53
それから暫く、ヴィールに白パンを与えられた尾美黄鳥達は、彼とお喋りをしたり、頭の上に乗っかったりと、初対面とは思えないくらいに近い距離感で遊んでる。
僕があんな風になるには随分と時間が掛かったけれど、ヴィールには尾美黄鳥を惹き付ける何かがあるのかもしれない。
まぁ、何にしてもこれで、尾美黄鳥達はヴィールを認識し、その存在は彼らに情報共有されただろう。
後はこのまま良き関係を維持すれば、ヴィールは森の、いや、大樹海の中で尾美黄鳥が有する情報の恩恵を受けられる筈だ。
もちろん彼らは鳥だから、僕らとは物事の認識の仕方は全く異なる。
故に情報を得る為には、彼らに合わせた聞き方を工夫する必要があるけれど、生息範囲が広く、知能が高く、同種の中で情報を共有する尾美黄鳥のネットワークは、大樹海の中では非常に頼りになる存在だった。
「そういえば、今は何か森で変わった事って、ある?」
ふと僕は、尾美黄鳥達にそう問い掛ける。
それはどうせ呼び寄せたのだから、ヴィールとの顔合わせだけじゃなくて、一応は何かを聞いておこうって、そんな軽い気持ちでの質問だった。
『何か? 何かって何か?』
『あるよ、ほら、もうすぐのやつ』
『地を歩く兄弟、暫くは、あっちに行っちゃ、いけないよ』
すると彼らは、思ったよりもずっと深刻な様子で、南の方角を示して、あちらに行くなと、そう忠告をする。
「あっち? あっちで、何かあるの?」
尾美黄鳥達の様子にヴィールも何かを感じたのか、彼らが指し示す方向を見て、そう問うた。
南の方角にあるのは……、数年前にイルミーラの国軍が総力を挙げて森を削り、その地に築いた町がある。
今のイルミーラでは最も森に食い込んだ、大樹海に近い場所にある城塞都市、ペーロステー。
『もうすぐ、騒ぎが起こるんだ』
その言葉が指し示すのは……、あぁ、恐らく、きっと、氾濫だ。
僕は偶然にも得てしまった情報の扱いに悩みながら、ヴィールを連れてアトリエに戻る。
たとえそれが意図したものでなくとも、何が起きるのかを察してしまった以上は、僕はそれに対してどうするかを決めねばならない。
大樹海の氾濫は紛れもなく大災害だが、恐ろしい事に、この国、イルミーラでは、それは珍しい出来事では決してなかった。
年に一度か二度は、森に面する前線の都市は、大樹海の氾濫に襲われている。
流石に同じ町が二度、三度と続けて氾濫の被害に遭う事はないから、アウロタレアは暫くの間は心配ないだろうけれども。
ただ、氾濫が起きるのがアウロタレアでなかったとしても、その現場では多くの人が死ぬ。
前回のアウロタレアを襲った氾濫では、被害は軽微だったとされるけれど、それでも兵士や冒険者は幾人も死んだ。
僕のポーションで救えた命は幾つもあったが、当たり前だが、全部じゃない。
また魔物は兵士や冒険者と、一般人の区別なんて付けないから、もしも町の城壁が破られるような事態になった場合、一般の市民にも大勢の犠牲者が出てしまう。
しかし氾濫が起きると予めわかっていたなら、犠牲を大きく減らす事ができる筈。
王都からの援軍が、氾濫が起きる町に早く辿り着けば、その分だけ、不利な防衛線を強いられる時間は短くなり、当然その分、犠牲は減る。
武器や防具、食料やポーション等の物資を集めておくだけでも、有利に戦いは運ぶだろう。
つまり偶然にも僕が知ったのは、それ程に価値のある、命に関わる情報だった。
問題は、これをどう扱うかって事なんだけれど……。
出所が尾美黄鳥という森の魔鳥で、それを氾濫の示唆だと受け取ったのは僕の推測に過ぎない。
決して見逃せる情報ではなかったが、そのソースは酷く曖昧なのだ。
「ねぇ、マスター。氾濫って、何で起きるの?」
悩みで眉間にシワを寄せていると、ふと思い付いたとばかりに、ヴィールが僕にそう問うた。
だけどそれは、随分と難しい質問だ。
今はそれどころじゃないと切って捨てるのは簡単だけれど、……そんな事をしても仕方ない。
少し落ち着いて、考えてみようか。
「そうだね……。氾濫が起きるのは、大樹海がそうやって成長するからだよ。木々が高く背や枝を伸ばしたり、葉を茂らせたりするのと同じだね」
僕は手を伸ばして、ヴィールの頬に触れながら、確認するように言葉を絞り出す。
そう、氾濫は大きな災害ではあるけれど、嵐や地揺れとは性質が少し違って、そこには環境の意思、生き物としての意思がある。
「じゃあ、氾濫は悪い事?」
再び、ヴィールが僕に問う。
これもまた、難しかった。
単なる現象と違って、そこに意思があるならば、それで被害を被る人々を思えば、悪しきと断じてしまいたい。
だが、成長は、果たして悪い事だろうか?
……僕は、首を横に振る。
それを悪いと、他の誰かにならともかく、ヴィールに言う事は、僕にはできなかった。
「いや、悪い事じゃ、ないんだよ。ただ、そこで暮らす人々にとって、都合は悪い出来事なんだ。人は自分の都合に合わせて、環境を変化させてる。だからそれが崩れてしまうのは、人々の暮らしに、都合が悪い」
そうしないと、生きていけないから。
人は木々を切り倒し、家を建てる。
土を掘り起こし、本来その場所になかった植物、作物を植えて、育てて食す。
狩った獣の皮を剥ぎ、身に纏う。
全ては人の都合で、環境を変化させる行いだ。
錬金術もまた同じ。
薬効のある葉を摘んで、抽出して効果を増幅させ、ポーションにしたり。
その極まった存在が、目の前にいるヴィールである。
僕は自分の夢、ホムンクルスの完成の為に、多くの素材を採取や狩りで集めて、加工して彼を生み出した。
そうした全てを押し潰してしまうかもしれない氾濫は、悪い事ではなくとも、僕にとって都合は悪い。
僕の言葉に、ヴィールは真面目な顔で、頷く。
「じゃあ氾濫は、ヴィールにとっても、都合が悪い。マスターを困らせる氾濫は嫌いだ」
そしてヴィールは、僕に向かって力強く、そう言い切った。
あまりに真っ直ぐなその言葉に、……僕は思わず目を細めてしまう。
なるほど、氾濫は嫌いか。
うん、本当にそうだ。
僕も氾濫は、危ないし人が死ぬし、あんまり好きじゃない。
この前みたいに、深層の魔物、それも殺し易くて有用な素材になる魔物が、出向いて来てくれるなら話は別だが。
「ねぇ、マスター。ヴィールは、氾濫をやっつける為に、何かしたい。何ができる?」
ヴィールの言葉に、僕は彼の頬を撫で、再び氾濫に対してどうするかを、考え始めた。
もちろん、ヴィールと共に積極的に関わって、氾濫で生じる被害を少しでも減らせる対応を。





