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「ふむ、……この大樹海の魔力を調べる研究が前回の氾濫を察知した根拠だという事にして、今後の氾濫の予測に繋げたい、ね」
アウロタレアの領主、ターレット・バーナース伯爵は、僕が渡した書類に目を通し終えてから、大きく一つ息を吐く。
書類の内容はもちろん僕が纏めた、大樹海の魔力の調査結果だ。
それをどうやって氾濫の予測に活かすかも全て、あそこに書き記してある。
「その上で自分はその研究ばかりに囚われるのは嫌だと……、人が必要なら実家の伝手で呼び寄せる? いやはや、君は本当に我儘だ。私も平民から貴族、王族まで多くの人間を見てきたが、君のように無欲なのか強欲なのかわからない人間は、初めてだよ」
バーナース伯爵のその言葉は、多分あんまり褒めてない。
むしろ苦言に近かった。
ただ、貴族である彼がそんな言葉を口にするのは、それ自体がある意味で僕に対する親しみの感情の表われでもあるのだろうけれど……。
何で僕は、この人にこうも気に入られてるんだろう?
「しかし氾濫の予測はできるなら、これは実に素晴らしい事だ。……だが、これで本当に氾濫の予測が可能なのか、それが問題だ。事が事だけに、試してみたら不可能だったではすまんよ。君だけじゃなく、私もね。確か前回の氾濫は、魔物の鳥に聞いたんだろう?」
あぁ、それに関しては、恐らく大丈夫である。
ペーロステーの氾濫の後、尾美黄鳥とは何度か話して、異変を察知したのが、その近辺に住む彼らの仲間が、環境の魔力の増大を感知して逃げ出したからだと、既に確認済みだった。
つまり僕の氾濫の予測は、初めからある程度の答えがわかった上で、それを別の方法で再現しようとしてるだけに過ぎない。
人によってはそれをカンニングのように思うかもしれないけれど、僕もそれを否定はしないが、大切なのはその結果として、氾濫による被害が減って、人が救われるという事だ。
僕が望む結果の為には、バーナース伯爵の協力は必須であった。
もしも彼が口裏を合わせる事を拒むなら、僕はヴィールを連れて、暫くイルミーラを離れざるを得なくなる。
最悪のケースは、イルミーラが氾濫の予測を、ヴィールの存在と結び付けて考える事だから。
そしてそれは、実はあながち的外れな考えとも言えない。
ヴィールの存在を維持する霊核は、妃銀が生み出す魔力を王金で増幅し、動いてる。
ただその魔力は霊核を動かすだけに留まらず、ヴィールの身体に馴染み、彼の持つ魔力として機能していた。
要するにヴィールの魔力の源に、八つの霊核がなっているって話なのだが、……どうやら妃銀が生み出す魔力は、森の巨人のそれにとても近いらしい。
森の巨人の魔力に近いって事は、大樹海のそれにだって、当然ながら近いだろう。
尾美黄鳥が、初対面のヴィールに対して、森の友達と称して親しみを露わにする程に。
考えてみれば、蛇釣りで七ツ蛇を捕まえた時もそうだったけれど、ヴィールは森に、大樹海に高い親和性を示してた。
別にヴィールが、大樹海の魔物と同類だって言ってる訳じゃない。
そもそもペーロステーの氾濫の時、ヴィールはそれに対して、大樹海の性質を理解した上で、敵対の意思を口にしてる。
ヴィールは大樹海よりも、僕や人を選んだ子だから、その心配は要らないと思う。
しかし、ヴィールが成長して自分の力の使い方を理解したなら、尾美黄鳥のように環境の魔力を感知したり、或いは大樹海の意思のような物も、察知するようになるかもしれない。
人間ですら、魔力の扱いを習得すれば、自分以外の魔力もそれなりに感じ取れるようになるのだから、大樹海に近い魔力を我が物としてるなら、有り得ない話じゃなかった。
それはそれで、彼の大切な才能、資質である。
だけどそれを、ヴィールの意思に反して、僕も含めて誰かが利用する事があってはならないと思う。
つまり僕は、彼を氾濫を予測する装置にしたくはなかった。
「……いいだろう。君には幾つも借りがあるし、ここで返しておくのも悪くない。それに私としても、優秀な錬金術師を王都に持っていかれるのは面白くないしね」
暫く考え込んでいたバーナース伯爵は、やがてそう言うとペンを取り出し、サラサラと紙に何かを書き始める。
ちらと見れば、それはどうやら任命書で、彼は僕に適当な役職をくれようとしているのだろう。
僕が黙って待っていると、バーナース伯爵は自分で書いたその書類に印を押してから、こちらにスッと寄こす。
「ではルービット・キューチェ。君を我がバーナース家の顧問官として招こうと思う。聞けばかの錬金術の国、イ・サルーテを統治する七家の出だとの事だし、身分にも不足はないだろう。いや、むしろ伯爵家では君を招くには足りないくらいかもしれないが、そこは了承してくれたまえ」
そんなバーナース伯爵の言葉に頷き、僕は書類を受け取った。
顧問官……、あまり聞かない役職だ。
イルミーラの国からの招聘を断る為の口実とはいえ、役職を受けた以上は何らかの仕事は恐らく課せられる。
さて、僕は一体何をすればいいのだろうか?
「顧問官というのは、謂わば私の相談役とか、知恵袋だ。何か私が困った時に、相談に乗ってくれればそれでいい。今とあまり変わんだろう? だが折角、君のような人材を使えるとなれば、何かして貰わねば勿体ないな」
バーナース伯爵の口調は軽く、冗談を言ってるようにも聞こえるが……、うぅん、いや、この人は、今は本気で僕をどう使おうか、楽しみながら考えている。
ちょっと怖いなぁ。
悪い風にはされないとわかってはいても、何をさせられるのかと構えてしまう。
ただ、顧問官って役職は、確かに僕に向いててありがたい。
今の僕の、一介の錬金術師ってスタンスと、然程に反するものじゃないし。
バーナース伯爵が、この先どんな相談をする心算なのかはわからないけれど、僕は錬金術師としての視点も、それに一応は、名家に育った者としての視点も持っていた。
余程に無茶な難問を相談されなければ、何らかの答えを出せる自信はある。
「ふふ、まぁ、そうだね。今のところは、月に何度かで構わないから、私の子供達に講義をして、知恵を授けてくれたまえ。あの子達にも、良い刺激になるだろう」
そして出されたバーナース伯爵からの頼みは、妥当というか、穏当なもので、僕は内心で安堵の息を吐き、それを受諾した。
この世界の知識人である錬金術師は、貴族や富豪の子弟への家庭教師に雇われるのもよくある話だ。
正直、年齢的な問題で、僕は貫目が足りないけれど、そこはまぁ、バーナース伯爵の子供達に侮られないように頑張るしかないか。
しかし一体、僕は彼の子供に、何を教えればいいのだろうか。
まさか錬金術を教えて欲しいって訳じゃ、ないと思うし。
楽しそうに笑うバーナース伯爵は、どうやら講義の内容は、僕に完全に任せてしまう心算の様子。
僕が無茶な事は教えないと思われてるのか、子供達なら妙な影響は受けないと信じてるのか、いずれかはわからないが、……何を教えるかは、彼の子供達を見てから考えよう。





