せんたく
「ねえ。わたしと一緒に逃げない……」
Dはこちらを向かずに、ブランコに乗ったまま自分の足元を見て言った。
逃げるって、誰から………。何から……。
「この世界から」
逃げてどうする……。
「どうせわたしたちはこの世界から排除される。いつかは、ね。だって異質なものはどの時代にあっても排除されてきたんですもの」
そうして今のわたしたちが存在している、とDは言ってブランコから立ち上がった。
「逃げたとしても何も変わらないかもしれない。いや、きっと変わらない。それでも、わたしとあなたが逃げたという事実だけは残る」
これはわたしたちの叫び。わたしたちの抵抗で反抗。
Dがわたしに歩み寄って、手を差し出した。
「行こう」
行くあてがあるわけではなかった。わたしの両親が家に帰るまで、あと4時間。そこからわたしが帰ってこないことに違和感を覚えるまで2時間といったところか。Dは一人暮らしだから、Dの両親がDとの連絡がつかないと気がつくまでだいたい3日。
「携帯、かして。大学のIDも」
考え事をしながらDについていくわたしに、Dが思い出したように話しかけてきた。今は大学のIDなどのカード類にもGPSが埋め込まれていた。親が子供を管理できるように。でも、連絡を入れておいたほうが不信感が薄まって、少しでも長く逃げられるのではないか。
「問題はGPSよ。居場所がすぐに把握されてしまうから、場所によっては不信感を持つはず。友達の家に泊まるなんて言っておいて、GPSが明らかに違う場所を指し示していたらおかしいでしょう……」
Dに従って携帯とIDをポケットから取り出してDに渡すことにした。Dは何でも知っている。わたしの知らないこともたくさん。だからDに預けておいたほうがいいと思った。
「カード類は使えないわ、最後にどこで使ったか分かってしまうから。当分は現金だけでの生活ね」
寝泊りする場所も確保しなければならない。車をレンタルして車内泊も考えたが、身分証を提示しなければならない。お店やホテルで泊まるのも同じ理由で得策ではない。
「あなたは水や食糧を買ってきて。わたしはどこか隠れられそうな場所を探しておくから。30分後に、ここで落ち合いましょう」
Dは何でも出来る。それに、カリスマ性もある。優れた分析力の上に出される指示は的確そのものだった。
30分後に3日分ほどの食糧と5日分ほどの水を買ってブランコの所へ行くと、Dは既に待ち合わせ場所にいた。Dが袋を半分持って、わたしを先導した。
Dが隠れ場所として私に案内したのは、取り壊し予定のビルだった。新たに高層マンションを建てるために、一度取り壊すという旨の文面がそこかしこに貼られていた。最近までオフィスとして使われていたみたいで、中は外見以上にきれいだった。わざわざ立て直さなくても改装すれば十分なように思える。
5階分くらい階段を上って開けた所に出ると、Dは適当な椅子を引っ張ってきて座った。わたしも椅子を探し出して、Dの向かいに腰掛ける。Dは随分と機嫌がよさそうな様子で、わたしに話しかけてきた。
「どうしてわたしについてきたの」
それが正しいと思ったからと言うと、ふうんとDはやはり機嫌がよさそうに頷いた。Dはどうしてわたしと逃げるなんて言ったのだろう。
「それが正しいと思ったからよ」
会話にならないDをよそに、わたしはなにか暇を潰せるものはないかと周囲を見回した。すると、埃被った携帯型ラジオが目に入った。こんなもの、今では交換部品さえ売っていない。古風なものを好む人が働いていたのだろうか。使えるか分からないが、埃を払って電源をつけてみる。
『夕方のニュースです。本日未明、機械化に反対するテロ組織が声明を発表し……』
ニュース番組の時間のようだ。
「テロ、ですって。テロなんてものじゃないわ」とDがどこを見るわけでもなく言った。
「彼らはただ主張しているだけ。やり方も悪くない。脳を攻撃することなく、機械の身体だけを破壊している。だれも死んでいない」
Dも機械化に反対しているから、テロに関しても反対はしないようだ。もしかしてDも何処かの組織に属しているのだろうか。
「わたしは何処にも属さないわ。わたしはわたし。集合体の中の一分子ではなく、一つの集合体としてのわたし」
そういって、Dはわたしが買ってきた物の中からペットボトルを一つ取り出して、キャップをまわした。カチカチと軽快な音が響いてキャップが開いた。ペットボトルを傾けて、水を飲む。飲み口とDの口の隙間から僅かに水が零れ落ちた。
「ねえ、わたしたちもこの世界に反抗してみない……」
Dはキャップを閉めながらわたしに問いかけた。でも、たとえ機械の身体だとしても、誰かを傷つけるなんて。
「そういうことじゃないわ、そういうのは彼らに任せておけばいいのよ」とDは携帯型ラジオをちらりと見て、わたしに言った。
「とにかくついてきて」
Dが突然立ち上がってわたしの手を取り、階段へと向かった。上へ、上へ。どんどん上へ上っていく。13階分ほどの階段を上り続けて、わたしの息も切れ始めた所でDが立ち止まった。
目の前には扉が一つ。Dがその扉をゆっくりと開ける。さび付いた金属がこすれあう音が響いた。
屋上だった。周りはこのビルよりも高いマンションに囲まれている。四角い箱の中に閉じ込められたような感覚。
Dがわたしの手を離して、ポケットに手を突っ込んだ。そして、中からわたしの携帯と大学のIDを取り出すと私の足元のコンクリートにそっと置き、そこからDは3歩後ろに下がって、後ろをむいた。
「命は誰のものだと思う……」
Dが静かに話し始めた。
「皆のものだという人がいるわ。例えば、あなたが死んだらその死はあなただけのものではない。だってあなたを知る人々が悲しむから」
一人の命が周囲に影響を及ぼす。
「その一方で、命は自分だけのものだという人もいるわ。わたしの命の喪失はわたしの喪失であり、他の人の命の喪失ではないから」
わたしはね、とDが言った。わたしは、両方だと思うの。
「命はわたしのものだからわたしが自由に出来るけれど、その影響は周りにも及ぶ」
Dはこちらに向き直って、言った。
「選んで」