本編 3
打ち合わせから2週間。
これでいいのだろうかと頭を抱えつつも靴屋と仕立て屋がそろって神殿へ訪れた。
靴屋が取り出したのは、かかとの高さおよそ7センチの靴。従来の靴の形ではあまりにも歩く際のバランスが不安視された結果、かかとを包む箇所は広く設計され、そこから緩やかに足首を包むようにストラップが伸びている仕様となっていた。また、そのストラップに違和感を感じさせない様花の飾りが添えられておりとても愛らしくまとまっている。
そして、仕立て屋が取り出したのは、ふんわりとしたフレアが素敵なドレス。スカートは、左の腰から斜めにスリットが入り、その下の布地は逆に右腰から斜めに緩やかな段差を作り、歩く度にちらりとあえて靴が見える仕様にしてあった。そして、後ろのスカートをあえて少し引きずる形で尾ひれの様なものを出し、前と後ろでの印象をがらりと変えてある。
ニチカはその二つを見て、キラキラと目を輝かせる。
「すごいっすごいです!」
「お気に召しましたか?」
「はいっとても素敵です。」
高揚する頬と、無邪気な喜び方に、二人はほっと胸をなでおろす。
「では、このまま試着をお願いしたいのですが。」
「あ、そうですね。」
「こちらの靴も、足に合わなければ調整致しますので、併せてお願い致します。」
促されてフィッティングを開始する。ニチカはうきうきわくわくだった。
だって、この世界にきて初のヒールのある靴である。
大きすぎる人々の中で、自分だけがあまりにも小人過ぎてへこむ日々に別れを告げられるかと思うと胸が高鳴る。
ドレスは少し詰めたり増やしたりしつつも良い形でニチカを飾り、足元の7センチヒールは、見事、ニチカの身長を押し上げてくれた。気づかいの塊である足首のストラップのおかげで不安定さも感じない。しっかりと足の採寸も行われていたおかげで変に当たる場所もなくパーフェクトな出来栄えである。
「これ、これだよー!こういう事ー!!」
未だ身長差はあるものの、7センチという距離は大きく、ニチカは喜びと尊敬の念を込めた笑顔を職人達へと向けた。
「すごい!さすが!プロはすごいなぁー」
部屋の中を動き回りながら歩けることも確認し、完璧。天才。と繰り返される言葉に、職人たちは俄然自信とやる気をみなぎらせる。
「当日までに刺繍や宝飾も完璧に仕上げてまいりますので!」
「えぇ、45代様の期待にどこまでも完璧に答えてお見せします!」
「当日が楽しみですね!」
3人は奇妙な連帯感と熱意を持ってその日解散したのだった。
「それにしても、あの踵の高さ、すごいですね。」
ちょっと怖いですがと付け加えるユリアは母親の様な顔でニカを心配そうに見つめる。
「ほんとにほんとに、いつもとニカ様との距離が違ってドキドキしちゃいましたー。」
むしろニチカと一緒にわくわくとはしゃぐのはアリシアである。
「当日綺麗に歩けるよう、練習のための靴を取り寄せましょうねぇ。」
サーリはニチカの作法の先生も兼ねているため、そんな風ににこやかに教師の顔をのぞかせて笑う。
ほわほわした笑顔だが、ニチカは知っている。サーリの指導は、指導の時だけは、それはもう徹底してそれを完遂するまでは許してくれない事を。ちょっと笑顔に震え上がるも、巨人に囲まれたこの世界にあらがうためにも頑張らねばと闘志を燃やすのであった。
そんなこんなで、これまでの日課がお披露目の準備に傾く日々を過ごし、ニチカはとうとう当日を迎えたのであった。
ニチカは鏡の前でそれはそれは嬉しそうにサーリ、ユリア、アリシアを見る。
「ドレスよしっ靴よしっそして、化粧と髪型も素敵だよ~。ありがと~。」
「ニカ様とても素敵ですー。」
「渾身の出来栄えですよ。ニカ様」
「うふふ、とても大人っぽいですよ。ニカ様」
ニチカが感謝と称賛をこめてきゃっきゃとはしゃぐと、3人もまたそれぞれに鼓舞し褒めてくれる。
今日のニチカは7センチヒールのおかげでいつも以上に視線が近い。目の前にいつも豊かな胸が!という画面から、鎖骨やほっそりとした首元位にはなった視界のなんと良好な事か!それだけでも清々しい気持ちになる。
夜会という未知の世界にはちょっと恐怖があるが、これできっと頑張れる。ニチカは気合を入れてこぶしを握った。
「今日はこれで夜会を乗り切るよ!」
「頑張ってくださいませ。」
「ニカ様なら大丈夫ですよー。」
「疲れたら休憩できる場所もございますから、我慢はなさらないで私に言ってくださいね。」
「うん。ありがとう。宜しくね」
とワイワイしていると、部屋の扉をノックする音が飛び込んできた。
「あら、もう時間の様ですね。」
「私がでますー。」
ガチャリとノブを回す音がして、扉の向こうから神官長ザイーグがやってきた。
相変わらずアリシアより10センチは身長が高い。そして、目の前にやってくると…ニチカは、がくりと肩を落とした。
ニチカとサーリ達の身長差が約20センチ。そのサーリ達とザイーグの身長差は約10センチ。
7センチのヒールで抵抗したニチカとザイーグの距離は、結局のところ、普段のニチカとサーリ達プラス数センチもあるのだ。
職人さんに無理を言って作ってもらった7センチヒール。だが、これではだめなのだ。全然ダメなのだと早くも悔しさを滲ませる。
「お迎えに上がりました。ニチカ様」
そんなニチカの目の前で、ザイーグはこの3ヶ月で癖となった片膝を付き顔を見上げるというムーブをする。
普通であればそんなことをすれば求婚かと言われかねないが、最初の頃あまりにも毎回ニチカがひぇっ大きい怖いと悲鳴を上げるものだから何かできないかと模索した結果、するようになったのがこれだった。
そして、ニチカを見上げたザイーグは目を見張る。
「ニチカ様…今日はずいぶんと身長が大きくなられている様に思うのですが。」
「気づいてもらえましたか!ザイーグ!!」
さっきは敗北感にへこんでいたというのに、ザイーグがすぐに気づいてくれたことであっという間に輝く笑顔ではしゃぐニチカをまじまじとザイーグは眺めた。どういうことなのだろうと上から徐々に視線を下ろしていくと、見た事のないスカートのデザインと靴のフォルムが目に入る。
「これは…」
「ふふふーっ職人さんに私の希望を聞いてもらったんですよ!作った新しいデザインの靴とドレスですよ!どうですか。似合いますか。」
いつもの事ながら、あまりに素直に無邪気に笑う物だから、ザイーグもまた素直に頷く。
「はい。とてもお似合いですよ。」
全体的に淡い黄色を使ったドレスと靴は、ニチカの持っている明朗さを良く引き出すと共に小さな野ばらの様な印象を与え、とても愛らしい。
「それではニチカ様。参りましょうか。」
「宜しくお願いします。」
片膝をついて手を差し出されるその様子は、どこをどう見ても本来であれば正式な求婚の光景なのだが、そんな空気はかけらもなく、ニチカは気軽にザイーグの手に自分の手を重ねた。それはもう、清々しいほどに他意のない無邪気さで。
それにザイーグも周囲もふふふと笑って動き出す。
今日の会場は王城である。
王城と神殿は王都の北西と北東にそれぞれ位置しており、馬車でしばし揺られる必要がある。
がたがたとゆれる馬車に乗りながら、神殿から出るのは初めてなのでニチカはわくわくと外を眺める。
見た事のない石造りの建物が並ぶ街並みは、きちんと地面も舗装されており、水路なども見て取れた。
そして、城門を抜けると世界が一変した。
「わぁ…」
「ニカ様、王城はいかがですか?」
「すごいね。綺麗。」
きらきらした目で馬車から見える光景を見つめるニチカを、随行しているサーリが嬉しそうに微笑んで見守る。そうしているうちに馬車は専用の入口へと到着する。
「ニチカ様、到着しましたよ。」
「ここからはお教えした通りになさってくださいませね。」
ザイーグの言葉にはっとして窓から離れる。
サーリは緩く微笑みつつも厳しい教師の時の顔で一言言い置いてから先に馬車を出る。次にザイーグが、そして、外からニチカ様。と声を掛けられる。
見た事のない場所でやったことのない挨拶を王様にしなくちゃいけない事を思い出して、ニチカはちょっと震えるが、ここまで来たのだから踏み出さないといけない。
ニチカも続いて外に出て、ザイーグに手を引かれながらお城の中を歩きだす。
一方、夜会の会場は大盛況であった。
それというのも、45代目の聖なる御力を授けられし神子様は年若い女性だというのだから、多方面が色めき立つのは当然だった。
先代は蛇であった。
定期的にお披露目は行われるが、人との意思の疎通はできない存在だった。
先々代は猫であった。
これもまた同様であった。ただ、モフモフなところはとても良かった。
45代も続くその席に、人の子が付いたのは過去13回。およそ4分の1の確率である。
神の力を持つ方にご挨拶ができる。それはなんと甘美な事だろう。
一声お声を頂けたら、いや、握手等してもらえたら、更には例えば子供の頭をなでてもらえたりしたら、絶対御利益があるに違いない。そんな期待でパンパンに膨れ上がった会場内は常とは違う熱気に満ち溢れていた。
今か今かと待ちわびる会場内。
国王が姿を見せれば更に会場は熱気を帯び、まずは挨拶が始まる。45代目の神殿長様をお迎えできた報告と、そのお披露目を行うとの宣言に、わっと歓声と拍手が沸き起こる。
扉が開けば、そこから神官長と一緒に見慣れない肌の色をした少女がコツリコツリと独特な靴音を鳴らし、凛とした歩調で歩いていく。
よく見れば、顔立ちもまた不思議な雰囲気で、とても幼げな頬と口元の艶やかさがアンバランスな危うさの上に丁度いい釣り合いで存在していた。
ニチカは、あまりの巨人の群れの大歓声に、扉が開いた瞬間どん引いていた。
もしも、この中をヒールなしで歩けと言われたら、自分の足を折ってでも進まない事を選択しただろう。
事前に予想はしていたが、思った以上にこの国の人間はみんな巨人だったらしい。本当に、もうヤダ。と泣きごとを零しながら、コツリコツリと心地よい音を鳴らす靴に元気づけられる。
このハイヒールはお守りだなと、心の中で呟いてニチカは進む。
通路を歩き、国王様の前に立つと、国王様はほっこりとした笑顔をニチカに向けた。この顔…と、逆にニチカはむっとする。
小さな子を見かけた時の、ほっこりしたような笑顔だ。小動物を目の前にした時の目だ。
見間違いようがない。
この3ヶ月ずっとずっとずっとずっと、神殿の中でも会う人会う人皆そういう顔をニチカに向けてきたのだから。
ザイーグが挨拶を述べる中、ニチカは静かに早くこの時間よ終われと唱えていた。
「45代様は年ごろの女性と伺っていたが、このように幼い方でいらっしゃったとは驚きました。異界から突然の召喚で心細い思いもさせてしまった事でしょう。ご希望があればできる限り叶えることを約束します。どうかこの国の民へ、その慈悲を持って救いをお与えください。」
「…私は18歳ですが。」
「はい?」
「ですから、18歳です。幼女ではないです。」
一通り、国王様の言葉は遮ってはいけないと我慢していたニチカだったが、全ての言葉を聞き終えて一拍。静かに年を述べた。
元の身長よりも7センチも盛ったというのに、幼女扱い。解せぬ。と、心の中でぎりぎりと唇をかみしめる。いや、元の身長だって幼女の身長ではない。そのはずである。
しかし、この巨人過ぎる人々の王もまたニチカから見ればまさに巨人の王である。
どうあがいても20センチ以上の溝が二人の間には刻まれており、その距離が縮まる事などあり得ない。
だってニチカの成長期はとっくの昔に終わっているのだから。
7センチ…7センチでも駄目なのか。
オロオロとする国王様に、神殿長がそっと重ねて年齢はその様ですが、お気になさらず。と何とか場を取り持ち、決められていた定位置へと移動した。
「ニチカ様…」
「だって、幼女扱いはあんまりだよ。」
「今度、きちんと訂正しておきますので。」
「うん。ちゃんと訂正しといてね?」
どちらかと言えば拗ねている様子は子供に見えるのだがと思うも、ザイーグは賢明なので口にはしない。
それ以降は予定通りつつがなくお披露目は終わり、一瞬焦った王城側も神殿側もほっと胸をなでおろしたのだった。
そして、その日から女性たちの間では45代様の足元を見ましたか?というやり取りが行き交い始めた。
その火はまだまだ小さなものだったが、ドレスも靴も今までにない変化だったと、見た女性たちの瞳は熱を帯び、色めき立つ。あのドレスと靴の店を次の夜会までに見つけなくてはと。