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序章

 城下町の外れに、品のいい小さな小料理屋がある。達筆な文字で『割烹 たいら』と書かれたその看板は、その店の女将の風格をも映し出していた。

 私はいつものようにのれんをくぐりぬけると、特等席――女将の真向かいの席へと腰を下ろす。

 こうして黄昏時に一杯つくのが、私の日課であり、何より今の私の楽しみでもあった。

「あら、井助いすけさん。いらっしゃい」

 すかさず、女将が愛想よく笑みを向ける。ちなみに井助とは、私のことだ。

「いつものでいいのよね」

「ああ、頼むよ」

 もう分かっているというように、女将は私に背を向けて料理を作り始める。私はその華奢な背中を見つめ、料理ができるのを待つ。

 このなんともいえないやり取りを、阿吽の呼吸のように感じるのは、家内が亡くなってからずっとだ。

 単なる常連客である私が、こんなことを思うのは失礼かもしれないが。

「お待たせしました、どうぞ」

「おお、ありがとう」

 つまみの乗った皿を受け取り、日本酒の注がれたさかずきに口をつけると、女将は調理場を出て私の隣にちょいと腰掛けた。

 そうして後ろの席で片づけをしている千代ちよという仲居を上がらせると、私の方に向き直って、

「他のお客もいないし、もう今日は来ないと思うから、私も一杯いただくわ」

 そう言って別の杯をかかげる。

 私はもう何度もやってきたように慣れた手つきで、酒瓶を上げて彼女の手の中の杯に注いだ。

「女将が呑むなんて、めずらしいね。今日は何かあったのかい」

 最後の客といえ、彼女が客と一緒に呑むなんてことは、滅多にない。だから疑問だった。

 彼女は杯の中の酒を飲みほしてから、首だけこちらに向けて答えた。

「ええ……今日はね、ちょっと話聞いてもらいたい気分だったの」

「話?」

 女将はうなずく。

「井助さんって、ご引退されてからもう何年になるかしら」

「そうだな……五、六年だったかな。結構長くまで勤めていたからね」

 私のかつての職業とは、武士だ。自慢じゃないが、当時はかなりの腕前だったと自覚している。引退した今は、正直、かなり腕も落ちてしまったことだろうが…。

 そんなこんなで武士の道を抜け、私は息子に家督を譲った。

「奥様が亡くなられたのって、いつだったかしら」

「引退したのが大体5年ほど前だから……10年くらい前じゃないかな」

 私は何故女将が今更こんなことをたずねるのか、分からなかった。首をひねっていると、突然、彼女は言った。

「……ねえ井助さん。誰かいい人、いないかしら?」

「さあ……どんな人が女将の好みなんだい?」

「どんな人かしら。恋の喜びなんて、もう大分前に封印してしまったから…」

 それを聞いて、ああ、そういうことかと思った。きっと女将はその長年封印してきた恋をしたくなったに違いない。

「そうだな。うちの末の息子なんてどうだろう、まだ独身でね。自慢じゃないが、いい子だよ。もう29歳なんだが……女将にはちと若すぎたかな?」

 少し、欲が出てしまったか。早くうちの倅にもいい娘が来てくれないかと考えているのがバレバレだ。

 思わず熱くなってしまった私の腕を、女将が小突く。

「やだ、そんなんじゃないわよ」

「じゃあ……武士時代に可愛がっていたあいつは? 三十四、五だったか……あいつも結構いいやつだよ」

 それがお気に召さなかったようなのかよく分からなかったが、彼女は大きく溜息をついて言った。

「もう、鈍いんだから。もういいわ。別の話をしましょう……そうね、あの話がいいわ」

「あの話?」

「ええ……昔このあたりに住んでいた、とても哀しい一人の女の話よ」

 女将はもう一度私の目を見据えると、その女の話を始めた。

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