第23話 女騎士、スコップの決意を固める
時刻は夕方になっていた。
かき氷を食べ終えた一行は、さらに雪道を進んでいた。
強烈な風の吹き付ける、山間の谷である。
先頭に立つのは青く輝くロッドを持つリズだ。さすがにシレイジア出身、迷いもなく雪の道を進んでいる。その足はフワリと空中に浮かんでいる。雪に足を取られないようにする『レビテーション』だ。
氷の賢者リズは得意げに笑いながら振り向いた。
「みなさん驚かれましたか。魔法は、人が空を歩くことすら可能とするのです」
するとアランも地上1メートル付近を浮いていた。
あとアランの背後の馬車も浮いていた。スコップがその掘削力を反転し、反重力フィールドを形成しているのだった。その中ではアリスとリティシアが今も聖典づくりに勤しんでいるはずである。
快適なる雪道そらの旅。
「どうしたリズ。先を急ごう」
「………………」
ぶるるっとリズは首を振って、気を取り直したように。
「さ……最近の解呪師は『レビテーション』も得意なのですね」
「だから俺はただの鉱夫だが……む」
そのときアランの耳が『ピシリ』という何かが割れる音をとらえた。わずかな音。だが聴き逃しはしない。冬山の鉱山を掘り進む中で幾度も聞いた、崩壊の予兆である。アランは即座に油断なくスコップを構えた。
「雪崩が来る。大きいぞ」
「雪崩だと!?」
カチュアが叫んだそのとき、ゴゴゴゴゴと山の斜面を雪が動きはじめた。
雪の精霊が怒り狂っているかのごとき、凄まじい音だ。
「どうやら私の出番ですね。氷の大賢者リズにお任せください」
リズは一行を守るようにロッドを持つと雪崩に真正面から立ち向かう。
「……アラン、いいのか?」
正直カチュアとしては不安でたまらなかった。
この氷の賢者(自称)信用できる要素がまったくないのだ。
だがアランは満足そうにうなずいた。
「ここはまず、リズに任せることにする」
「信用できるんだな?」
「ああ。何かを凍らせることはリズのほうが得意だ。それに」
アランはスコップを構えると言葉を続ける。
「リズに任せたほうが、今晩の宿が楽に確保できるだろう」
二秒ほどの間があった。
「………………………………宿?」
なにを言っているんだこの自称鉱夫は。
あとこのパーティ、少し自称が多すぎないか。鉱夫(自称)に賢者(自称)に不死の王(自称)に最高司祭(自称)である。まともなのは私だけじゃないか――などとカチュアがどうでもいいことを考えていたら。
ドドドドドド。
雪崩はもう目の前に迫ってきていた。
「いきます――はあああっ!!」
リズがロッドを構えて『アブソリュート・ゼロ!』と叫んだ。ロッドから特大の白色光線が迸り、それは雪崩全体にまで広がると、キィィィィィィィィン! 一気に輝く巨大な氷の層が形成された。
巨大な雪崩が凍ってしまった。
呪文たったひとつで。
「ふふふ。いかがでしょう?」
やはり氷の賢者の実力は、本物ではあるようだ。
だがカチュアは油断なく氷を見つめていた。カチュアは学習したからだ。この賢者(自称)のこの笑顔のあとには、絶対に、ろくでもないことが起きる。だいたいリティシアがスコップと言い出した後と同じだ。
直後、ズズズズズっと氷が動き出した。
カチュア達に向かって落ちてくるようだ。
――ほらみろ。
「え……あ、あれっ!? 凍らせたのにまだ落ちてくる―!?」
「重力を反転させるべきだったな。凍らせただけでは雪崩は止まらん」
アランが冷静に答えた。雪が氷になった分、むしろ危険度は倍増している。
巨大な岩が空から降ってくるようなものである。
「どうするアラン。逃げるか、穴を掘って退避するか」
「いや、俺の想定通りだ。あの氷で今晩の宿を建てる」
「建てる」
また何かろくでもないことを思いついたぞ、この男。
「はっ!」
アランのスコップが一瞬きらりと光り、直後、アランは跳んだ。
ズガガガガガ。凄まじい勢いで氷が削れる。閃光が氷の周囲をまるで流星のように駆け巡っていた。それはおそらくアランのスコップ。あの巨大な氷を削っている……いや加工しているのだ。
ズガガガガガゴゴゴゴゴガシャン!
3秒後、そこには巨大な氷の彫刻ができていた。
2階建てのバルコニー付き、王家の別荘といった風格のあるロッジである。
「…………………………」
リズは慌てた顔のまま、凍りついている。
いったい何が起きたのか理解が追いついていないようだ。
「礼を言う、リズの氷のおかげで建築材を節約できた……どうしたリズ?」
「どうもこうもあるか。貴様のスコップは精神汚染がひどすぎる」
カチュアはツッコミ終えたあと、ため息をついた。
体も思考もぐったりしていた。スコップ疲労だった。
「(いかん、私だけはしっかりしないと!)」
慌てて自分を奮いたたせる。
自分まで汚染されたらこのパーティは、というか世界はおしまいだ。あらゆるものがスコップに支配されてしまうだろう。例え世界中がスコップに染まろうと、自分だけは清いままでいよう。
「私は絶対にスコップには屈しないぞ……絶対にスコップなどには!」
――その言動が既にスコップであると、カチュアはまだ気付いていない。
△▼△
そんなわけで氷のロッジである。
快適な室内だった。雪風は氷の壁が護っている。内装には炎晶石(アラン謹製の宝石である)の暖房がふんだんに使われカーペットも敷かれているため温かい。そんな中でリティシアは氷の壁に(冷たいだろうに)スリスリと頬ずりしている。
「姫殿下、いったい何をされているのですか?」
「ああ……スコップで建造されたロッジ……つまりスコップロッジ……!」
「姫殿下、いったい何を言っているのですか?(真顔)」
すりすりすりすりすり。
リティシアは恍惚とした表情で猫みたいに身体をすりつけている。もはや一国の王女ではない。もういい放っておこう――ちなみにアリスは既にスコップ疲れで寝ている。不死の王のくせに、よく寝る少女である。
「アラン。私はどこで寝ればよい?」
「書斎の隣にある部屋でいいだろう」
そうか、と返事をしようとして、カチュアはぴたりと止まる。
「……なぜ築3秒の即席ロッジに、書斎がレイアウトされているのか」
「リズは賢者だというから、本の詰まった書斎がよいと思った」
なんの説明にもなっていない。
もういい、自分もさっさと寝よう……諦めてカチュアは部屋に向かう。
その途中、書斎のドアが開いていた。少し気になって覗いてみる。
リズがぶあついカバーの本を手にうなっていた。
「うー、うー、ぜんぜんダメです、なんとか挽回しないとっ」
本のタイトルがちらりと見えた。『はじめての賢者』だ。
おそろしく真剣に、読み込んでいる。
「やはり賢者はカッコイイ助言者……でもでもそういうのって、よくわからないし……なんか冷気属性でそういう一発逆転の魔法はないでしょうか……」
「…………」
ほんとに何を考えているのだろう、自分の仲間たちは……。
と、そのとき、リズのロッドがぶるぶるっと大きく震えた。
「っ!? そこに誰か!?」
「あっ」
気付かれたらしい。だが別に逃げる必要もないので、カチュアはとりあえずドアを開けて部屋の中に入った。リズは一瞬だけ安堵の表情を見せたが、すぐに慌てた様子で『はじめての賢者』の本を裏返しにした。
「え、え、ええと……カチュアさん……でしたっけ?」
「はい、カチュアです。お邪魔したようで」
「いえいえいえいえ。私はただ高等魔導書を読んでいただけですから!」
「高等魔導書(はじめての賢者)ですか」
「そうです、魔導書なんです!」
「そうでしたか」
沈黙。
たらーりと、リズの頬から汗が一筋流れた。明らかに気まずそうな表情。
カチュアとしては別にまったく追求する気もないのだが、リズはもじもじ。
やがて。
「その……カチュアさんは確か、叙勲を受けた騎士殿でしたね」
「ええ。非才な身ではありますが」
「騎士殿。とっても頼もしい称号です」
「はあ。『氷の賢者』殿の方がよほど頼もしいかと思いますが」
「あ……あ、まあ、そうですね……そうなんですけど……」
また沈黙の時間が流れた。
リズの頬からさらに汗が流れている。やがて。
「あの……あのですね、これは私ではなく昔の友達の話なのですけど」
「はあ」
「いいですか、昔の友達ですから。私ではないです。誤解なきように」
「はあ」
とりあえず相槌を打っておく。すごくどうでもいい。
リズはしばらく逡巡していたが、やはりコホンと咳払いをして。
「私の友達は、魔法の才能があったんですよ。おそらくは国で一番の」
「それは凄いですね」
本気でそう思う。カチュアがどれほど才能を羨んだことか。
「でもその魔法が……魔力は高いのですがなんというか、その、雑で」
「雑で?」
「ときどき暴走して、例えば、国中に凄い吹雪を永久的に吹かせたり」
「……え、吹雪の元凶は、貴方だと?」
氷の国シレイジアは、砂漠の国と面しているにも関わらず、吹雪が常に吹き荒れている。伝説によれば、この地を支配していた蛮族とシレイジア建国王との激戦の際、蛮族の氷の禁呪により、この地全体が永久吹雪に覆われたとある。
いまの話だとその禁呪の使い手というのは――。
「……あっ」
数秒ほど時が止まった。じわり。リズが泣きそうだ。
カチュアの予感は当たったようだ。
「失礼。リズさんではなかったですね。友達の話でしたね」
「そ、そ、そう! そうなんです友達です!」
「(めんどくさい……)」
コホンコホンと咳払いをしてリズは続ける。
「そ、それで友達は反省して決意したわけです、賢者になろうと」
「賢者ですか」
「理知的かつ冷静に魔法を使い、勇者に助言を与える、賢者です」
「まさに賢者ですね」
「それで200年ほど、かしこく魔法を使う勉強をしたわけです」
「平然と人間の寿命を超えましたね」
「氷の魔法の力です」
このリズもやはりどこかおかしい。
「封印されし賢者を気取って自力で氷柱にこもったりもしました」
「アレ自分でやったんですか」
「でも術を間違えて……100年ほど、封印されちゃったようで」
「最悪ですね」
「その後開放されたと思ったらヘンな魔法使いに暴走させられて」
「あ、そこは事実なんですね」
「事実です」
数秒の間があった。
「……あ、と、友達の話という意味で事実です! ほんとです!」
「はい」
その設定はまだ保ちたいらしい。
「だ、だから……結局賢者も、あんまり、うまくいかなくて……」
「そのようですね」
「スコップを使う解呪師(ディスエンチャ―)さんにすら、賢者として負けちゃってます」
「アレは適切な比較対象ではないです」
アランのスコップは勝つとか負けるとかいう存在ではない。
スコップという概念そのものである。
「それでその友達は……どうしたものかなあ、とも、思いまして」
つんつんと人差し指同士を合わせて、うつむいてしまう。カチュアはその表情に懐かしい感覚を覚えた。既視感だ。かつての自分が、あのように、沈んでいた。その時にもらった言葉は――たしか――。
「己の才能を信じて、掘り続けろ――だったかな」
「……え?」
リズがぱちくりとまばたき。
「ああ、スコップ的な意味ではありませんよ、念のため」
あの鉱夫は比喩ではなく本当に物理的な意味で掘っていたが。
その言葉自体は、カチュアの胸に、しっかりと刻まれていた。
だから自然と言葉が続いた。
「才能は宝石のように埋まっているのだそうです。それが見つからないのは、単に採掘する方法が誤っているだけだとも」
「……採掘する方法が?」
「ただの、受け売りの言葉ですが……そう、そうだったな……」
カチュアはそこで席を立つ。
「そろそろ失礼します。所要を思い出しました」
「あ……はい、ありがとうございました……」
席を立った理由は、自分が言っても説得力がないと思ったからだ。
それと、もうひとつ。
「(……修行を、しなければ)」
これほどまでに才能のある魔法使いですら悩んでいる。
非才な自分が、スコップ現象に疲れて休んでいる場合ではなかった。
剣を、振ろう。
一人前の聖騎士になるために己を信じて才能を発掘し続けよう。
その志を思い出して、カチュアは少しだけ、笑みを浮かべた。
『才能を……発掘する……それはどういう……?』
後ろでリズが何回かつぶやく声を聞きながらカチュアはその場を後にした。
――だから、そのあとに続くリティシアの声も、聞き逃してしまった。
『リーズフェルト様、それならよい方法がございますよ』
△▼△
翌朝、氷のロッジの入口。
カチュアが絶望の表情を浮かべていた。
リズがスコップ状に加工されたロッドを手にして満面の笑顔だからだ。
「すごくよくお似合いです、まさにスコップの賢者です!」
『すごく……スコップ賢者なのじゃ……』
リティシア達の賞賛を受け、えへへーと笑うリズ。
スコップをすりすりと頬ずりしている。
「カチュアさんの仰っていたのは、こういうことだったのですね!」
「全力で違います」
「ありがとうございます。リズは何かこう、目が覚めた思いです!」
「それは目覚めてはいけないやつです」
疲れたツッコミを入れてから、カチュアは天を仰いだ。すると雪のロッジに降り積もった雪をアランがスコップで雪下ろししているのが見えた。『何の意味があるんだ』とか『どうせ一晩だけの宿だろ』とか言いたくなった。
が、すぐに無駄だと気付いて、やめた。
「(やはり、私の使命は)」
カチュアはグッと拳を強く握りしめて、決意の表情を浮かべた。
「(世界を――スコップから守ることだ!)」
――その決意が既にスコップであると、カチュアはまだ気付いていない。
今回はどちらかというとカチュアのお話でした。彼女がいなかったらまちがいなくこの小説はスコップ分解(空中分解の仲間)していたと思いますので、最大の功労者であると思います。ぜひともスコップ栄誉賞を叙勲いただきたい(泣いて嫌がる)。




