07そいつ、現る
はい、始まりました。
今作メインの敵さんがはじめてのご来店。
私としては嬉しい限りです。
ここから物語は加速します。
乞うご期待。
お爺様の様子が気になり私はこっそりとお爺様の後ろを付いて行った。
お爺様は仏様の前に立つと、一礼し座布団の上に座った。祈るように目を閉じ、お経を唱える。いつも聞いているのとはまた違うお経だ。
お爺様の珠数を持つ手が震えている。
暫くお爺様のお経を聞いていると何処からか音が聞こえた。
金属が内側から破壊され砕ける様な……。
仏様に目をやるとプルプルと震えていたそして、仏様の目が光り出し、口からは血を流す。
やがては仏様の顔の穴という穴から赤黒い血が勢いよく吹き出してきた。それでも尚、お爺様はお経を唱えることはなさらなかった。
お爺様は仏様を呪い殺そうとしているのだろうか? 何もわからない私はただ襖の陰から見守ることしか出来なかった。
バチンッ
破裂音とともに仏様の頭部が砕け、首から滝の様に血が溢れる。すでに仏間は血の海。赤い霧までもが発生し、肺を穢す。
ゲホ……ゲホッ。
強い血の匂いに慣れておらず吐き気を催す。
口元に手を当て、ゼェゼェと荒い息をし呼吸を整えようとする。それでも赤い霧がお寺中に広がり、もはや逃げ場もなくなった。
お爺様はこれを見越した上で外での修行を促したのかと思うと、後悔が立たない。
「なんじゃ」
私の咳や息遣いに気が付いたお爺様が一度お経を止め、私のもへと来て下さった。
「夜見、どうしてここに」
「ゲホッ……ん……どうしてもお爺様の様子が気になってしまって、ゲホ……ごめんなさい」
「そうか……そんな事よりもここに居ては危険だ。早く外に行きなさい」
いつもとなんら変わりない優しい瞳は何処か悲しげだった。
「お爺様……どうされたのですか? そんな悲しい目をして」
「ふぅ……」
小さく吐息を吐きお爺様は私の口元を手で塞ぎ、お嬢様抱っこで外へと連れ出してくださいました。
朦朧とする意識、屋敷の中を見渡すと赤い霧が充満し、お爺様の足元には赤い血の川が流れており、お爺様の白い袴を赤く染めていた。
「ゲホッ、お爺様は大丈夫なのですか」
「私の心配より自分の体を心配しなさい。この霧はお前が嗅ぐには早すぎる匂いだ」
「どういう意味ですか……」
「…………」
お爺様は外へと続く襖を開き、私を池へと投げ込んだ。
「そこで大人しくしてればすぐに治る。待っていなさい」
「はい」
短くそう返事をするとお爺様は襖を締め切り、また奥の本殿へと行かれた。
一体何をなされているのだろうか……頭の中で考えてみるが何も思いつかない。
冷たい池の中に放り込まれ、沸騰しかけていた私の体が一気に冷やされる。
ひんやりとしていて冷たいの池の水は、妙に体にまとわりつき、私の体を癒す。
周りにいる鯉やその他の魚達が私の体の周囲に集まり、服の上から私の体を掃除してくれている。
妙にくすぐったくて気持ちよくなり、喘ぎ声が出てしまう。
次第に意識が遠のき、視界が暗くなり私は意識の奥深くまで沈み、そのまま眠ってしまった。
起きた時には布団に入っていた。
嗅ぎ慣れた私の匂い、あの木目、そしてお爺様の顔。
起き上がろうとすると、お爺様は背中に手を入れて起き上がろうとする私を支えてくださいました。
「気分はどうだ」
「特には」
私は体が弱いのだろうか? 度々倒れてしう。これで何度目かは覚えてはいない。
ふと、視線を落とす。
お爺様の横に紫色の長細い袋が置いてあった。
「それは何ですか」
「気にするでない」
「はい」
短くそう答えるとお爺様は満足なされたのか、長細い袋を片手に部屋を出て行かれました。
お爺様の素っ気ない返事に思うところはあれど、あれ以上突っ込んでも藪蛇になりかねない。
自身をそう言い聞かせ自分を騙す。
昔遊びで開けてしまった、障子の破れているところから空を見上げると日はまだ高く、おおよそ十五時くらいだろうか。
「修行の続きをしなくちゃいけないかな」
小さく声に出し、自身を奮い立たせ大きく深呼吸をしようとした。
息を吐き、鼻口を両方とも使い大きく息を吸い込む。
ゲホッ、ゲホ……なに、これ……。
何もない筈なのに咳き込んでしまった。
鼻を噤む匂いが鼻腔を刺激した。
くさい、その程度で片付く匂いではない。 一呼吸しただけで肺がピリピリと痛み、酸素の供給が著しく下がったせいか、脳に酸素が行かなくなり目眩が生じる。
息を整えようと、再度呼吸をしてみようとするのだが体がそれを許してはくれなかった。仕方がないので短いスパンで呼吸をするほか方法が見当たらなかった。
練習で血を流した時に嗅ぐ匂いの強烈なバージョン。
目を細め口鼻を手で覆う。
急ぎ襖を開けお爺様の元へと向かおうとすため
勢いよく襖を開けた。
私は目を疑った。
いつもならばここで鳥が鳴いていたり、草木が風に揺られているのだけれど。
違った。
いつもと同じ風景なはずなのにどこか寂しげで、苦しくて、弱々しくて……。
泳いでいる鯉たちもどこか元気が無くて、あまり動かない。
いつもならば私が顔を見せるとバシャバシャ水しぶきをあげ、餌をねだるのだが、あまはそんな動きすら見せない。
草木もそうだった。
いつもならば風でなびいてゆらゆらとゆれ、青々と茂る葉を揺らしているのに……。
一体、どうしたんだろう……?
廊下から見る景色は全て色あせていた。
見るもの全てが、黒くくすんでいた。
お爺様に会わなくちゃと、廊下に出ようとするが、足が動かない。
まるで金縛りにでもあっているかのように……。
動いてはならない、得体の知れない何かが首元にナイフを突きつけているかのように━━。
助けを求めようと声を出そうとするが、声帯が潰れているのか、うめき声しか口から出ない。
目は血走り、口が乾燥する。
指一つでも動かせば首が落ちる。そんな感覚が脳を支配する。
何かが割れる音がした。
ガラスのような、鏡のような。
恐怖心が体全体を強張らせ、足を引く。
どう猛な声とともに、何かが私の元へと走ってくる。
黒くて、大きくて、目の黄色い何かが……。
木々をなぎ倒し、怒り狂った声を上げる。
耳を噤むうなり声が耳元にはっきりと聞こえる。
「助けて……」
やっとの思いで出た声は誰にも届く筈のない小さな声。
目からは涙が溢れ、頬を濡らす。
何かがくると言う恐怖心よりもこれから死ぬと言う感覚が強く出る。
頭をフル回転させ、逃げようと試みるが、体が動かない。
その間もドスドスと地響きを立て、得体の知れないものが私に迫る。
逃げ惑うリスや鳥、うさぎなんかもこの目ではっきりと見える。
「お爺様……たす、け、て」
息もできなくなり、元から薄かった酸素すらも体に取り込むことができなくなる。
ついにはその得体の知れない者が私の目と鼻の先にやってきた。
体長三メートル程はあるだろうか、黒くて、ゴツくて、おぞましいその姿。
体は震えだし、足腰に既に力は入らなく。
口からは血を流し。
怯える私をマジマジと観察し。
頭からは白い角を生やし。
頭の中は真っ白になり。
黄色い目を持ち。
私を見ていた。
「ニンゲン、タベル」
片言で話すそいつは、右手に大きな木槌をもち、ブラブラとさせていた。
弱者を見つめる大きな目は、これからご飯だと喜んでいるかのようだった。
そいつは自身の顔を私の体に近づけ匂いを嗅ぐ。
口は大きく、歯茎からは血の匂いがした。
「ヒイッ……」
私が悲鳴をあげると、狂ったように笑い、木槌を地面に叩きつける。
その振動で鯉たちが驚き、荒れ狂う。
私は死ぬのだろうか……ここで、こんな奴に食べられて……。
流れる涙は既になく、ただそいつを見ることしか出来なかった。
グサリ。
地面に一振りの剣が刺さる。
その剣は禍々しく黒光りし、刀身からは血を流す。
静寂をもたらしたその剣は地中に深く突き刺さり、私とそいつの間を空けてくれた。
「ナンダ?」
頭上から黒い点が降ってくる。
それを認識した時には、ジョジョ立ちのお爺様がいた。
そいつは首を傾げた。
そして、口元に涎を垂らした。
「ニンゲンフタリ、フエタ、ゴウカ、バンゴハン」
お爺様は地面に突き刺さっている剣に手を伸ばし、勢いよく引き抜く。
「死ね」
短くそう呟き、私の目の前からお爺様は消えた。
そして、次の瞬間にはそいつの首が地面に落ちていた。