Side-5
「シエルはミトス語ではない言語を口にした。当然ルブラ語ではない。だが、アルディナ語でもなかろう。極限状態に陥った人間が口にするのは一番使い慣れた言語だ」
男が言葉を続ける。
ミトス、ルブラ、アルディナ、そのどれでもない言語が存在していることは私も知っている。
稀に生まれるという、異世界からの転生者。その人物が異世界で使っていた言語だ。
「シエルは異世界からの転生者だな? お前たちがどこの手の者か知らないが、ずいぶんと貴重なものを囮として使うじゃないか。残念ながら廃人にしてしまったかもしれん」
残念ながら、などと口にはしているものの、そうは思っていないような笑みを浮かべて男が言う。
シエルが転生者であったことなど、私は知らなかった。
おそらくヒューイだって知らなかったはずだ。
セスはそれを知っていたのだろうか。慌てた様子も、驚いた様子も見せないのでその答えを窺い知ることはできない。
「どちらであってもお前には関係ないだろう。ここで死ぬのだから」
セスが低い声で静かに言った。
生かして捕らえるという選択肢は全くない言い方だ。
「はは、ずいぶんな自信だな、天族。だが俺とてそう簡単に命をやるつもりはないぞ」
そう言いながら男が体ごと完全にこちらを向いた。
「俺はニルヴァ。お前の名は?」
「セス」
男の質問にセスは素直に答えた。
そして私を見る。
「下がって。自分の身は守れるよね?」
私はその言葉に頷き、檻のすぐ側まで歩いてセスから距離を離し、短剣で自分の足を切ってその血で自分にも血結界を張った。
セスはそれを横目で見て確認すると、地面を蹴った。
一瞬でニルヴァとの間合いを詰め横殴りに振った剣は、ニルヴァがいた場所を凪いだ。
ニルヴァは音もなく一瞬で姿を消した。私からはそう見えた。
そしてセスの背後からいきなり現れて同じく横殴りに剣を振る。
それを分かっていたと言わんばかりに、セスは体を深く落として避け、立ち上がりざまに下段から上段へと剣を振る。
男が再び音もなく姿を消し、その剣は空を切った。
「…………」
ニルヴァは姿を見せない。
セスは目を閉じて佇んでいる。きっとニルヴァの魔力の動きを探っているのだろう。
影移動の源は魔力だ。消える時も現れる時も、そこには魔力が発生する。
視覚を封じることで、セスはその魔力の流れをより感じようとしているのだ。
戦闘訓練として最初にやる基礎的な動きだ。
セスの影が蠢いた。
だがそれは一瞬で弾け飛ぶように散る。
セスの気が相殺させたのだ。ゾクっとするような強い神気だった。
ニルヴァがセスの頭上から現れ上段から剣を振り下ろす。それをいとも簡単に受け止め、剣を弾いてニルヴァを後方へと追いやった。
「……チッ」
着地したニルヴァが舌打ちする。
ニルヴァの攻撃はセスに効いていない。
だが、セスの攻撃もまた、ニルヴァに届いていないように思える。
このままでは負けないけど勝てない戦いになりそうな気がする。
かと言って加勢ができるとも思えない。私ではかえって足手まといだ。成り行きを見つめることしかできない。
ニルヴァが剣を構えて地面を蹴った。
セスはそれを構えることもなく見つめている。
なぜ構えないのか、と思ったその時、セスが凄まじい気を発した。
「うっ……」
セスが放った強い神気に私の体は震えた。
息ができない。苦しい。体が痺れる。立っていることができずに膝をついた。
シエルと私に張っていた血結界が崩れる。保つことができなかった。
「はっ……はぁっ……」
何とか空気を吸い込もうと体が必死で呼吸をする。
でも吸っても吸っても空気が入ってこない。
苦しい。
やがてその気がスッと消え、私は顔を上げて2人を見た。
ニルヴァの剣がセスの右脇腹に深く食い込んでいる。
そしてセスの剣は、ニルヴァの心臓を貫いていた。
「くっ……」
ニルヴァが苦悶の声を上げる。
セスが剣を引き抜くと、ニルヴァは倒れて動かなくなった。
床に夥しい量の血が流れていく。
「はっ……は……」
セスの右脇腹から流れた血が白いシャツを赤く染めていく。
荒い息を吐きながらセスは傷口を押さえた。その左手も流れる血が赤く染めていった。
「セス……」
その血を止めることは私にはできる。
流れた血を戻して止めることは、吸血族には造作もない。
だが体が震えて動けない。もう気は消えているのに震えが止まらなかった。
この男の血を欲しいなどと思った自分を殴り倒したくなる。
この男は恐ろしい人間だ。首筋に牙を立てる前に、自分が一瞬で殺されてしまう。




