり、更に兵士が集まってくる時間の猶予ができるという連鎖。
僕が、ヴィールと共に現場に駆け付けた時、そこに居たのは大量の黒い糸に翼を絡め取られて、完全に身動きが取れなくなったルフだった。
「マスター、あの鳥を殺すの?」
その姿は、確かに憐れみを感じるもので、ヴィールは少し、そう、怯えたように僕に問う。
あぁ、当然、ルフは殺す事になる。
尤もそれは、僕の手でという訳じゃない。
ここまでお膳立てが整ってるなら、ルフを殺すべき町の英雄は他にもいるし。
「そうだね。あのルフは多くの人を殺して貪り食べたからね。魔物として、それが間違ってる訳じゃないんだろうけれど、僕らとしては許せない事だし、許す気もない。これが人と森の戦いだよ」
僕は、それ以上はルフに近寄らず、ヴィールの手を握って、そう教える。
森の巨人の魔力を宿す彼は、もしかすると魔物に何か感じるところがるのかもしれない。
でも人に混じって、僕らと共に生きるなら、どうしたって魔物の多くは敵だった。
やって来たのは、大きな槍を携えた、この町で最も強い男、シュロット・ガーナー。
波砕流という素手の闘技を修めた彼だが、それでも巨体のルフを素手で殺し切るのは困難である。
故に、僕が渡したあの槍の出番だ。
槍の穂先に塗られているのは、ルフを殺す為に調合した強力な毒。
鳥は、その翼をはためかせる為に心臓の力が、血液を全身に巡らせる力が強い。
だからこそ、血流に乗った毒が心臓に届く力もまた強いだろう。
それが肉体の構造的な、ルフの大きな弱点だった。
裂帛の気合と共に宙を飛んだシュロットの一撃は、狙いを違わずに深々と突き刺さり、痛みにもがき暴れたルフは、それでもやっぱり身動きが取れず、そしてそのもがく行動が毒を更に早く身体に回らせ、……やがて息絶え、倒れて死んだ。
最期に僕らの方を、いいや、正しくは僕の傍らの、ヴィールに対して顔を向けて。
大きな歓声が、アウロタレアの町に響き渡る。





