神の子へ乞う
ニチカが来る少し前のザイーグのお話
その日、ザイーグの師匠である神官長の腕の中で、44代様は静かに息を引き取った。
「44代様、安寧なる日々をありがとうございました。」
普段であれば泰然とした雰囲気を崩さない神官長が、弱々しく44代様への手向けの言葉を贈る。
44代様を抱え、背中を丸める神官長は、どこか一回り小さくなったように見えた。
しばらくそうして黙っていた神官長だったが、ゆっくりと背筋を伸ばすと、ぐるりと部屋の中にいる弟子達を見渡し、その内の1人に目を止めた。
「ザイーグ」
「はい。」
神官長の声に、密やかな声が応え、立ち上がる。
「こちらへ。」
言われるがままに神官長へと歩み寄り、ザイーグは傍らに両膝をついた。
「神の子であられる44代様の伴侶として、私もまたこの座を引く。」
「はい。」
「次代様は、お前に託す。」
「承知いたしました。」
粛々と受け入れる弟子を見つめ、神官長は少しばかり苦い顔をする。
「年若いお前には神官長という地位は苦労も多かろうが、次代様と共に歩むには長く寄り添えるものが必要だ。頼みましたよ。」
悲しみが国を包み込み、小さな不安がやってくる。
国を支える柱である神の子が去った。その知らせは瞬く間に国中へ知らされ、喪が始まった。
人々は喪の間ひっそりと生活し、次の神の子の訪れを待つ。
その間にも、神殿内は目まぐるしく動き、次代の方を召喚する準備と、神官長の引継ぎ、神官長に付き従う神官の選抜等が行われていた。
ザイーグは、忙しいながらもてきぱきと仕事をこなし、引継ぎを完了させていく。
その中で困ったのは、次代様のお部屋であった。
今代様は蛇であらせられた。先代様は猫であらせられた。
それぞれに人ならざる身でおられたため、当初準備していたお部屋はそれぞれの生態に合わせ大幅に改良されることとなった。
だが、常に人ならざる身であるとは限らず。年齢も、性別も定まってはいない。後々模様替えをする事とはなろうが、神の子をお迎えするのに不適切な部屋ではなるまい。と、生真面目な彼はギリギリまで悩みぬき、幾人もの助言を経てその部屋は何とか完成した。
44代様が息を引き取られて64日目。
その日神殿では、45代様をお迎えする儀式が行われていた。
祈りの間は神の像と、神の御言葉を記した絨毯が敷かれており、絨毯に描かれたそれらは、部屋の中心に収束する様描かれている。
神官長となったザイーグと、11名の神官達は祈りの間の中心に向かい、召喚の儀を始める。
代々つながれてきた儀式。失敗した等の記述はこれまで一度もないが、神官達は緊張と不安と期待を混ぜた顔でそれに挑む。
44代様を召喚したのは25年年前。その時居合わせた神官のほとんどは高齢でもう神殿に籍のない者も多い。
果たして、儀式の結果はと言えば…
部屋の中心、模様の収束する場所に、一人の少女が現れた。
それは、ザイーグにとっては意外な存在であった。
神官長は召喚した神の子である神殿長を常に支え導く役割を持っている。それは、神殿長が息を引き取るまでずっとである。
ザイーグは、44代様に寄り添い続ける、師である神官長の背を見てきた。44代様が息を引き取る瞬間、どこか、魂の一部を共に失ったかのようなその姿も。
だから自分も、最後まで神の子と共にあり、息を引き取るその時に見送るのは自分なのだと思っていた。
けれども現実は想像もしないところに着地するものである。
幼げな丸い瞳は驚きに見開かれ、不安に揺れている。
頼りない肩はきゅうっと縮められ更に小さく見えた。
その正面に両膝を付き、頭を垂れる。それに倣い、後ろに並ぶ神官達も同様に膝をついたのが音でわかった。全員が頭を垂れると、ザイーグは形式通りの言葉を紡いだ。
「ようこそおいでくださいました。45代目の聖なる御力を授けられし神子様。この国へどうぞ救いをお与えください。」
そして、少女の言葉を待つ。
どのような質問が出ても良いようにと心を整え待つ事数秒、とてもかすかにぱたりという音ザイーグの耳に聞こえてきた。はた…と、顔を上げれば、少女は座り込んでいた場所で倒れ、意識を失っていた。
それは意外というにはあまりにも衝撃的な出来事だった。
普段声を荒げる様な事のないザイーグも、さすがに大きな声を上げてその身を起こす。
同様に、神官達も慌てながらも次の動きに急ぎ移る。
バタバタと足音のする中、ザイーグは小さな体を大切に抱き上げて祈りの間を後にする。
呼び出してしまった45代様。
置いていかれる事を前提に心を決めていたというのに、逆の準備をどうやらしなくてはいけないらしい。
そんなことをしんみりと考えたというのに、彼女が目を覚ましてから発覚したのは、思った以上に年が離れてはいないという事実であった。
それならば、どちらかが長く寂しさを抱え続ける必要はないのだろう。
そうして、ザイーグの日々はニチカによって安寧と楽しさと時折ものすごい意外性でもって彩られた。