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集落の探索を終え、少しだけ重い足取りで集落を後にした。
火はすっかり消えていた。だが、森には甚大な被害がもたらされた。
草木は消え、木はすっかり燃え尽きてしまった。周囲百メートル程度は焼け落ちただろう。
死の匂いが充満する。
鼻を鳴らし、残骸を踏みしめた。
ガルルルル……。
声が聞こえた。
人でもない、獣でもない声だ。
あたりを見渡すと大きくて黒い何かがそこにはいた。
目を大きく見開き、その様子を伺っていると、ゆっくりではあるが私のところに来ようとしていた。
村人の生き残りか?
そう思ったが、ここまで焼けたところだ人が生き残れるはずはない……私はそう思った。
だけど、それは予想と大きく食い違った。
のそりのそりと歩くそいつの両腕には金属製のグローブがはめられていた。
それはゴツくてありとあらゆるものを粉砕できるような作りになっていた。
「鬼……か?!」
初めて見たまともな武器に私は戦慄した。
昔おじいさまから聞いたことがある。
鬼にはそれぞれランクがあり、それによって武器が違うということを私は頭の片隅に置いていた。
となれば、あれはかなり位の高い鬼ということになる。
もしかすると、絶鬼かも知れないと私は感じた。
あれはまずい……非常にまずい……!!!
私はその場を駆け足で去ることにした。あれには敵うことはないだろう。
「いたっ……」
後ろを振り向くと、右足首を抑えている美帆の姿が……。
「何してる!」
「……痛い」
顔を背け、私と目を合わせようともしない。後ろに何がいるかも知らないくせに。
これだからこいつは嫌いだ。
ここにいたら痛みよりも酷いことになるのに。死んだ方がまだマシと思えるくらいの事を確実にされる。
例えば、生きたまま喰われるとか……。
それだけは絶対に嫌だ。それならまだ自殺した方がまだマシだ。
刀を持つ手がカタカタと震えた。
「くそ!! 仕方ない」
美帆の手を掴み、無理やりその場から歩かせた。
無論、スピートは落ちるだろう。だが、今はあいつから少しでも距離を取ることが最優先。
目視だがここから約二百メートル前後。
あいつが本気にでもなればものの数秒はかからないだろう。
そうなれば二人とも死あるのみ。
こいつが死ぬならまだいい。だが、あの約束だけは守らなくちゃいけない。あの人との約束だけは死んでも、どんな地獄であろうとも守らなけれならない。
これは、私が神に誓った制約でもあり約束だ。
「こい!!」
よほど足が痛いのだろう。歩き方がかなりぎこちない。
左足首を地面から離しもう片足でジャンプして歩いているようだった。
煩わしい……。
私も、体力が全回復したわけではない。
硬い石の上にあるこけをペットにしたのだ。
疲れなんか取れるはずもない。
「クソ!」
美帆を背に乗せ、少し早めに歩いた。
体重は私の三分の二くらいだろう。重くて歩くのが一苦労だ。だけど、つべこべ行っている暇なんてあいつらは与えてくれるわけが無い。
一生懸命足を前へ前へやる。
歯を食いしばり、大粒の汗が頬を垂れる。
まだ肌寒い季節だというのに体は水分を求めている。
目のすごい殺気を背中から感じた。今まで味わったことのない、重すぎる殺意だ。
まるで、体を氷の中に閉じ込めたような凍てつく寒さと、いくら進んでも距離の変わらない目的地を目指しているかのような感覚に襲われた。
のっぺりとした殺意は、少しずつ近づいてくる。
音はしない。殺意だけが、一人歩きをして近づいてくるようだ。
冷や汗が滝のように流れだした。
口は乾燥しカタカタと歯が揺れる。
瞳孔は泳ぎ、肺は酸素を求めて荒ぶるような息になる。
目は大きく見張り、これから自身は死ぬんだという覚悟をした。それほどの相手。それほどの死。
飲み込む唾などとうに乾ききっていた。
「お前たち……どこに行く……」
聞いたことのない声が聞こえた。
重低音の声だ。腹の底から響いてくるような声だった。
心臓の鼓動が速くなる。
夜見の足は完全に止まった。
「そ、それ、それをき、聞いてどうする」
「……いや、何もしない……ただ」
「ただ?」
「美味そうな肉があったのでつい話しかけてしまった」
この鬼はやばい。
言葉を話せる鬼はまずい……それだけ知能が高いということ。
それに鬼のパワーがあるという事は単なる力技で勝ってきた私にとっては、はじめての強敵といったところだろう。
ゆっくりと声のする方向を見た。怖いもの見たさなのだろう。夜見はそれを無意識のうちやってしまった。
そして、後悔した。後ろを振り返ってしまった事を……そして、その醜悪な姿を目に焼き付けてしまった事を。
美帆は気絶していた。
それもそうだろう。こんな殺意、常人が耐えられるはずもない。ましては子供だ。
意識があるうちに喰われるよりかはいくぶんかマシか……。
隆起した血だらけの筋肉。目は黄色く鬼の象徴とも言えるツノは紫色の宝石。髪はなく頭には薄手の帽子を身につけていた。
服は着ておらず、申し訳程度の恥部を隠すだけの布しか巻いていない。
足の指は全て折れ曲り、手の指はグローブで全て隠れていたが、グローブの隙間からは滝のように血が垂れていた。
犬歯が異常に発達した口からは赤い吐息が漏れる。
「あははははははは」
「肉……何がおかしい」
「あ〜あ、やってられないよ。こんなの勝てるわけないじゃん」
悪びれる様子で夜見は言った。
勝ち目なんてありはしない。今まで出会った鬼たちとは格どころか次元が違いすぎるのだ。そんなのもう笑うしかないじゃないか。
まるで、蛇に睨まれたカエルになった気分だ。
下手な動きをすればその場で首が落ちる。
そんな事、生まれたての赤ん坊でも想像に容易い事だろう。
「お前は、戦わないのか?」
鬼が私に問いかけた。
「腰に立派なもん身につけてるじゃーねか」
鬼は私に顔を近づけながらそういう。
「抵抗なく死ぬってのもアリだがやっぱりそいつの心をへし折ってなされるがままに食うってのがまたいいんだよ……なぁ、だからょうその剣を抜かねーか?」
嘲笑うかのように私に問いかける。
私は顔を正面にし、そいつから離れるように一歩足を前に踏み出そうとした。
「おいおい、逃げるのは無しだぜ。それじゃあーつまんねーよ。必死に抵抗してみなよ。もしかしたら俺の首をすっぱり斬ってにげられるかもしれねーぞ? あははまぁ、そんな事出来るはずもねーんだけどょ〜」
ポキポキと関節を鳴らし、準備運動を開始した鬼。
まるで、これからお遊戯でも始めるかのようだった。そうか、私はいいおもちゃになるのか……。
そう思うと、なんだか心がすくわれる思いになった。
生き残れる確率……0.000一パーセント。
限りなくゼロに近い戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。




