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前編:哀しき女の物語

 その女の家は貧しくて、小さい頃から年中借金の取り立てにあっていたそうよ。名はおけいと言ったわ。

 決して贅沢な暮らしではなかったけれど、彼女はそれよりもっと辛いものがあったの。

 それはね……親の顔。毎日やってくる借金取りに怯える両親の顔は、娘の幼心にも辛かった。

 そこで彼女は、ある決意をしたの。

「私、遊女になる!」

 そう言って早々に遊郭へ向かった。器量もそれなりにいい方だと思っていたし、手先もわりと器用だったから、きっとうまくやっていけるだろうと思っていた。

「あのねえ、お嬢ちゃん……お父さんとお母さんは?」

「いません! だから私、ここで働きたいんです!」

 嘘だった。けれど、自分が両親の借金をどうにかしようとここまで出てきたなんて、そんなこと言えなかった。

 それでも彼女は地べたに膝をついて、土下座までした。

「お願いします! 私をここで働かせてください!」

「ちょ、ちょっと君……!」

 そのとき、彼女の耳に、一つの足音が近づいてくるのが分かった。

「お嬢ちゃん、名前は? 年はいくつ?」

 透き通ったような、美しい声だった。彼女はとっさに頭を上げ、その問いに答えた。

「……恵です。6歳になります」

「そう。お恵ちゃんね」

 声の主は、お恵をまじまじと見る。お恵も、また彼女を見つめ返した。

 大きなかんざしに、豪華絢爛な着物……年はお恵よりも10歳ほど上だったかしら。

 彼女は、このとき初めて“花魁おいらん”というものを見たの。

菊花きくはなさん、はよ戻りましょう。こんな小娘放っといていいですよ」

 菊花と呼ばれたその遊女は男をキッと睨みつけると、お恵の方に向き直ってにこやかな笑みを浮かべる。

「お恵ちゃん、私、あなたのことが気に入ったわ。だから私の禿かむろについて、一人前の遊女になる修行をさせてあげる」

 禿というのが、その店でもっとも位の高い遊女――つまり花魁と呼ばれる太夫だゆう達につく見習いの少女のことであるというのは、お恵にも分かっていた。

 そんな雲の上の存在である菊花の方から声をかけてくれたのは、お恵にとって、幸いだったのかもしれない。

 これはあとで分かったことなのだけれど、嬉しいことに、その菊花という女性はこの遊郭でも一番の人気と美貌を誇る遊女で、菊花太夫と呼ばれていた大先輩だったの。

 そうして彼女は菊花の元で修行を始め、遊女の道を着々と進んで行った。


 8年の月日が経ち、お恵が14歳になったある日。菊花は言ったわ。

「お恵ちゃんも、そろそろお店へ出てもいいかもしれないわね」

「本当ですか!?」

 彼女は飛びあがるほど嬉しかった。けれど、現実はそう甘いものではなかった。

 ようやく店に上がれるようにはなったものの、本来の目的である、両親の借金返済とまでは程遠かった。

 そのせいで躍起にもなった。もう遊女なんかやっていても無駄じゃないかって。

「お恵ちゃん!」

 そんなとき、支えてくれたのはいつも菊花だったそうよ。

 お恵も彼女を信頼していたから、両親の借金のことも、何でも話せた。悪く言えば、話せるのは彼女しかいなかった…とも言えるわね。

 そして菊花は、舞台に立てなくなったお恵のもとに、とある人物を呼び寄せていた。

「お恵…? いるのかえ、お恵…?」

 戸口で力なく叫ぶ、女性の声。それは、間違いなく彼女の母の声だった。

「お母さん…?」

 お恵の目には、涙が溜まっていた。

 実に8年ぶりの再会だったし、それに、とてもじゃないけど顔向けできるような状態じゃなかったから。

 けれど、母は言った。

「本当はね、高利貸し(借金取り)から娘を遠ざけることができてほっとしてるのよ。

それに、菊花さんはいい方ね。あなたがこの方の元にいてくれれば、私も安心できるわ」

 彼女は母の腕に抱かれながら、目いっぱい泣いた。泣いて泣いて、涙が枯れるまで泣いた。それこそ、今まで溜めてきた分すべてを吐き出すように。

「お母さん、ごめんなさい……私……」

「いいのよ、お恵にも色々辛い思いさせてしまったね」

「うう…お母さん…」

 それから5年が経ち、お恵は19歳になった。

 彼女は3つ指に入るほどの人気を誇る遊女となり、両親の日々の努力と菊花の取り立てもあってか、両親の借金は無事返すことができたわ。

 けど、そのとき菊花から掛けられた言葉は、思いもよらぬものだった。

「ねえ、お恵ちゃん。私ね、遊女を引退しようかと思うの」

「引退!? そんな…どうして…?」

 突然のことに取りみだす彼女だったけれど、それでも菊花は言ったわ。

「それでね、お恵ちゃん……私、あなたに太夫の座をお譲りしようかと思うのよ」

「そんな……できません! そしたら菊花姐さんはどうするんですか?」

「安心して。引退するからと言って、私は店を辞めるわけじゃないわ。遊女たちの補佐役にまわるだけよ」

 結局、彼女は引退し、お恵は平太夫たいらだゆうの名を受け、遊郭の花となった。

 ところがその後1年と経たぬうちに、新たな事実が発覚したの。

 平太夫が客との間に子供をもうけた……つまり、妊娠していたのよ。

 迷っていたけれど、菊花におされ、彼女は20歳で出産を決意した。子供は可愛い女の子だったそうよ。

 だけどその翌日、彼女は生まれたばかりの娘とともに、この店から忽然と姿を消したの。

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