#2
休み明けの昼休み、僕はバスケ部の顧問の目を掻い潜り、南校舎へと出向いていた。行き先は写真部。この週末、あの公民館で見た写真が忘れられず、外へ写真を撮りに出ていた。その最中、この学校に写真部があることを思い出し、週明けに写真部を訪れようと思った。写真部のことを友達に聞いてみたが、知ることが出来たのは南校舎の三階に部室があるということだけだった。それも撮影のために外出していて不在の可能性もあるため、部員の誰かに会えればいいという楽な気持ちで南校舎まで来ていた。。案の定方向音痴の僕が思い通りに行きたい場所へ行けるわけもなく、また校舎の中をほっつき歩くだけになっていた。ちらほらと廊下を歩いている生徒に声を掛けて場所を聞くも、返ってくる言葉は「知らない」「分からない」「写真部なんてあったっけ」の三拍子ばかり。そもそも写真部が本当にあるのかも疑問になってきていた。聞いても聞いても雲を掴むような情報ばかりしか得られない聞き込みに、そもそもあまり人と話すのが得意でない自分は疲れ始めていて、屋上へと続く使用禁止の扉の前の階段に座り込むと、一度時計と相談し出直そうか考え直していた。無事に教室まで帰れるかも怪しいことを考えると、一旦帰ろうかと決め、ぽつりとため息を吐き出し立ち上がった時だった。
「うわ。」
見下ろした先に、苦虫を噛み潰したような顔をした少女が立っていた。ただ立ち上がっただけなのに何故こんなにも嫌そうな顔をされるのか複雑に思いつつも、そこを動こうとしない彼女に疑問を持った。
「何か用ですか。」
しかめた眉で威圧するような低い声を出したにも関わらず、僕の目の前に立つ彼女は、気付けば苦い顔からけろっとした顔になっていて、
「いやあいつもは人居ないのに私が急いでるときに限って居るとはすごい偶然だねえ。」
と、腕を組み、考えるような素振りで一向に繋がらない話を広げる。
「何の話です?」
急いでいるという割りにのんびりとした話し方に僕の眉間のしわが一向に深まるばかりだった。
「だーかーら…秘密だよ?」
そう言うと彼女はつかつかと階段を上り、僕の目の前へと来ると、さらっと僕の横をすり抜けて屋上への扉へと手を掛けた。
「は? …え、ちょっとそこ使用禁止ですよ知られたら怒られますって」
生活指導の先生のおそろしい武勇伝を聞いたことがない生徒がこの学校にいるのかと疑わしく思って咎めの言葉を投げかける。
「んー? 心配してくれてるんだ。優しいんだねえ。」
そんな僕の言葉なんて聞き流すように肩に提げたトートバッグの中から鍵を取り出して錠前に差し込む彼女。
「大体そんなものどこで手に入れたんです…か。」
手首を捻るとカチリと快い音を出すドアノブに手をかけ、手馴れた手つきで扉を開ける彼女。勢いよく押し寄せる突風に声を遮られ、間を空けず差し込んでくる眩い光に目を細めさせられる。躊躇すること無くずかずかと屋上へ入る彼女に続いて、好奇心に煽られた僕は扉の先へと一歩足を踏み入れた。屋上へとそっと入ると、そこは柵もなく苔の生えたコンクリートただだだっぴろく広がる普通の屋上だった。屋上の端っこから景色を見渡すと、日向の山々が広がっていた。新緑のみずみずしい葉の一枚一枚を照らす眩い光がグラデーションを作り出す。青々と茂る緑で着飾った山と山の隙間から伸びてくる線路と、その奥から覗く、太陽の光を受けてらてらと輝く海。心の籠った美しい景色だった。
「ね? 案外悪いものじゃないでしょ。」
何故か自慢げに言う彼女の言葉を今度は僕が聞き流して、屋上に電柱のように突っ立って無心で眺めていた。それから少しすると、海と山の間から、赤い車体に子供のおもちゃのような色を並べた列車が、線路へとすべり込んできた。列車と共に砂利を轢き潰すような音が僕らの方にまで届いた。それに混じって紙を擦り切るような軽い音が聞こえてきて、聞き慣れない音に僕は目を音のする方向へ向けた。
「…カメラ! 写真部の人ですか?」
そこいた人がずっと探していた人だと気付いた僕は偶然の出会いに小さな感動を覚える。
「え? そうだけど。どうかしたの?」
カメラを顔から離してきょとんとした顔でこっちへ顔だけ向ける彼女。疑問が確信へ変わると共に、ほろほろと緊張が崩れる感触がした。
「やっと会えた……」
上半身を校舎の壁に預けてうな垂れるように脱力すると、彼女が僕の方を向いて歩み寄ってきた。
「ちょっと全然意味が分からないんだけど!」
困惑に満ちた表情で彼女が僕の顔を覗き込む。背中に伝わる冷たい感触に、少しばかり興奮が醒めると、何故今まで自分がここまで必死になっていたのか分からなくなった。頭に疑問を浮かべつつも、最初に考えていたことを思い浮かべながら横に視線を逸らし、何のせいなのか熱くなった耳を触りながら、たどたどしく事情を説明する。
「あ、あの僕、桂菜緒さんって人に会いたくて……それでその、」
「えっ! それ私だよ! もしかして君入部希望者? えっうそ、やった、やったー!」
言葉を紡ごうとした途端に大きな声で遮られる。その言葉の内容に驚くも、次から次へと出てくる見当違いの言葉に驚きも感情までも遮られた。
「あっえ? そうなんですか? いやでも僕ただ作品を……」
「うわあ嬉しい! じゃあ私顧問に話しておくから! まだここにいる? それなら鍵渡しておくから放課後部室まで渡しに来てね!」
「ちょっと話を聞いてくださいよ!」
僕の声を聞くより早く、彼女はそう言うと、僕の手を取り、先程使っていた鍵を乗せると、
風のように屋上から捌けていった。予想外の方向へと話が飛ぶ彼女についていけず、呆れ
るような感情と共に、ある種の楽しさのような感情さえも抱いていた。そのことに戸惑い
つつも、僕は五時限目の授業の開始時刻が近づいていることに気付くと、走って教室へと
戻った。
なんとか午後の授業を終えた僕は、教室から抜け出し、職員室へと向かっていた。用件
は写真部の顧問の先生に鍵を渡すためだ。彼女が屋上に出入りしていることが先生公認な
前提となる話だが、もしも秘密だったとしても別に彼女なら大丈夫だろうと思っていた。
何より、彼女と一緒にいると、調子が乱されてあやうく入部なんてことになりかねないと
思ったからだ。放課後一番乗りで顧問の先生に入部する気がない旨を話してしまえば、彼
女と出くわす事もない。いつもであれば、放課後は走って体育館へ向かうものだったから、
練習着姿の生徒を見かけるたびなんだか悪いことをしている気分でどきどきした。教師が
たくさんいる上、あまり入ることの無い職員室に足を踏み入れることもあり、そわそわと
した覚束ない手先で、職員室の扉をノックした。
「失礼します。写真部の顧問の先生に用があって来ました。入っても大丈夫でしょうか?」
そっと優しくドアを開けると、扉の横に掛かったプラカードに書かれた文字を確かめるよ
ように読み上げた。そうすると、何人かの先生が顔を上げてこちらをちらりと見てにこっと笑ってくれた。
「失礼します。」
自分の方を見た先生の中で一番近い先生に、写真部の顧問の先生の机を尋ねようと歩み寄
る。
「あっ! 君! こっちこっち!」
しかし歩み寄った方向とは間逆の方から、弾んだ陽気な声が聞こえてきた。ぱっと振り返
ると、そこには昼に会った彼女がこちらを覗いていた。見たくなかった顔にどんよりとしたため息を思わず吐き出しそうになる。ぐっとこらえて前を見据えると、おずおずと重い足をひきずって彼女のいる机へと歩み寄り、その声の主に声を掛ける。
「なんでもう居るんですか……」
脱力感と忌避感で満ちた顔を隠す気にもならず、彼女の横にきょとんとした顔で座る顧問であろう先生のことなんてそっちのけでにこにこと笑顔を絶やさない彼女に不躾な声を浴びせる。
「なんでって授業終わったし。」
口元に笑みを浮かべつつも目は細めず、きょとんとした顔でこちらをじっと見つめる彼女。そんな彼女のことは一度置いておこうと顧問の先生の方へずいっと体を向ける。
「この人から何か聞いたかも知れませんが、僕は写真部に入部する気はないです。」
「えっ? 私を探してたって言ってたのはポスター見たからじゃないの?」
口を開こうとする先生を差し置いて目を見開いた彼女が話しに割り込んでくる。
「それはあの、海辺の方の公民館であなたの写真が展示されてるのを見て……それでもっと作品を見せてほしいと思って尋ねようと思っただけで……」
しどろもどろに手をもどかしく動かしながら僕は言葉を紡ぐ。入部希望者だと勘違いして顧問の先生には背を向けて喜んでいた彼女の姿を思い出すとなんだか心が苦しくなった。顔を曇らせては言葉を放ってを繰り返していると、後ろから声が飛んできた。
「色々話してるところ申し訳ないんだけど、もうバスケ部の先生に話通しちゃったんだよね。」
ふと空気が止まる。
「え、いや僕入らないですよ!」
数秒間の間を置いたあと、僕は職員室だということもいとわず大きな声を出した。
「それにさ、うちの部、部員が足りなくて、もし君が入ってくれなかったら廃部になっちゃうんだよね。どう思う?」
顧問の先生が僕の二の腕を優しく掴み、声のトーンを落として諭すように僕に語りかける。
「いや……でも」