第三話。はじめてのだんじょん! その1。 パート2。
ペチャリ。ペチャリ。
洞人とやらの足音に、俺、足が止まる。
「水音? けど、これはなんて言うか。もっとぬめりがありそうな……」
ペチャリ。ペチャリ。
温泉エコーのせいで、この音の気味の悪さが際立って感じる。
そもそもこの乾いた地面で、こんなにはっきりした水音が鳴ること
そのものがおかしい。
「怖い、ですか?」
ディバイナ、こっちにまた向き直って、そう声をかけてくれた。
その声は心配そうだ。
「いや、こわいわけじゃ……?」
出した声が少し上ずってて、自分が不思議だ。
「表情、固まってますよ。大丈夫です、わたしがいる限り、いえ。
このダンジョンである限り、命の危険はありませんから」
「そっ、それと心の問題は違うだろっ」
ペチャリペチャリが徐々に大きくなって来る。
今の声が早口だったのは、ドクンドクン言ってる心臓と
急激に冷えた体とは、無関係じゃないだろう。
ーーなんて冷静に自分を解説してる場合はねえっ!
どうするっ、どうしたらいい? この迫って来る不気味な水音は!?
「落ち着いてくださいカズヤさん」
「おちついていられるかっ! そういうお前は
なんでそんな平然としてられるんだよっ!」
叫んででもなきゃ、言葉が出せる気がしない。
喉が重いんだ。体が重たいんだ。心は叫びを拒否したがってるんだ。
「当然じゃないですか。だって相手は」
ペチャリペチャリ。姿が見えた。
「あれは……」
黒に緑を混ぜ込んで、むりやり緑要素をひねり出したような色。
その体は饅頭型。大きさは俺の腰辺りまである。
このダンジョンが放つ薄ぼんやりした淡い光が、
その黒緑色の饅頭を、怪しくテカらせている。
……予想以上にでかい。
そして、にっこりと笑ったような二つの目と、
青くつぶらな瞳が
不気味差を助長していやがるのであるっっ!
「はい、スライムです。下級モンスターの代表、
みんな大好きスライムちゃんですよ」
「シチュエーションが問題だろうがっ!」
「スライムが遊んでほしそうに、こちらを見ている。
遊んであげますか?」
「全力でいいえだっ!」
逆走。絶対的逆走。撤退敵逃走。
「くそ、ゆっくり探索しようと思った俺があまかったのかっ?」
なにかがぼんやり立ってるけどそんなものにかまう余裕はねえっ!
「どけぇっ!」
勢いを止めてなるものか。
なにかは知らねえが、小さな青鬼みたいな生物を
弾き飛ばして俺は走る。
あの、目だけがかわいいスライムから、全力で逃げる。
角を曲がり、広場を突っ切り、更に角を一つ二つ三つ。
なにやらずいぶんと、生き物らしき物を蹴散らしたような気がするが、
俺の突進ごときで、やすやすと吹っ飛ぶようなのは、
きっとビニール風船ででもできたハリボテだったんだろう。
「ぜぇ……ぜぇ……せめて。せめて次のフロアへの路でもあれば」
突然の全力疾走で顎が痛え。息が切れてる。
休憩したいが、そんな余裕は俺にはねえ。
走る。走る。
なんだか見覚えのある白黒が、見えたような気がするけど
止まる余裕はない。なにか、とてもでかいボールのような物体を
おもいっきり蹴とばした気がするけど、気にしてはいられないっ!
『フルコンプリート』
今、駆け抜けることで起きる風に負けないボリュームで、
なにか聞こえたような気がするけど、たぶん気のせいだろう。
「ってく さいカ ヤさ」
なにかが追いかけて来る。
「くそーっ! 今度はなんだっ!」
止まれない。止まったら殺られる。殺られてたまるか!
「……はぁ、はぁ。だ、だめだ。息が、もう。続かねえ」
ぬめっとした岩壁に手を突いてゼェハァする。
正直不快感マックスだけど、全身に押し寄せる疲労感の前では
手を放す気力も出ない。
「ふぅ、やっと止まってくれた。カズヤさん、暴れすぎです。
踏破まで完了しちゃってますし」
背中越しに声がした。その声色は困ったような物。
「な、んの、話だ」
息を整えながら問い返す。
「一階のモンスター全撃破。一階の全ルート通過。
カズヤさんが今やったことです」
「え? 俺が? そんな、ことを?」
まるで自覚はない。
ただ無我夢中で、スライムから逃げ回ってただけだ。
「はい。おめでとうございます」
「なにがだ?」
突然こう言われれば、目も丸くなるってもんだ。
「カズヤさんはフルコンプリートを達成しました。
なので、次の階へ向かう前に、傷と体の異常と体力全回復の、
フルコンプリートボーナスゲットです」
嬉しそうな声、「す」と同時に俺の左肩に小さな衝撃。
肩に手を置いたって雰囲気なんだろうか?
「なんだその便利機能?」
ほぼ息が整って、岩から手を離す。
あれ? ぬめりが手に残ると思ってたのに、
手はむしろサラっとしてるぞ?
「無害ダンジョンは偽りなしです」
俺の顔の真ん前で、勝ち誇った顔をする。
「でもこれは一階だから、簡単に達成できたことです。
次の階からはトラップも出てきますしモンスターも
活発に動くようになりますから、今階みたいには
行かないと思ってくださいね」
挑戦的な笑みを見せて、大魔王ディバイナはふよふよと移動を始めた。
どうやら二階への階段へ導いてくれるらしい。
「なあ。なんか、心なしか明るくないか?」
モンスターがいないとわかったせいか、俺のあしどりは軽い。
「その通り。踏破した場所は、
明かりが強くなって見やすくなるんです。
踏破コンプリートすれば
フロア全体が明るくなりますね」
「それもまた便利機能だな。って言うかまんま
ローグライクゲームだな、そのマッピングシステム」
「ろーぐら なんですかそれ?」
「ゲームジャンルについてまでは、こっちの知識は入ってないのか。
うーん……そうだな。ダンジョン踏破を擬似的に味わう遊びってところか」
「へぇ、そんな娯楽があるんですか。でも、こっちは
擬似じゃなくてほんとにダンジョン踏破を味わう娯楽ですよ。
しかも大魔王お手製の」
ふふんと笑うディバイナ。
背中向いててもドヤ顔なのが、容易にわかるニヤケ声である。
「ん? なんだ、この白いの」
一箇所だけやけに明るい、白いパネルのように区切られた地面がある。
「これですか? これがフルコンプリートボーナスです。
ささ、そこに乗ってみてください」
「そうなのか? んじゃあ」
半信半疑で言われた通り、白いパネルの上に乗ってみた。
「うわっ?」
乗ったとたん、足元から白い光が俺を包み込んだ。
スーッと、そのLEDみたいな光が顔から徐々に消えていく。
「……あれ? 疲労が、抜けてる」
光が収まった。第一に俺が感じたのがこれだ。
「はい、それがフルコンプリートボーナスです。
最上級の治癒と回復の魔法が、そこに入ると
発動する仕組みになってるんですよ」
「魔法の力ってすげー」
自分の手を見つめて、ぼんやりと言う。
それが俺にできる、今唯一のリアクションだった。